風に吹かれて (2020年4月号 : 疫病・感染症 いま・むかし)
WHOからは「パンデミック宣言」が出され、わが国でも「オ-バ-シュ-ト」の恐れが指摘されています。また、米国と中国とは、「新型コロナウイルス」の「感染源」をめぐって、激しく応酬中です。中国は「ウイルスの感染源は特定できてない」「米軍が中国にウイルスを運んだ可能性がある」「新型ウイルスがどこから来て、どこに向かったのかをはっきりさせねばならない」(習近平)と責任を他に転嫁し、米国は、正式名称を使わず、「武漢ウイルス」「中国ウイルス」であると激しくやり返しています。昨年11月中旬には発生と見られ、12月には事態を掌握、その上で情報を隠蔽、500万人もの市民が武漢を脱出、成田空港に9000人が逃亡・上陸などの事実を総合すれば、事態は自ずと明らかでしょう。
さて、ダイヤモンド・プリンセス号のとき以来、多くの報道、情報が飛び交っていますが、これに過去の出版物を重ね合わせて整理すれば、おぼろげながらも、全体像を掴むことができるかもしれません。先は見えない状況ですが、ここで3月下旬までの情報を基にしながら、そのエッセンスを列挙してみました。
● 人類とともに古い歴史を持つ
BC401~404年のアテネ・スパルタ戦争の最中にアテネに疫病、市民の1/3が死亡、アテネ敗戦。1347~1351年、全ヨ-ロッパにペスト(黒死病)が流行、人口が大減少、明朝(1368~1644年)末期にペスト、天然痘で1000万人が死亡、清朝末期の1910年に満州のペストで6万人死亡、1918年の「スペイン風邪」については後述するが5000万人以上が死亡している。流行初期に出された 「ほぼ制圧」 (習近平、文在寅)などのセリフは、単なる政治上の保身PRに過ぎない。
● 「検疫」の語源
入国するときは I⇒C⇒Qだが、このQは「検疫」、英語では“Quarantine”という。もともとの語源は、中世ベネチアの「40日間」を意味する。疫病の発生地から来たり原因不明の病人が出た船は、都心部への着岸を許されず、ある島の一つに「40日間隔離」される。海洋都市で交易立国のベネチアでは、国境閉鎖より、疫病対策の確立が選択された。隔離地の環境は快適だったとも伝えられている。(塩野七生・文藝春秋から)
● 二人の日本人検疫官
・後藤新平(1857~1929年) 石黒軍医総監が見出して児玉源太郎に推薦した。期待通りの働きで、1895年、日清戦争からの帰還兵に対する検疫に従事した。
・野口英世(1876~1928年) 1899年5月に検疫官、10月、横浜に入港した「亜米利加丸」でペスト患者を発見して診療にあたり、大きな功績を挙げた。
● クルーズ船の扱い・便宜置籍船と旗国主義
ダイヤモンド・プリンセス号の扱いについては、日本政府の不手際を非難する報道も多いが、ここには、より現代的課題として、国際法の欠陥是正も含めた法整備の必要性が存在すると考える。
クル-ズ船の「船籍」は英国、「経営」は米国、「船長」はイタリア人である。公海の外航船上における主権は、「旗国」といわれる船籍国=英国が持ち、船内での法も「旗国」のものが適用される。また、領海内であっても、船や乗員の管理などの一義的な責任は旗国が負う。つまり、船内の運営、秩序の維持は、全面的に船長の責務である。今回の場合、日本の検疫許可⇒上陸を得るために船内条件を整えるのは英米+イタリア人船長の責任だ。(山田吉彦・東海大教授)
上陸許可後(陰性だったからといって)「公共交通機関で帰宅させた」などの不手際については、日本側も批判されて然るべきであるが、イタリア人船長の姿がまったく見えないことが不思議でならない。ちなみに、日本の外航船舶の船籍国は、6割がパナマ、そして、日本船籍は9%程度ともいわれている。
● 疫病伝播のルート・シルクロードから 「一帯一路」 へ
交通、交易の発達が疫病も運んだことは、常識である。
5~8世紀の天然痘は<シルクロ-ド経由で>欧州、中東、日本、
14世紀のペストは<モンゴル帝国の拡大で>欧州、中央アジア、
16世紀の天然痘は<新大陸発見、征服で>スペイン、米大陸、
19~20世紀のコレラは<インドから東インド会社の交易活発化で>中東、アフリカ、アジア、日本、
20世紀のスペイン風邪は<第一次大戦へのアメリカの派兵により>欧州、遅れて日本、
新型ウイルスは<中国から一帯一路に乗って>全世界に広まったと整理されている。
● 沈黙の交易
瀬川拓郎の「アイヌ学入門」に<沈黙交易>という言葉が登場する。「近世の千島アイヌは、北海道本島のアイヌと直接接触することなく物々交換を行っていました」「海辺には交易用の小屋がいくつか設けられている」と述べている。
「沈黙交易」は、古代ギリシア時代から、スカンジナビア、シベリア~インド、インドネシアなど世界中で多く地域に見られる。これは自己の属する集団以外(異人)との接触忌避との説のほか、赤坂憲雄は、「疫病回避のため」と見ており、アイヌは、疱瘡(=諸病の王)を忌避したのではないかと考えられる。
● 疱瘡の流行と「藤原広嗣の乱」
藤原不比等は、律令制度の基礎を盤石にし、藤原家が子孫代々政権の中枢を担えるよう「藤原四家」(南、北、式、京)を設立するのであるが、天平9年(737年)、天然痘の大流行により、4家4兄弟がことごとく死亡、聖武天皇が東大寺の大仏を建立するのもこれがきっかけだった。また、橘諸兄へと権力が移行したことに対して、弱体化した藤原一族の一人(孫)で九州に左遷された「藤原広嗣」が乱を起こしたのも、遠因を辿れば、大陸との交流・交易拠点の 「太宰府」 に天然痘が上陸して藤原4兄弟の命を奪ったことにあると思われる。
● 第一次世界大戦とスペイン風邪
アメリカの参戦により、軍事バランスは連合国側に有利となったが、最終的にこの戦争を終わらせたのは、総力戦、兵士と栄養、そして、インフルエンザだといわれている。栄養豊かで若いアメリカ兵が戦線に投入されたのだが、同時に、アメリカで流行のインフルエンザも持ち込まれた。
栄養不足のドイツ兵、経済封鎖と総力戦、インフルエンザの感染で、戦術的には優勢だったドイツが敗れた背景はここにある。ちなみに、戦争当事国は不利な情報を統制したが、中立国だったスペインでは情報を公開し、王族のメンバ-にも感染があったと伝えられて、あの不名誉な「スペイン風邪」の名がついた。
世界中の人類の1/3に感染し、死者は5000万人ともいわれ、日本は、1918年40万人、1919年35万人の合計75万人が死亡した。(速水融・歴史人口学事始め)
日本で感染が多かったのは ①医者、②教員、③鉄道員、隠れて④軍隊といわれ、とくに医者は、「患者駆込み→医者感染→他の病人に感染」とクラスタ-の中心になっている。この際は、「医療崩壊」を起こさせない対応が不可欠である。
その当時、国が推奨した伝染対策はいまとほとんど同じなのだが、「神仏頼みのためのお参り満員電車」がさらに伝染を広げたとの説もある。(添付の画像参照)
余談になるが、自衛隊の医師、看護部隊も動員されているが、感染予防対策は優れているようだ。ここには、「生物化学兵器への対応」に当たる専門家も多く、そのあたりの知見をもっと活用する必要があるだろう。また、海上保安庁設立の歴史には、水際防疫へのGHQ指令があったと聞いたこともある。
セントルイス・モデルとフィラデルフィア・モデル
全小中高等学校を休校に導いた安倍総理への評価は、時間が経ってからでないと分からない。「科学的根拠は?」「誰が決めたのか?」も後々の問題だ。<セントルイスとフィラデルフィア>モデルを知る誰かがいたのは確かだ。
そして、この政策に、世論調査で7割以上の高い支持率も示されていたという。欧米では激しく休校を実施しているし、指導者が責任を引き受けるものなのだ。
● 第二波の流行に要注意・収束と終息の違い
グロ-バル化の時代、「シェンゲン協定」によってヒト、モノの交流を「原則自由」とする欧州は、いまや、「パンデミックの中心」とまでいわれてしまった。
本来は、自由な往来を主張するドイツも、フランス、スイス、オーストリア、ルクセンブルグ、デンマークと5カ国の国境を封鎖した。
スペイン風邪当時の日本を振り返っても、朝鮮、台湾の境界はなかったから、翌1919年には、第二波の流行が起きて、35万人も死亡している。
「後流行」には、注意が必要である。収束と「終息」は意味が違う。
● 治療検査と「疫学調査」
専門家会議やPCR検査で話題になった「国立感染症研究所」はどんな機関か、ここは、1947年に設立され、ウイルスなど感染症の病原、病因の検索、予防・治療の研究を行うとあり、治療に繋げる検査機関ではない。感染症の頂上組織としては、クラスタ-・伝染経路など疫学上の正確なデータが欲しい。民間の検査・検定とは距離を置きたい、否定的傾向を持つ。生化学的製剤、消毒剤の開発、製造、検定、「ペスト・ワクチン」の開発と来ると、旧陸軍の「防疫給水部」(ex.関東軍731部隊)の流れを汲むような気さえしてくる。「情報、デ-タの独占」によって、他の研究機関へ強い影響力を行使できると考えてはいないだろうか。
● 「特措法」
「新型インフル特措法」に「新コロナウイルス」も加えられた。その概要には、
①2月1日から2年を超えない範囲を対象期間とし、
②政府が緊急事態を宣言した場合には、
③都道府県知事は、外出自粛の要請、施設利用制限の要請・指示、必要物資の売渡し・土地使用の要請、臨時医療施設の開設ができる
④議論が分かれていたが、「通信の優先的利用」も含まれている
基本的体系は、国家総動員法と戒厳令、野戦病院などの戦時体制に近く、「物動」(=物資動員)と「価格統制」の現代版で、オイルショック三法に似る。
ところで、特措法に対して、野党、とくに「立憲」は、なぜ突っ込んだ議論、歯止めをしなかったのか。反対議員、欠席議員に対して「党議拘束違反での処分」などとは、非民主的であって、むしろ「拘束」を解いて然るべきところだ。
日米開戦決議時の米国議会、「一票の反対」を思い出す。
(2020.3.23記)
次へ
Copyright©️NPO法人子どもの食育推進協会 ALL Rights Reserved