風に吹かれて(過去記事1)

風に吹かれて( H29年7月号 :名もなき花、名も知らぬ花)

夏の到来とともに、前常念岳の「坊主」の姿はグズグズになり、代わって、蝶ケ岳の肩には「蝶々」の雪形がクッキリとしてきました。里での百花繚乱は、山岳地域へと移り、五竜・白馬、栂池高原などのお花畑が賑やかになります。

 

 

 

 さて、わが家の庭では、実生から10年育てて樹高5m程になったセンダンに可憐な花が咲いて、甘い香りがほのかに漂いました。センダンの花言葉ですが、「意見の相違」とか。熱帯性のセンダン=白檀と取り違えられたせいでしょうか。

 

 

 

●    名もなき花? 名も知らぬ花?

 

 花に因んで、ちょっと昔話をしたい。昭和天皇は、ことのほか植物を愛され、それも<できる限り自然な形で>とおっしゃられていた。花の名も大事にされ、那須御用邸の滞在では、散策のときなど侍従に尋ねることも多かったらしい。

 

 

 

 国有林内の散策だと、那須営林署長も随行する。署長は、前もって散策路の花や草木の名を確認しておく。しかし、林学出身なので、さほど山野草に通暁しているわけでもない。これは、虚実入り混じった伝説であろうが、ある年の偵察で名称不明の花に出会った署長、「弱ったなあ!この花、名前が分からない。ウ-ム、仕方がない、抜いてしまおうか」といったとか、いわなかったとか・・・。

 

 

 

<雑草>とひとくくりにしたり<名もない花>などといっては気の毒である。こちらが名前を知らないだけなのだからと諭されたとも伝えられている。

 

いまもそのお気持ちを守った庭園管理を続けているのが「皇居東御苑」だ。

 

 

 

“紫のひともとゆゑに 武蔵野の草はみながら あはれとぞ見る”   (古今和歌集)

 

 

 

● 裁判の非情と人情

 

原田國男の「裁判の非情と人情」(岩波新書)は、興味深い著作であった。読売新聞に橋本五郎が書評を寄せていたが、<峻厳なるイメ-ジとは対極の、迷い、逡巡する人間味溢れる世界がある。花も実もある裁判論である>とか、<原田裁判官は20件以上の無罪判決を出した。その中で真っ白と思った例は少ない。「灰色無罪」なのだ・・・刑事裁判に求められているのは、白か黒かの判断ではなく、黒と判定できるかどうかなのだ>といった辺りは同調できる。

 

 

 

また、この著作では、世間一般の常識=「まじめ一本槍のようなお堅い裁判・裁判官」についてのエピソ-ドに満ちている点も、気持ちを楽にして読ませる。例えば、証人尋問の前に宣誓をするが、その際、裁判官から、「ここに印鑑を押してください、なければ拇印でも結構です」と促されて、ある芸者さんは、それも忘れてきました!」と珍な?答えをしたとか。また、いつまでも拇印を押さない証人に対し、裁判長が「拇印をお願いします。早くボインをお願いします」といったのだが、その女性は、まことに<ボイン>に相応しい方で あったため、周囲はみな下を向いて笑いをこらえていたとか・・・。

 

 

 

さらには、検察官、弁護人、裁判官で「未必の故意」を巡って応酬があったときには、傍聴席から「<密室の恋>ってなんだ?」との囁きがあったとか。

 

 また、アメリカでは、聖書に手を置いて「誓います」というのが大原則だが、ある証人、「自分のがあるのでこれに手を置きます」という。実は<偽証>、しかし、その本は<聖書でなくメルビルの「白鯨」>だった。よって、偽証に該当せずと。以上、ウロ覚えメモからなので、多少の間違いはご容赦願いたい。

 

 

 

●    現代版の「鬼兵犯科帖」か?

 

神奈川県民センタ-のホ-ルに飾られていた「棟方志功」の原画(緞帳の制作のため1974年ごろに描かれた「宇宙讃」で、当時の価格で300万円、いまなら1000万円以上か?)がカラ-・コピ-にすり替えられていたという報道があった。しかも、貸与を受けていた「神奈川芸術文化財団」では、来場者から、「レプリカなのではないか」との指摘がされていて、すり替わっていることを掌握していながら、3年間も放置してきたという間が抜けた話である。

 

 

 

それにしても、指摘をしたこの来場者、相当に棟方が好きで、疑問に思ったことで何度も確認しているような気がする。

 

解説によると、本来は和紙であるべき台紙が<普通紙>になっていたことが発見のきっかけのようだ。

 

 

 

話は飛躍して、ここからはもう想像の世界になるが、これだけスマ-トな手口となると、こいつは組織的窃盗団の仕業かと思う。そして、入念な下調べ、ひょっとすると、もう退職してしまった臨時雇いなどが、「引き込み女」として送り込まれ、周到な下準備の上で実行されたいわゆる「お勤め」だったのかも知れない。さらに、緞帳制作のために、一時メ-カ-に原画を手渡しているので、その段階で、すでにすり替えられていたという説まで出てくる始末である。

 

いずれにしても、お勤めの終了とともにトンズラ、作品は海外流出、鬼平もビックリであろう。そして、残された<カラ-・コピ->が、長らく気づかれなかったとは驚きで、コピ-技術レベルの進歩・向上には、二度ビックリだ。

 

 

 

●    言葉の区切りは難しい

 

 句読点の打ち方で中身が変わる例として、「二重にして、首に掛ける数珠」と「二重にし、手首に掛ける数珠」が有名だが、息継ぎ一つでの誤解も多い。

 

 

 

 ある朝のNHKラジオ「交通情報」で、「飯山線は、待避指示のため、戸狩温泉・森宮 / 野原間で運転見合わせ」と、戸狩温泉に「森宮」と「野原」という二つの駅があってその間が運転ストップしているように聞こえた。正しくは、積雪日本一の記録を持つ「森宮野原駅」と「戸狩温泉駅」の間のことであった。

 

 また、すこし前の民放テレビ、「出演は自民党農林部 / 会長の松岡さん」に、「いいえ、私は農林部の会長ではありません。農林部会の部会長です」と憮然。NHKの謡曲「頼政」の解説では、原稿棒読みで「老・武者」が「労務・者」に聞こえ、源三位もビックリだった。中味を勉強してから話すことである。

 

 

 

 

 

ことほど大変な誤解を生みかねないものだから、句読点も読み方の区切りも「大事に、大切に」扱わなければならないとあらためて思う。            (H29.6.27記)

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風に吹かれて( H29年 6月号 :書きとどめた言葉から)

  穂高町の田植えは5月14&15日、カエルの鳴き声が賑やかになりました。

 

いま、あづみ野は、百花繚乱です。花のお江戸でも、「三社祭」(19~21日)が済んで、季節は夏へ移っていきます。というわけで、「梅雨入り前の虫干し」を兼ねて、恒例の「こころに残る言葉シリ-ズ」(最新版)をお届けします。

 

 

 

  ところで、ゴ-ルデンウイ-ク中のこと、思い立って、家内と2人で、赤坂迎賓館の見学に行きました。印象は、金持ちの別邸といった感じで、センスはあまりよくありません。近代社会へ仲間入りをした日本が、西洋と肩を並べるべく精一杯背伸びをした建築で、鹿鳴館と似て、仕方のない面もあります。

 

  最大の「羽衣の間」は、謡曲「羽衣」の<虚空に花ふり、霊香四方に薫ず>をイメ-ジしているとの説明でしたが、空に浮かぶ鳥と花だけで天人はいません。ボランテイア・ガイドに「天人はどこ?」と尋ねると、「あなたのお隣りに天女(家内のこと?)がいらっしゃいます」と手慣れた返事でした。                                                             (H29.5.30記)

 

 

 

●    美しき日本語

 

4月中旬の黄昏どきである。麹町から市ヶ谷へと「日テレ通り」を歩いていた。ある交差点で、「あなた、こちらよ!」と声が聞こえる。見れば、明らかに欧米系のご婦人だが、80歳は過ぎている。日本人のご主人が、横断歩道のないところを渡ろうとするのを優しく招いて、少しも澱みのない美しいアクセントであった。

 

 

 

 

 

 ご主人を大事にされているのか、これまで相当お姑さんから仕込まれたのか、いまでは日本でも殆んど耳にしない美しい日本語であった。

 

 

 

●    「フランク三浦」と<フランク・ミュ-ラ->は別もの

 

  スイスの高級時計<フランク・ミュ-ラ->を連想させるとして「フランク三浦(みうら)」の

 

商品名で時計を売る大阪の会社の商標登録を「無効」とした訴訟に対し、最高裁は、「間違える恐

 

れはない」と判断し、知財高裁での判決を支持した。当然だと思う。100万円を超える<ミュ-ラ->

 

と4~6000円の「三浦」、これを混同するアホなどいる訳がなく、訴える方がどうかしている。

 

 

 

 そういえば、はるか昔ではあるが、<ピエ-ル・カルダン>に似た「P・L・カルダン」という名で超安のネクタイを売っている人を見かけたことがあるが、取り巻く者は、誰ひとりも「ピエ-ル・カルダン」とは思っていなかった。

 

 

 

●    ビルマのたわごと

 

「ビルマの竪琴」の作者「竹山道雄」が、原子力空母「エンタ-プライズ」入港阻止運動が華やかなころ、「日本の国防上やむを得ない」と述べたところ、竹山のイメ-ジを曲解していた運動家、マスコミなどから大いに非難された。

 

 

 

竹山は、「防衛問題については、客観的な条件を冷静に検討して、それに最も適切な選択をすべきだ」として、ごく当たり前の反論した。そのときの論題に皮肉を込めて、「ビルマのたわごと」 としたのである。                         (文芸春秋H29年4月号)

 

 

 

●    答える力より「質問する力」

 

ケンブリッジ大学のJ・ロビンソン教授の言葉である。

 

“Any damn-fool can answer a question, the important thing is to ask one. ”

 

 確か、M・サッチャ-も引用していたと記憶する。

 

 

 

● 自由には責任が伴う (Liberty means responsibility)

 

 ノ-ベル賞の作家「バ-ナ-ド・ショウ」の言葉であり、2017年4月7日、母校「北園高校」の入学式で生徒会代表が新入生歓迎の挨拶に引用したのがとても印象的であった。

 

 

 

 なお、これには後段があり、続く言葉は、“that is why most men dread it.”

 

 

 

「だから、みんな、そいつが恐ろしいんだよ」といったところか?

 

 

 

●    「おため」

 

  関西には「おため」という習わしがあるそうだ。結婚祝いなどを受け取ったとき、その場で1割

 

ほどのお礼を返すことで、お祝いを包んでいた風呂敷にちょっとした品物を入れて返したのが始まり

 

らしい。

 

 

 

「森友学園の理事長があちこちで語ったのは、この風習を彷彿とさせる」と日経新聞が書いている。

 

 

 

それにしても、この理事長が名付けたという「瑞穂の國小學院」、この名称はおこがましく、僭越至極この上ない。悠久の歴史を傷つけるものではないか。

 

                            (3/24 コラム“春秋”)

 

●    カトリックの持つ「厳密性」

 

「これは容認するが、これは許せない」という原理原則的な厳密性を持っていないと調停者にはなれない。かつ、自分だけは腐敗に染まらず、清く正しくありたいというような自分の姿にばかり拘っている人も紛争の解決能力はない。「自分はいい加減だけれども、でも、やはりという一線は持つ、そして、最終的には神が教えてくれるであろう」(浜矩子&佐高信の共著「どアホノミクスの正体」)

 

 

 

 はるか昔のことになるが、アフリカの飢餓に対する支援にカトリック教会がシスタ-を派遣していたその様子をテレビで見たことがある。粉ミルクなどを支給された女性が同じところを翌週にも訪ねると、シスタ-は乳児を体重計に乗せて測定し、いっこうに体重が増えていないことが分かると「これは乳児の食料を大人が食べている」として、はっきり拒否していた場面を思い出す。

 

 

 

●    網走の日本酒「君が袖ふる」

 

 北海道では、おいしい日本酒になかなか出会えなかったが、いまは、旭川の「男山」、増毛の「国稀」、新十津川の「金滴」などは相当にレベルが高い。

 

 

 

さて、NHKラジオ(4/15)で、網走の銘酒「君が袖」との放送を聞いた。平成7年に復活した限定生産で、酛米は南の北杜(渡島地方)の「彗星」、かけ米は「きらら397」、製造委託は「金滴」と聞き、地元のものは水だけかとも思ったが、最北端の日本酒には違いない。誰もみな、わが地元の酒を欲しいのだろう。                                (了)

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風に吹かれて( H29年 5月号 :風雲、急を告げる国際情勢)

風薫る5月へ、あづみ野の花模様も、サクラから、リンゴ、シャクナゲへと移って、ベスト・シ-ズンに入ります。(百楽桜の語源は「一山に百楽あり」 田淵行男)

 

「カタバミ」(画像)は<雑草>と一口に片付けられそうですが、なかなかによい花で、隣家(農家)から株を分けてもらって垣根沿いに移植しました。

 

春から初夏まで、赤・紫や黄色の楚々とした可愛い花をたくさん咲かせます。

 

 

 

一方、国際情勢はといえば、シリアの化学兵器使用とアメリカによる空爆で、米中露の大国間の軍事バランスも一気に不安定化の様相です。アメリカの真の狙いは、北朝鮮のICBM開発と核弾頭装備への進展に対して確固たる姿勢を示し、北朝鮮への影響力を行使しようとしない中国を牽制することにあるのでしょう。

 

 

 

原子力空母を擁するアメリカ艦隊が朝鮮半島の周辺海域に派遣されつつありますが、これは、偶発的衝突の危機が深刻なレベルにあることをも意味します。ここしばらくは、関係国間で、厳しい神経戦の日々が続くでしょう。

 

 

 

こうした事態に対して結束しなければならない日米韓ですが、韓国がレ-ムダックの状態では頼りにならず、また、トランプ新政権も、国防総省での政治任用幹部50名ほどが未だ空席で重要な国家的判断にシビリアンコントロ-ルが効かないという恐ろしい状況なのです。韓国の世論が、大統領選挙に向かってどう変化していくかも要注目です。産経新聞(4/8)は、精強・韓国軍の現況について、「北朝鮮と対峙する前線で、地雷除去作戦を実施するのに際し、兵士の親に手紙を送って息子を作戦に動員してよいか同意を求めた」と報じています。

 

●    中国から見る日本列島のかたち

 

2000年10月に講談社から発刊された「日本の歴史」シリ-ズ(全26巻)の 第1号(表示では00号)は、高校の恩師「網野善彦」が執筆したが、その劈頭を飾っているのが<環日本海諸国図>で、日本海を取り囲む諸国の形を中国の側から逆に見ているものである。これは、「環日本海のヘソ」と自称する富山県が国土地理院の許可を得て作成したものだ。(画像)

 

 

  網野善彦がこの地図を掲載した趣旨は、<日本は、アジア大陸東辺の懸け橋であって、この列島を通じて、東西、南北の交流が実現されてきた歴史がある。日本は特殊な国なのではなく、東アジア地域の広い交流の影響下にあり、「日本=農業社会」、「百姓=農民」との思い込みも間違いで、「瑞穂の国日本」などは虚像に過ぎない>というところにあるのだろう。

 

 他方、観点を変えて、この地図を地政学的にじっくり見ると、中国にとって「日本列島は、東方進出への邪魔な存在でしかない」ことが実感できる。日本も、こうした視点に立ち「相手の痛いところをしっかり突く・利用するような国家戦略」を樹立していく大事な時期に来ている。

 

 

 

● オ-バ-・ブッキングと乗客の強制排除

 

4月9日のアメリカでのこと、シカゴ発「ユナイテッド航空」の機内は着席の乗客で満席だったが、会社の手違いにより会社の搭乗員4人分の座席が乗客と重複するという事態が生じた。(到着地空港から出発する便に乗るクル-分か)

 

ここで会社がとった措置は、補償金800ドル(8~9万円)を提示し次の便以降への乗換えを募ることだった。しかし、3人しか応じず、1席分は、抽選による強制振替えを力づくで実行、抵抗する客は、鼻骨と前歯を骨折し、流血騒ぎになった。また、全ては乗客のスマホで撮影されていたからマスメデイアに報道されて、非難はごうごう、会社の評判が地に落ちたことはいうまでもない。

 

  映像を見て気にかかったのは、この客が、<抽選で該当>といわれるものの、白人でなく(ベトナム系)、有色人種への差別がなかったかということである。

 

 

 

さて、「オ-バ-ブッキング」だが、<ホテル、航空会社では日常のこと>で、一般的なビジネスモデルの範囲内といわれる。過去の経験でもこの種のことがあった。いまから30年も前のパリ空港、前々日にリコンファ-ムしていたにもかかわらず、空港カウンタ-に行くと、「満席である。しばらく待て」ときた。「おい、おい、リコンファ-ムはしたぞ」、「まあ、待て」となって、しばらく

 

すると、まずは待機組の老夫婦に座席が確保される。「どうなってるんだ?」、「いま、エコノミ-席は、満席となった」、さあどうするか。すると一瞬の間をおいて、「お前は、ビジネス席だ」 とウインク。それでは、ビジネスも満席なら?そう、ファ-ストに転換だったのかもしれない。パックエコノミ-航空券では、こういうことがしばしば起きるらしい。座席に着いてしまえばこちらのもの、待遇はビジネス並み、豪華な食事とフリ-・アルコ-ルを堪能できた。

 

 

 

  つぎに、UAの望ましい対応だが、まずは、①カウンタ-の受付段階で処理すべきであった。また、座らせてしまった航空会社側の100%ミスなのだから、②800ドルにこだわらず、機内オ-クションでもやって、4人分に達するまでは青空天井の入札手続を踏むべきだ。ちなみに、航空各社申合わせでは、目下のオ-クション上限額は、1200~1300ドル(14万円)程度らしい。

 

 

 

かつてシアトル空港で、「シ-ホ-クス」(フット・ボ-ル)の追っかけ連が、<どうしてもダラス・ヒュ-ストン空港へ同行したい>と、カウンタ-に頼みこみ「セリ上げオ-クション」を50ドル単位でやっていたのを思い出す。その結果、大学生の数人が200ドルの臨時収入を手にして変更を了承し、「双方満足」との光景を目にしたこと。まあ、便数が多い国内線だったからかも知れない。

 

 

 

●    親はいつでも子の行く末が心配

 

話は変わって陸上交通、中央線特快列車内の風景である。高尾の墓参からの帰途、向かいの座席に、80歳近い母親とその息子とも思しき男性が座っていた。

 

脳梗塞の後遺症でもあろうか、右手が震えて不自由の様子である。鼻をかんだテイッシュ-を母親に差し出す。すると、母親、「自分のポケットに入れたら?」と応じる。「メンドくさい!」母親、「メンドくさいことだからやるんだ。そういうふうにして元気になっていくんだよ。寝てばかりいてはダメなんだから!」

 

決して叱っているのではない。山梨なまりの言葉からは、わが子のゆく末を 心配する親心がヒシと伝わる。先に逝くに違いない母親が、子を自立へと諭す。世の中は、やはり、親から子へと、<順番どおり>が望ましい。                                                    (H 29.4.25記)

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風に吹かれて( H29年 4月号 :日本百霊山を読む)

<山笑う>の季節になりました。中央本線や大糸線に乗っていても、熟年の登山者、とくに女性が増えているように思えます。深田久弥の「日本百名山」、田中澄江の「花の百名山」を巡る旅も、相変わらずの人気のようです。

 

 松本駅の売店に「ワサビの花」がおかれ、北安曇地方では、Spring ephemeralキクザキイチゲ(菊咲一華)も姿を見せて、あづみ野の遅い春がスタ-トです。

 

 

 

今回は、山の伝説・神話、松本・塩尻の名物「山賊焼き」パ-ト2、そして、かんきつ類の親探しについて取り上げました。「忖度」が「流行語大賞」になる気配ですが、類語に「斟酌」「啐啄」もありますので、ぜひ、お調べください。

 

 

 

●    日本百霊山

 

「日本百名山」は、山岳随筆としては傑作中の傑作である。単行本は書棚に飾っておき、日ごろは、文庫本をボロボロになるほど繰り返し読む人も多い。

 

 

 

深田の名著を追うように、「200名山」「300名山」「新百名山」も出版された。<一山一花>の切り口から書かれた「花の百名山」(1980年)はもちろん名作で、「ふるさと」シリ-ズでは、<やまなし観光機構>発行「山梨百名山手帳」がよい出来だ。山岳県の山梨らしく、写真に加えて、登山の難易度や宿泊施設の紹介、事故のときの連絡方法などにも触れた便利帳の優れものである。

 

 (閑話休題)

 

 ちょっと脇道に逸れる。長野県の松本のことを「ガクト」と称しているが、その心は、信州大学の「学都」、サイトウ(~小澤征爾)記念コンサ-トの「楽都」、山岳の「岳都」であるという。

 

 

 

松本駅前の看板で確かめた。

 

 

 

 2016年9月刊の「日本百霊山」(ヤマケイ新書:とよだ・時)は、興味深い、切り口の異なる本である。日本人は、とかく「七重八重」や「百・千・万」を目出度い数とするので、これも、その類かと思っていたが、どうしてどうして、自分の足で深く丁寧に取材をした傑作である。「日本百霊山」の名の由来、神話・伝承と民話、山にまつわる信仰に重きを置いていて、これらを知るとき、昔の人々のダイナミックな想像も知ることができる。しばしば登場する山の物語は、①名称の由来、②高さ比べとその後日談、③背景に隠れる地方と中央の争いで、それらには、似たような伝承も数多い。2~3の例を挙げてみよう。

 

 

 

(1) 奥多摩から雲取山へと伸びる<石尾根>の途中にある「七ツ石山」のいい伝えはこうである。平将門を追う藤原秀郷(田原藤太)が、対岸の「三頭山」から「七ツ石山」の尾根を展望すると、7人の武者像が見える。その中の1人が「平将門」だ。神のお告げに従い人の息が感じられる1人に向けて念じて矢を放てば見事に命中、将門と6体の影武者・藁人形は、瞬時に岩に変じてしまう。これ以来、この山を「七つ石(岩)山」と称するのだそうである。10km以上も離れた遠い標的を<本当かいな?>ではなく、素晴らしい想像力と思うべし。

 

 

 

(2)長野の2つの山に共通しているのは「鬼女・鬼退治」である。戸隠山伝説(能楽:紅葉狩)では、非服従の土着勢力と思われる「鬼女」を中央から派遣された「平惟茂」が成敗、また、安曇野の有明山伝説では、非服従の土着勢力「八面大王」を「坂上田村麻呂」が征服するというスト-リ-になっている。

 

 

 

(3)山の高さ比べは、多くの場合、富士山とその山の勝負で、必ず富士が勝つ。そして、勝負の様子が山の名称や成り立ちに織り込まれる。そこに、しばしば登場するのが「デエダンボウ」「ダイオダラボウ」「ダイダラボッチ」の超大男・超力持ちである。足跡の大きさが3尺=90cmというから、ともかく凄い。

 

①八ヶ岳は、高さ競争に負け山頂部分を吹き飛ばされたとも、張り切りすぎて先端が自己分裂、その吹き飛んだ先が「美しの森」になったともいわれる。

 

②この本には登場しないが、静岡の愛鷹山も富士山との高さ競争に敗れ頂上が蹴飛ばされて太平洋に落下、伊豆大島となり、怒りでいまも煙を吹いている。

 

記紀や風土記の時代、人は稀有壮大な物語を夢想した。楽しい話の満載だ。

 

③ちょっとHな余談だが、信州のわが家の近く愛されている「有明山」にも高さ伝説がある。成長を続けるこの山に向かい<立ちション>をする妊婦がいて、「どこまで高くなるんズラ?」と発した一言にこの山がひるんで成長を止め、「有明富士」とまでいわれたが、結局、富士山には高さ負けしたというのだ。

 

●    「山賊ランチ」 ふたたび

 

 平成26年の初夏号で、「あづみ野・松本地域では<トリの唐揚げ定食>を<山賊ランチ>と呼んでいるが、これは<山賊は取り上げる=鶏・揚げる>と掛けた信州ロ-カル版のダジャレではないか」と記した。

 

 

 

 ところが、日経新聞の夕刊(2/14)に<長野 揚げ物なのに「山賊焼き」>の記事があり、2000年代前半に塩尻で注目され始め、12年には、共通のレシピを持つ41店で「塩尻山賊焼きの会」が結成されて今日に至っているとあった。

 

 エリアは松本地域にも広がって、いまや、3月8日が塩尻、3月9日が松本の記念日になっている。塩尻では骨付き一枚肉、松本では骨抜きカット肉と違う。

 

 名称の由来も両者で異なり、塩尻のは、映画「七人の侍」(昭和29年)で山賊がニワトリをほおばる姿とか、山賊が出そうな塩尻峠からとかいわれる。松本(中信)と塩尻(南信)が協力・張り合うのも信州らしい。

 

● かんきつ類の父親、母親

 

つぎに親探しである。国立遺伝学研究所、農研機構、京大の研究グル-プが、遺伝情報を解析する最新の方法を使って、かんきつ類67種の親を明らかにした。

 

両親が分かったのは、例えば、伊予カン(海紅柑xオオベニミカン)、カボス(クネンボxユズ)、温州ミカン(紀州ミカンxクネンボ)などであり、一方の親が分かったのは、ハッサク(←クネンボ)、ポンカン(←オオベニミカン)、スダチ(←ユズ)といった具合である。紀州ミカンとユズは頻繁に登場する。

 

 

 

ついでながら、30年も昔になろうか、病虫害に強い「カラタチ」と味のよい「オレンジ」を掛け合わせた<オレ・タチ>という新品種が育成されたことがある。結果は、両者の悪い側面ばかりが出た。日米で「牛肉・オレンジ自由化交渉」が盛んだったころのことである。ちなみに、「カラタチ」は「唐・橘」で、ミカンやオレンジの先祖筋に当たる。           (H29.3.28記)

 

 

 

【ミニ解説】  スプリング・エフェメラル (Spring ephemeral)

 

 

 

「ウイキペデイア」や「山歩き12ヶ月(工藤隆雄)」では、「春のかげろう」とか「春の妖精」と訳されるが、<春・はかない・いのち>といった方が相応しくはないだろうか。

 

 

 

 3月から4月初め、春にはなったが、広葉樹の葉の茂りはまだ本格的ではないころに、落ち葉のなかから、あるいは湿地や北の斜面など、ごく短い期間だけ花が咲いて、すぐに枯れ、その後はじっと地中で翌年の春を待つ植物である。カタクリの場合だと、種子から発芽して花がつくまで7~8年、開花の期間は10日ほど、その短い間に受粉をして子孫を残すのである。

 

 

 

 代表的なスプリング・エフェメラルの花には、カタクリ、アズマイチゲ、イチリンソウ、キクザキイチゲ(菊咲一華)などが挙げられる。

 

 

 

 地中に7年を過ごし、1~2週で消えるセミも同様の生涯であるが、こちらの方は、“Summer ephemeral”とはいわないようだ。

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風に吹かれて( H29年 3月号 :しもやけは遠くのむかしに)

1月、2月と雪の新潟に出かけました。上越新幹線からは、純白の魚沼三山がすぐ目の前に広がり、しかも、列車の進行に連れて、三山の並び方が変化していく様子が楽しめましたし、遙か飯豊連峰までもが望めてうれしい限りです。

 

 東京では、そろそろ花の季節、自宅の近くでも、ロウバイ、カワズザクラ、ウメ、ミツマタと咲いてきて、ジンチョウゲも香り始めました。あづみ野ではまだ“春は名のみ”、「早春賦」の歌詞のとおりですが、ワサビの花もそろそろ、心待ちにしています。3月号も、印象に残ったことがらへの散文になりました。

 

 

 

● アメリカは多様性を重視する?

 

早朝のNHKラジオで、ハリウッドのメイクアップ・ア-テイスト「Ka‐o‐riさん」(日系2世?)の人生に関するインタビュ-を聞いた。その中で、彼女は、「アメリカが多様性を重んじる国であることを誇りに思う」と述べていた。

 

自分とは違った考え・行動でも、<It’s  OK, not me>と認め合うのだそうだ。これが、トランプ大統領になって、「だった」と過去形になりつつある。そして、日本人らしく、今後とも<ありがとう、ごめんなさい>の精神で生きていくといい、「過ちを改めるのに遅すぎることはない」<never too late>とも語った。

 

トランプ某にもそう願いたいが、現実には、「地球危機時計」の針が進みそう。

 

 

 

 

 

● ヒビ、あかぎれ、しもやけ

 

 もう一つ、NHKの「ラジオ深夜便」からである。ある皮膚科の権威が、最近の経験として話していた。このところ「しもやけ」を見かけなくなり、皮膚科の若い先生たちは診断も対処もできなくなってきている。幼い子どもを連れたお母さんがやってきたとき、「こんなに赤く腫れてしまいました。悪い病気ではないでしょうか?」それを見た医者が、「さあ、なんでしょうかねえ。とにかく、まず血液検査をしましょう」通りかかった先輩医師、「おや、これはしもやけ!この子は昨日、どんな遊びをしましたか?」「きのうは珍しい雪の日だったので、外で長いこと雪遊びして、長靴の中までビショ濡れでした」「ああ、それです」

 

 危うく妙な病気にされそうで、お母さんには大助かりだったが、核家族化、冷暖房のきいた家屋、栄養の向上などで、はるか昔の症状は失なわれている。

 

 

 

 

 

 若い医師の経験不足もあるが、病気やけがの症状の背景をしっかりとらえて判断をしなければならない。つまり、その前提としては、問診が大事である。これは、病院に限らないことで、行政などの政策立案もその前提となることを現場感覚でとらえてかからないと机上の空論、頭でっかちでは、実行不可能、効果なし、場合によると「逆効果、こじらせ」になりかねない。

 

 

 

 ひと昔前まで、主婦は炊事、洗濯で手にヒビやあかぎれをつくり、子どもはみんな赤いほっぺで青ん洟を垂らし、手や足はしもやけだらけだった。“垣根の‐垣根の曲がり角・・・しもやけ-お手々が-もう・かゆい”  昭和の時代も遠く去った。

 

 

 

● バングラデシュ国旗の由来

 

1月末あるセミナ-での話であるが、バングラデシュの国旗は「なぜ日の丸か(緑の地に赤い丸)、日本の国旗との関係は?」を講師がつぎのように説明した。

 

 1971年の戦争に勝利し、バングラデシュ(当時は東パキスタン)は独立する。東西冷戦が続いていたこともあり、世界の国々は模様眺めで、なかなか承認をしない。そのとき第一号で国家承認をしたのが日本であった。加えて、当時の国家予算の半分に相当する額をODAの形で援助したのも日本政府であった。

 

バングラデシュ(ベンガルの国)は、これに感激して<緑の大地から上がる太陽=日の丸>をモチ-フに現在の国旗を定めたともいわれている。

 

 

 

 

 

 インタ-ネットでは諸説あるようだが、日本の迅速な行動が影響を与えていたことは推測できる。それは、あの佐藤栄作総理大臣のころの話であった。

 

 

 

● 習近平は自由貿易主義者か?

 

世界経済フォ-ラムの年次総会(ダボス会議)に出席した中国の習近平国家主席は、<保護貿易主義の拡大に警鐘を鳴らした>という。会議に国家主席が出ることも異例だったが、経済自由化や国内民主化に大きな問題を抱えている現実の下で、中国が声高に自由貿易を唱えるのには大いなる違和感がある。

 

ことほど左様に、英国のEU離脱、アメリカの一国主義、ブロック経済化が度を過ぎているのだろう。人も国も、自分が勝っているとき、強いときには、その状態をベストとして維持しようとするものなのだ。中国にとって、現状が最もよい。競馬でいえば、「そのまま、そのまま!」である。トランプの任期の進行に伴って変化をするに違いない状況・行動に対して、中国の次のセリフがどうなっていくか、楽しみだ。まあ、少し前のアメリカならば、「おまえさんにそんなことをいわれたくないよ!」であったはずなのだが・・・。

 

 後日談になるが、2月13日の「よみうり寸評」には、中国の最高裁判事が、トランプの裁判官批判に対して、「最も民主的で最も法治的な国で何ごとか」と書いていたそうだが、これは、米国に名を借りた習近平批判のような気がする。

 

 

 

● オーバーランへの対応

 

国内飛行場での「オ-バ-ラン」は、この40年ほどで22件起きているが、19件は「滑走路端安全区域」(RESA)で停止しているという(1/30日経)。

 

直近の例には、1月19日の新千歳空港ANAがある。もっとも、これは、あの不評なボンバルデイア機であったから、機長の操縦ミスというよりは、機体に問題があったのかも知れない。

 

 1月25日の札幌便で機長が面白いアナウンスをしていた。「着陸は12時30分ですが、スポットまでは約10分、走路上が凍っていますのでゆっくり進みます」1週間前の事故?があった結果、このようなアナウンスになったのであろうが、それはそれ、慎重操縦に越したことはない。

 

 

 

さて、1977年の秋、カナダはスペリオル湖の畔にある「サンダベイ空港」でオ-バ-ランを経験したことがある。芝生帯に突入しガタガタと大きく揺れた。

 

そのときの機長のアナウンスは、「Captain speaking. I’m sorry , over-run」、ただそれだけだった。さしづめ、安全地帯に止まっているのだから、たいしたことはないという程度の感覚だったのだろうか。                           (H29.2.27記)

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風に吹かれて( H29年 2月号 : 加賀の井酒造)

空は明るくなってきましたが、大寒に入り、立春までは寒い日が続きます。

 

昨日きょうと札幌を往復しましたが、日中の最高気温が-7℃、積雪も相当で、地元の方々も「久しぶりに冬らしい冬だ」といいます。空からは、容姿端麗な「真白き富士」が望めて、日本の国土の美しさにつくづくと感じ入りました。

 

 さて、本号では、12月に起きたいくつかの事象についての感想を述べますが、それにしても、上海の「大江戸温泉ブランド」盗用事件、ひどいものですね。かの国に「知的財産権」を求めるのは、「ないものねだり」になるのですが、それでも、これから先、どういう後始末になっていくか、興味は尽きません。

 

 

 

● 糸魚川の大火と「加賀の井酒造」

 

 12月22日に発生した「糸魚川大火」では、4ha、144戸が被災、1650年創業、350年の老舗である「加賀の井酒造」も焼失した。また、市街を東西方向に走る本町の「雁木通り」、20年ほど前に再建した歴史的町並みが失われてしまった。

 

 

 

 

 

この酒造会社が、新潟県にありながらも、「加賀」と名乗っている背景には、加賀藩の参勤交代で北国街道から越後に入った最初の宿が糸魚川、ここは本陣兼蔵元だったため、前田家から名称使用の「お許し」を得たことに因んでいる。

 

越後と佐渡を広く治めた上杉が会津に転封された後、徳川幕藩体制の完成期(1664年ごろ)の越後地方は、代官所が置かれる幕府の直轄地と10藩を超える大名領とに分かれていた。5万石を超える藩は、長岡(牧野)、新発田(溝口)、村上(内藤)、高田(松平~榊原)であり、糸魚川藩一万石は、当初は高田藩の出城で、後に越前とゆかりのある松平の領地となって幕末まで続く。これらの多くは、親藩、譜代の大名で、直轄地の代官所と併せて、いつでも軍事応援に出られるような、西の加賀前田藩を牽制できるような形をとっていた。

 

さらに、商業、経済活動としては、越後に入って糸魚川から直江津に至り、そこから<高田~松代~上田~小諸~中山道>というメインル-トの始点と糸魚川から南下する信濃道の結節点を兼ね、西の大藩「加賀」の影響も強い。

 

 

 

 

 

 糸魚川は、昭和7年(1932年)にも大火に遭遇している。この大災害からの立ち直りには多大の努力と時間を要した。景観を特徴づけている雪国に独特の雁木(店先と店先を通しの庇=ひさしで結び雪や雨をしのいで行動できる)の再建は夢であった。平成4年ごろに再建され「昔ながらの風景」として、観光にも一役買っていた「雁木通り」を失なうことは大きな痛手である。「加賀の井酒造」は、地域おこしにも熱心だったし、農林漁業にも理解が深くて、従業員たちには、田植え、草刈り、見回り、刈取りなどの農作業を実践させていた。

 

 酒造工場が焼失したとなれば、気にかかるのは、酒蔵の中に育ってきた麹菌、酵母菌などの働きを再構築できるかである。「天使の分け前」ともいわれ、蔵の中は微妙な「菌のバランス」が保たれていたが、それがどうなるか。しかし、過度に心配することはない。いままでも、阪神淡路大震災、東日本大震災から、経営者・従業員の知恵と工夫と意欲で見事に復興がなされたし、「加賀の井」も友好会社「銀盤」(黒部市)の一角を借りて再建に乗り出している。(1/10読売)

 

 

 

ロシアで 「ツポレフ154」 墜落

 

 冬季オリンピックの開催地「ソチ」を飛び立った「ツポレフ154」旅客機がカスピ海に墜落し、乗客、乗務員92名が死亡した。ロシア政府は、「これはテロではなく、機械トラブルか操縦ミスによるものであろう」とコメントした。

 

10年も前の話になるが、スカンジナビア航空でストックホルムへの旅の途中、コペンハ-ゲンで相当数の乗客を降ろして、離陸しようとしている機内では、少なくなった乗客のバランスを調整するためなのか、パ-サ-が隣の席に腰を掛けてきた。空港に駐機している飛行機を窓から指さし、「あの飛行機を知っているか?あれは<ツポレフ>といって、世界で最も危険な飛行機だ。ロシアの国内ではたくさん墜落している。決して乗ってはいけない」というのだった。

 

 計画経済のノルマ主義に馴らされたロシアの根性は、そう簡単には直らない。いつの日にか、また同じようなことが起きるのではないだろうか。

 

 もう一つ余談になる。離陸後のこと、まばらになった機内の乗客に向かって、パ-サ-が「どちら様も、お座席は自由に移動をしていただいて結構です」を英語で“Spread!”といって“Scatter?”でも“ Splay?”でもなかった。

 

 

 

● ロシアの対中国政策

 

 中国は、ロシア(ウクライナ)から中古の航空母艦「ヴァリャ-グ」を買い取って「遼寧」に改造した。これに搭載している戦闘機は「殲15」であるが、当初はロシアSUのライセンス生産で、その後は「模倣した中国産」になった。ロシアは、艦船でも戦闘機でも、万が一中露が戦うときに備え、必ずロシアが勝つように、最も重要な部分の性能は落としていたといわれている。模倣ともなれば、また、パイロット等の技術レベル、巨大システムの運用面を見れば、ヴァリャ-グをリニュ-アルした「遼寧」では、大きな事故が起きそうな気がする。国内では分からなかったが、公海での事故なら、各国とも分析しやすい。これからは、自衛隊の情報収集能力が試されている。

 

 

 

● シンクロ歩き

 

オリンピック競技にもある水泳の「シンクロ」だが、この選手たちは独特の歩き方をする。顔を上げ、胸と肩を前方に突き出し、手をそろえての行進だ。

 

「いつかどこかで見た歩き方だなあ」と感じて、すぐに思い出し、北朝鮮やナチスドイツの軍事パレ-ドへの連想に行き着いた。軍事パレ-ドの場合には両肩を保ったまま両足の膝を曲げずに突き出していくのだが、全体イメ-ジは妙に重なり、何となく右手と右足、左手と左足が同時に出るような恰好なのだ。大衆からは、この形が最も美しく見えるのであろう。リ-フェンシュタ-ルの「民族の祭典」「美の祭典」も浮かんできて、ナチスの幻惑術には改めて感心だ。

 

 

 

 

 

余談になるが、江戸時代の武士の歩き方は、右手右足、左手左足が連動する「なんば歩き」だったの説があるが、これは、どうやら正しくないらしい。

 

着物が乱れないとか、刀を腰に差すときに便利だとか、はたまた、武器で

 

攻撃するときに力が入るなどともいうが、思うに、城中などで裃、長袴をつけ、袴の前を同じ側の手でつまんで前進したからではないか。ちなみに、赤ん坊のハイハイは、右手と右足、左手と左足が同時に出る。                            (H29.1.26記)

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風に吹かれて( H29年 新春号 : それ青陽の春になれば )

皆様には1年間まことにお世話になりました。どうかよい年をお迎えください。

 

 

 

 

 

冬至(12月21日)も過ぎて、日は少しずつ長くなってきた気がします。旅の途中、「特急あずさ」から望む白銀の南アルプス連山も日差しは明るく、「一陽来復」の気配です。とはいえ、「冬至は冬中、冬始め」の例えのとおり、自宅の点検に通う安曇野の寒さは尋常ではなく、身体の芯底から冷えて震え上がり、「一日も早い春を!」と願うこのごろです。(あずさ号は50周年だそうです)

 

 

 

 

 

 新年は「酉年」、72歳の年男なのですが、どのような年になるのでしょうか。さて、今回は、日ごろの印象についての散文と12月号に続く「日米開戦」に関する読書感想文を掲載しました。(注) 近所のしゃれた建物の写真を添付しました。

 

 

 

● 右からの横書き名刺がない訳

 

 日経新聞の日曜版「現代言葉考」(井上史雄)は、毎週楽しく読んでいる。12月4日号でも、目の鱗が落ちて妙に納得してしまった。

 

 

 

 まず第一、「右横書きが日本の伝統的な書き方」という点について、「伝統的書き方はあくまでも縦書き」であって、右からの横書きに見えるのは、「1行に1文字の縦書き」が誤って横書きと受け取られたのであるとの説明である。

 

次いで、「なぜ名刺に右横書きがなかったのか」については、「答えは単純で、長い電話番号と郵便番号の登場まで名刺は縦書きで済んでいたから」であった。

 

 

 

● 農場から食卓へ

 

  消費者と生産者、都市と農村は決して対立するものではない。「農産物」は、生産、加工、流通、販売、サ-ビスのプロセスを経て、家庭の「食料」となる。農場から食卓は一本の“絆”(フ-ドチェ-ン)でつながって、循環している。そして、生産は、あくまでも消費を意識しながら行われなければならない。この意識を「マ-ケットイン」という。「売る」は、旧漢字では、「賣る」と書く。すなわち、「買う」が先にあり、それに応えるというのが起源のようで、たまたま余り物を売っているのではない。

 

 

 

ロ-カルフ-ドの時代、「農場から食卓」(Farm to Table)も、アメリカでは、多様な考え方と役割を反映させた表現になり始めている。

 

“Seed to Plate”、“ Farm to Fork”、“Know your farm , Know your food”、

 

 “No farm , No food” etc.

 

 

 

● サミットの風景が変わる?

 

先進国サミットでの各国首脳の写真撮影は、「議長国の首脳が中心で、着任が古い順に内側から外側へ」というのが慣例らしい。

 

米国のオバマ大統領、英国のキャメロン首相が去って、この1月のイタリアサミットは風景が一変しそうだ。最古参のメルケル首相(2005年11月~)は別格の内側、イタリアの隣としても、次はオランド大統領(2012年4月~)か、2012年12月就任ではあるが第一次内閣での履歴のある安倍首相になるのかは難しいところだ。ちなみに、オランドさんは、この春、一期で引退ともいっている。そして、何よりやっかいなのは、新参者の米トランプ大統領の扱いだ。彼のプライドが慣例通りの並び順を許すか、国務省の初仕事は頭が痛いだろう。

 

「仮りに」の話だが、安倍さんが第二順位ということになると、イタリアを挟んで「日独伊の枢軸同盟」が写真の中央に並び、保護主義が台頭する世相を反映したかのように、第二次大戦前の姿とダブってしまいそうである。

 

 

 

● 日米開戦と人造石油

 

 朝日新書「日米開戦と人造石油」(岩間敏)を興味深く読んだ。

 

 ともに石油資源に恵まれない日独両国ではあったが、ドイツは、ヨ-ロッパ制覇の大目標の下で、資源の自給自足(アウタルキ-)を計画的に進めていた。石油についても、技術の統合、積み上げを基礎にしたシステム思考により最終段階では470万キロリットルの人造石油の生産を実現している。余談になるが、食料についても、化学肥料原料の輸入途絶を前提にして、有機農業システムを完成させている。「有機農業」の始まりは、きれいごとではなかったのである。

 

 

 

そのドイツを手本にしながらも、日本では、人造石油は、実質的にゼロ生産しかできなかった。歴史的な積み上げ、取り組みの姿勢と体制(システム)に大きな違いがあったからである。また、制海権に関わる占領地からの石油輸送についても楽観論を前提とした机上の計画が立てられる。「食糧も大丈夫也」と説明した鈴木貞一企画院総裁は、石油についても、何の社会科学的根拠もなく「大丈夫」といっている。挙げ句の果てに、占領下のフランス駐在武官からの不確実な電報「ドイツは、フランス占領地内で松の木から液体燃料を製造しているらしい」に踊らされて、日本国中が松根堀りに動員される。これも実戦に使われないまま、海軍燃料廠が空襲されてすべて焼失という大失態であった。

 

 

 

 19世紀末以来、最先端の科学技術を発展させ、各専門分野の大企業の統合=「IGファルベン社」が結成されていたドイツ、それに加え、人造石油製造の困難さを十分に認識し慎重にデ-タを重ねた上で本格操業に移行したドイツに比べてすべてがお粗末な日本の姿、特に軍部の姿が明らかにされている。

 

永野護の著作にもあるように、「アメリカの軍事力も同じで、結局のところ、日本は、サイエンテイフィック・マネ-ジメントができず、ただでさえ国力に差があるにもかかわらず、少ない資源を集中・効率的に使う考え方にならない。例えば、川に10本の橋を架けないと交通量が裁けないとき、日本の場合には漫然と10本取りかかるので、どの工事もみな資材が足らず、1本も完成しない。アメリカならば、有効なもの、早いものを優先して5本でも、場合によれば1本でも実現させる」ということなのかも知れない。

 

 「戦争とは政治の延長で、日本は、最も重要で国家の存亡を賭けた決断の時期に、それに対処できる政治家と専門家を持てなかった」との岩間の総括は印象的である。(H28.12.26記)

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風に吹かれて( H28年12月号 :山が白くなってきました)

 あづみ野から見る山々が白くなってきました。白馬連峰や後立連山はすでに初冬の装い、11月の中旬に白馬村へ行く用事があり、1泊しましたが、翌朝は、田んぼに一面の霜が降り、朝霧の向こうに輝く白馬三山の眺めは荘厳でした。常念山脈も、尾根筋辺りは雪しぐれの模様で、本格的な冬の季節になります。

 

この勤労感謝の日には、外の不凍栓を閉めてボイラ-も水を抜き、室内では、すべての蛇口を全開、洗面台のトラップには不凍液を入れました。最後に車も預けて、冬支度は完成。ご近所の玄関先では、スタッドレスタイヤへの交換に大わらわ、これからは、しばらく、「月に一度の通勤点検体制」に入ります。

 

 

 

 

 

 さて、今回は、いつも通りの散文・駄文に加えて、印象深かった本の紹介をいたします。加藤陽子さん(東大文学部教授)の「戦争まで」(朝日出版社)は、日米開戦に先立つ<三つの選択>(満州事変、日独伊三国同盟、日米交渉)を冷静・客観的、かつ、わかりやすく解説しています。

 

                                 *別冊をお読みください

 

 

 

 余談になりますが、英国のEU離脱といい、米国でのトランプ当選といい、このところ、マスコミの分析・報道は、黒星続きです。人々の深層に至る心理状況を掌握しない思い込みの報道や情報社会の変化への的確な対応がなされていないという点で、日本の戦前の報道の様子を彷彿とさせます。落選のときの山崎拓さんの言葉を思い出しました。「固定電話による選挙予想なんて当てにはならない。電話に出るのは年寄りばかり、これからは、携帯やツイッタ-だ」

 

● 嚥下障害の発見と対策

 

NHKラジオの深夜便や早朝の番組には、役立つ情報が多い。11月初旬放送の「嚥下障害」は、とりわけ身につまされるものだった。インタビュ-に応えた解説は、「神鋼中央病院」の専門医で、ウロ覚えの点は、ご容赦願いたい。

 

・ 兆候の発見 (ポイント)

 

① 痰が詰まる、出る回数が増えた。(痰のように見えても、実は「唾」)

 

② 声色が変わった。(低い、かすれる)

 

③ しばしば、むせる。

 

④ 唾が口の中にたまり、ときとして口元から溢れる。

 

⑤ 食べ物が喉元に残っている感じがする。

 

⑥ 喉が詰まる感じがする。

 

⑦ 寝ていて咳が出る

 

⑧ カラの咳払いが多くなった。

 

⑨ 水が飲みにくい

 

⑩ 食べ物が鼻に逆流する。

 

* 判定:1~3項目該当=問題なし、4~6=要注意・要観察、7~医者へ行く

 

 

 

・ 予防と対策

 

① 少量の水または唾を呑み込んで、喉頭(ノド仏)の上昇を確認する。

 

② 喉頭を持ち上げて、10秒保持する。

 

③ 舌の上に食べ物を乗せて、10秒待つ。

 

④ カラ状態で喉頭を持ち上げて保持する。

 

⑤ これらを、いずれも、1回10秒程度、1日3回繰り返す。

 

(効果を確認できない場合には、10秒1回を、10秒3回に増やす)

 

 

 

● なんだかちょっと 「とぼけた話」 2つ

 

・ 野菜価格高騰で学校給食はお休み?

 

鈴鹿市長が、<野菜価格の高騰により給食費の範囲内での食材調達が困難になったため12月と1月にそれぞれ1日ずつ学校給食を休止する>としていた<市教育委員会の決定>を撤回する、と述べた(11/2)。

 

当然のことである。こういうときこそ、規格外品、大根の葉、サツマイモのつる、野菜の外皮・芯の有効利用による「もったいない」調理、地域の生産者からの直接購入、持ち寄りなどによる自校での調理や児童・生徒自らの調理、災害を体験する備蓄食料の摂取などの工夫があってしかるべきだと思う。また、郷土の伝統料理を楽しむ日へと切り替えてもよい。「完全栄養給食」の時代は、すでに終わった。食育と食文化の「スク-ルランチ」に切り替えよう。

 

 

 

 

 

そもそも、地域や学校ごとの個性を無視して、県や市の外郭団体を通ずる食材の一括・規格品購入、「センタ-方式」による大量で、統一、画一な献立が柔軟性を妨げているのだから、給食の根本的なあり方にこそ問題がある。

 

ちなみに、さいたま市の全小中学校(56校)は、「自校調理方式」に切り替え、食材も3割を県産の農産物で賄うことにしたという(10/22)。児童・生徒が自分でごはんを炊く、学校近くの生産者の農産物を使う、地域に伝わる料理を自分たちでつくって体験する、そのような事例は多い。小中学校の数が43校の鈴鹿市にできない理由はない。「私は聞いていなかった」と市長は逃げるが、「いままでは、関心がなかった、遅れていたのだ」といわざるを得ない。

 

 

 

 

 

 つぎに、アメリカの話になるが、“Farm to School Program”と称する運動、「ロ-カル・フ-ド」を積極的に学校給食に利用する取組が盛んになっている。現状、といっても2009年の数字であるが、全米の41州、2065学校区のうち、8943校において実施されているそうだ。(全米農業学校ネットワ-ク調べ)

 

 

 

・ 障害者会議の会場がバリアフリ-ではない?

 

 これまた「とぼけた話」で、11月12日の産経新聞からである。前日、都内で開催された「社会保障審議会障害者部会」で、会場がバリアフリ-に対応していなかった。そのため、車いすを利用する日本身体障害者団体連合会副会長の小西慶一委員は、引き上げざるを得なかったというのである。

 

 下見もせず、インタ-ネットなどで会場を手当てする最近の無責任な風潮がこのような結果を招いた。担当者もその上司も「噴飯もの」である。しかも、開催主体が「厚生労働省」だったから、なおのこと情けない。

 

 参加をあきらめた小西委員のコメントは痛烈だ。「厚労省だけの問題ではなく、世の中がそうなっているので驚かない」                       (H28.11.29記)

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風に吹かれて( H28年12月号・別冊:「戦争まで」)

加藤陽子さん(東大文学部教授)の 著作 「戦争まで」 (朝日出版社)の

 

エッセンスを紹介します。日米開戦の岐路ともいえる三つの選択(満州事変、日独伊三国同盟、日米交渉)を扱っていますが、要約は、独断になっています。

 

●日米開戦

 

 

 

12月8日は日米開戦の日である。1941年のこの日、NHKラジオは伝えた

 

「臨時ニュ-スを申し上げます、臨時ニュ-スを申し上げます。大本営陸海軍部発表。本8日未明、帝国陸海軍は、西太平洋上において米英軍と戦闘状態に入れり」

 

 

 

 

 

このアナウンスは、毎年12月になると、いまでも繰り返し放送される。

 

当時、日米間には圧倒的な経済力の差があり、これは<みなが承知していた>にもかかわらず、なぜ日本は開戦に至ったのか、背景・経緯を、先立つ10年の3つ大きな交渉(選択失敗の交渉)から解きほぐしている。容易に入手できる史料を丹念に読んでいくという「歴史学の方法」により、これまの思い込みや刷り込みから一歩下がって、深層に至るまで客観的に分析している名著である。

 

 

 

 

 

さて、同じ史料を用いながら、なぜ違う結論が出るのか、そのポイントを自己流に整理すれば、①欧米の巧妙に練られた論述の含意の読取り方の不足、②シグナルの不感知、③一発勝負の博打根性、④二者択一の精神、④付和雷同で時節便乗・煽り型のマスコミ報道の姿勢であり、これらはいまでも変わらない。

 

● 満州事変(1931年)~真珠湾攻撃(1941年)まで

 

① 日本というのは「戦争を戦争で説明してきた国」である

 

日露戦争の開戦原因は、朝鮮半島に対する日本の「完全な政治的・軍事的支配権」をロシアに認めさせる戦争だったが、その後、「ロシアによって占領された満州を日本が中国(清)に代わって取り返した」と変わっていく。

 

 

 

② アメリカによる石油の全面禁輸のためのやむにやまれぬ開戦だった

 

「経済封鎖されたから開戦せざるを得なかった」と、受動態で戦争を語る人が多いが、米国の決定をよく読めば、日本にとり<実害が小さい物資に限る>など、交渉継続への道は閉ざされていなかったことが分かる。

 

 

 

③ アメリカの大学では、キュ-バ危機についてきちんと教えている

 

若い人たちには、社会の動きを柔軟に、冷静に考えて欲しい。アメリカの大学では、「キュ-バ危機のような問題に直面したとき、いかなる選択肢があったのか」と、学問的な態度で考える素地を教養課程で教えている。

 

過去の3つの選択の過程=失敗に帰した選択の過程を、当時の資料を丹念に読むこと、学んでおくことが重要なのではないか。

 

 

 

④ なぜ日本が軍国主義的な政策をとったのか

 

一般的には、「世界不況に際し、経済のブロック化が進んだ結果、日本経済は大打撃を受け窮地に立たされ、やむなく侵略の道を取った」と説明される。

 

しかし、当時の経済実績を見れば、とくに1910年から1920年代前半にかけ、

 

日本の工業製品輸出額はかなり増大しており、世界規模で売れていた。英仏などの植民地帝国に締め出されたから軍国主義になったとの説明は効かない。

 

 

 

⑤ 三国軍事同盟というのはなんのために結ばれたのか

 

「ドイツは軍事的に強い国だから乗ろう」と、考えたのではなく、むしろ、ドイツを牽制するための同盟だった。日本は「第2次大戦がドイツの圧勝で終わる」と見て、フランス、オランダのアジア植民地をドイツがゴッソリと押さえてしまうのを阻止したかったというのが真実である。そもそも、軍事同盟には、「仮想敵国」「援助義務」に加えて、「勢力圏」と三つの要素がある。

 

 

 

⑥ 日本の軍人たちは、組織の利害だけを考えて、国民のことも、総力戦における

 

英米の軍事力の凄さも一切顧みずに、無謀な戦争に突入した

 

軍人サイドだけから見た歴史観でなく、国民側はどうだったのかを問おう。1940年代、ラジオは高い普及率に到達、新聞は数百万単位、と国民に情報を届けるシステムは十分だった。情報を伝えるメデイアが、例えば、リットン報告書に対して「支那側狂喜」と扇動した(事実は、必ずしも中国側の主張に肩を持つ報告ではなく、満州における日本の権益をある程度認めていた)。近衛の日米交渉に対しても、「ユダヤ的金権幕府」などレッテルを貼る。いま起こりつつある事象を大局・客観的に見るべきマスコミが、誤った選択の片棒を担ぐ。指導者は、「売国奴」というレッテルを最も恐れる。これからは、マスコミに、このようなミスリ-ドが踊らないように願うものである。

 

 

 

⑦ 日本型の組織はいまでも「円錐台モデル」

 

トップに意思がなく、情報も上には行かない。「ピラミッド形」の頂上がないのを「円錐台モデル」といってよい。大佐や中佐クラスが持ってきた案を軍令部総長が大本営で読み上げて、政府連絡会議でも通ってしまう。形ばかりの会議でしかない。

 

   天皇陛下が望んでいないことが、不毛の過程を経て通ってしまう、それが、いまでも残る「日本型の

 

   組織モデル」ではないのか。                      (H28.11.29記)

 

 

 

* 加藤陽子の先行著書『それでも日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)、『満州事変から日中戦争へ』(岩波新書 シリ-ズ日本近現代史⑤)、および「リットン報告書」(渡辺昇一)、「食糧も大丈夫也」(海野洋)も参考になる。

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風に吹かれて( H28年11月号 :アテンション・プリーズ)

後立山、白馬など遠い山々にようやく雪が来ました。常念山脈はまだ黒々としていますが、あづみ野は、これから、ぐっと寒くなります。シュウメイギク、ホトトギス、ムラサキシキブ、チャノハナと、秋の名残りの花が咲いて、柿も鈴なりです。熟して甘くなるのを待つか、干し柿にするかは迷うところです。この秋は、暖かだったせいか、1,000mの高みに上がっても「紅葉はいまひとつ」。それでも、間もなく冬、中央線の車窓からの展望とお酒の美味しい季節です。

 

  絶景のなかを行く「特急あずさ」なのですが、運行50周年を迎えて、線路の安定、車輌の刷新、サ-ビスの向上などの面で課題は多いと思います。

 

 

 

●  解散の呼び水・・・「おコメのりんとく

 

永田町では、解散風が「吹いたり止んだり」。解散は総理の専権なのだから、<死んだふり解散>もありで油断は禁物、「常在戦場」だ。衆議院の本会議場にいつ紫の袱紗(天皇陛下の解散詔書)が入場して来るのか、12月か、1月か、また、本会議招集=<寝たる子を起こす>ためのネタは何か、興味は尽きない。

 

 

 

1月解散の事例を挙げよう。25年も前のことだった。(解散を告げる)衆議院本会議招集の理由に、小生所管の「お米のりんとく(臨時特例法案)」 が使われた。農家が受け取る「(おコメの)減反補助金」を「一時所得扱い」として、税制上有利に扱う臨時特例法案で、与野党いずれにも反対がなく、確定申告の時期に間に合わせるため、通常国会冒頭で成立させる「法律第1号」になっていた。

 

 

 

 「本年もよろしくお願いします」と根回しに行ったとき、自民党国対からは、「今年は参議院先議にさせてもらうよ」といわれてしまう。「それで確定申告に間に合いますか?」、「大丈夫、保証する」というやり取りがあった。

 

なぜこの年に限って<参議院先議>なのか、そのシナリオはこうである。

 

①     参議院先議・可決~衆議院に送付→②(衆) 財政金融委員会での可決→③ (成立を急ぐためとして)本会議招集→④ 本会議で委員長報告~その間に紫の袱紗が登場・議長に手渡し→⑤ 解散詔書読み上げ = 解散!「万歳、バンザイ!」

 

 自民党国対、恐るべし。自民党大会は3月となっているし、<定数6減>にならないうち、1月解散→2月の総選挙で、日程上も問題はなく、おかしくない。

 

 

 

●    過ぎ去りし夏の日の思い出

 

猛烈に暑かったこの夏の印象を2つ記しておきたい。

 

まずはゴルフの話から。茨城県の「阿見ゴルフクラブ」で一緒にプレ-したHさんであるが、スタ-トのテイ-で、暑かろうにウインドブレ-カ-を着て、 しかも妙に膨らんでいる。耳を澄ませばブ-ンという音もする。尋ねてみれば、これは鉄工所など熱いところで着用する「防熱・防暑服」。腰の辺りには小さなファンが左右2つ付いていて、スイッチを入れると風が来て涼しい。確かに、音は若干気になるが、なかなかの優れものと見た。気をつけていると、自宅の近く、市ヶ谷界隈の工事現場でも、同じようなものを着用する人を見かけた。

 

  つぎは、野菜農家の知恵である。群馬、長野の高原キャベツ地帯では、暑い夏の日差しを避けるため、いずれは剥いで捨ててしまうことになるキャベツの外皮を帽子内側に敷く。効果は抜群、究極のビレッジ・ファッションである。

 

「まあ、よく考えついたものだなあ」と感心してしまう

 

 

 

●    アテンション・プリーズ

 

「アテンション・プリ-ズ・・・」これは、ある日の地下鉄・市ヶ谷駅である。

 

一瞬、「ここは羽田か成田か」と錯覚してしまう。海外からの観光客4,000万人時代(2020年)を控えて、いよいよ一般交通機関も外国語案内に舵を切った。

 

“Attention please , Ladies and Gentlemen. Tokyo-metro Hibiya-line temporarily stops its operation from Hiro-o to Higashi-ginza” フムフム。

 

 いずれは、中国語、韓国語のアナウンスも加わってくるだろう。

 

 

 

●    ちょっと楽しい話 あれこれ

 

  これまで手帳にメモしながら、まだ掲載しなかった小話を書いておきたい。

 

なかでも、半藤一利さんの「B面昭和史」は面白い。

 

 

 

・ボウコウ・コウモン前 防府、読み方は「ホウフ」であるが、省略形では「ボウ」となる。防府高校は、略称「ボウコウ」。したがって、バス停のアナウンスは、「つぎは-、ボウコウ、コウモン前」。卒業生でNHKのアナウンサ-であった山根基世さんがそういったという。(文藝春秋8月号)

 

・蓮根切り口紋様 「見通しがきく」として縁起のいい紋様とされている。ハスの葉のくぼみに酒をつげば、その長い茎をストロ-にして吸うことができるから、これを“象鼻杯”というらしい。酒豪で有名な民進党の野田幹事長は、自らを「蓮の花を支える蓮根」と称するが、支えるのか吸い取るのか難しいところだ。(日本農業新聞7月21日 くらしの紋様)

 

・創氏改名 1939年(昭和14年)12月の朝鮮戸籍令を逆手にとってつけられた珍名の一例に、「田農・丙可」(テンノ-・ヘイカ)というのがあったそうだ。ほかにも、「南・太郎」が例示されている。ときの朝鮮総督府長官が「南・次郎大将」だったから、いずれもしたたかなものである。(「B面昭和史」以下同じ)

 

・阿部定事件  愛する男性の下半身・逸物をちょん切って逃げた「阿部定」を冷やかした小話である。<お定は逃げるとき何を持っていたか?><胸に一物、手に荷物><お定はどこへ逃げたのか?><それは地上(痴情)の果てさ>

 

・コレキヨ  2・26事件のとき、高橋是清蔵相は入浴中。銃声を聞き、すっ裸で飛び出した。護衛の警官が浴衣(ゆかた)を持って、追いかけながら叫んだ。 <コレキヨ!これ着よ!> いつの世にもダジャレは尽きない。

 

 

 

●    ボブ・デイランにノーベル文学賞

 

フォ-クソング・ファンの一人として喜ばしい。しばらく続いた<沈黙>に「傲慢、無礼」の声もあったそうだが、「従順で礼儀正しいボブデイラン」など想像できない。これから受賞までどうなるか、こちらも面白そうである。

 

もしビ-トルズが続いていたならば、もっと早くに受賞していたかも知れない。 彼らは「現代の吟遊詩人」、歌詞は「人生の詩集」である。                               (H28.11.1記)

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風に吹かれて( H28年10月号 :むらの有線放送が終了)

9月初めでしたが、好天を見つけ、「五竜白馬高山植物園」(標高1500m)に出かけました。混雑も去ったゲレンデには、秋の高山植物が数多く見られます。家内のお目当ては「ヒマラヤの青いケシ」ですが、7月中旬頃が開花の最盛期だそうで「残念ながら」と思っていたら、なんと「冷蔵庫に入れて抑制栽培をしていた株がいくつか移植されています」と教えられて、運よく見ることができました。せっかく撮った写真でしたが、ズ-ムを合わせ損なって、まさに<ちょっとピンぼけ>“ a slightly out of focus ”(R・キャパ)です。

 

 

 

  そして、長雨にたたられていたあづみ野の稲刈りも再開され、周囲の風景はすっかり秋模様です。黒部や涸沢から、錦秋のたよりも近いことでしょう。

 

 

 

●    日本一危険な駅は「飯田橋」

 

関係団体のアンケ-トによれば、視聴覚障碍者が日本一危険を感じる駅は「JR飯田橋」だそうだが同感である。旧飯田町と旧牛込を無理につないだこの駅は、ものすごく湾曲したホ-ムで、健常者ですら恐ろしい。(9/7 NHK)

 

 これほど危険を無視した駅は珍しく、他にはといえば東武浅草の特急ホ-ムぐらいだろうか。JR当局にも自覚はあるらしく、ホ-ムを市ヶ谷駅方向に 移動させる直線化工事をしているが、近くに養護学校もあり、遅きに失する。

 

 

 

● わたしはユニーク? 「言葉の乱れは心の乱れ」?

 

 民進党の代表選は、「地方票の締切り後に二重国籍発表」という禁じ手で、大方の予想通り、蓮舫議員が大勝した。「江川投手空白の一日」を彷彿とさせる。忘れてならないのは、二重国籍問題とは「マイノリテイへの差別や多様性の否定」ではなく、トップに立とうとする人間の基本的資質に関わることなので、①不確かな記憶でものを言ってはいけない(ウラを取れ)、②自らの過去の発言には責任を持て(過去の発言録チェックは当然)、③トップの情報は公開する、この3点だろう。この後は、発言・姿勢に二転三転がないように願いたい。

 

「蓮根幹事長」も大変だが、「落とし前をつけるのだ」そうで、ちと物々しい。

 

 

 

● 北朝鮮、自軍兵士の脱走・亡命防止のために地雷を敷設

 

 ソウル発の共同電である。(8/23)全体主義の国では、人命は鴻毛より軽い。

 

 

 

①    北朝鮮のこの例は、反対派の動きを封じる粛清、逃亡・亡命防止のための国内親類・関係者の収容所送りと強制労働などの高まりと並び、政権末期の現象が明確に表われているようだ。

 

  ところで、国家体制の維持のためとはいえ、多額の費用を要する核実験を年に2回、弾道ミサイ

 

ルは9月までに20発以上と、こちらも尋常ではない。

 

②   ノモンハン戦争における旧ソ連軍では、歩兵が逃げ出さないよう戦車に鎖で繋ぎ、むりやり前進させていたともいわれる。一方の日本軍も、火炎瓶やら切込み、肉弾攻撃で戦車に立ち向かうというひどいものだったのだが・・・

 

③    日中戦争における旧日本陸軍では、戦車前方の地雷をチェックするために歩兵を横一列に並ばせて進軍、安全確認されてから戦車を繰り出すという「歩兵斥候作戦」がとられた。戦車の値段は高いが、歩兵は赤紙一枚だからだ。

 

                                    (H28.9.28記)

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風に吹かれて( H28年9月号 : 「淡粧濃抹」 総て相宜し)

 

 

  このところ、気象が暴力的になった気がします。西日本では、連日、異常とも思える猛暑が続いていますし、東日本では、連発台風、列島縦断の台風による豪雨に見舞われています。あづみ野も、8月中旬まで、日中は、着ているものを通して太陽の熱が肌に浸みて、ジリジリする感じでした。ただ、常念山脈から吹く風のお蔭で、エアコンは使わずに過ごせましたし、朝晩は、布団が必要なほどに涼しくて助かりましたので、文句はいえません。

 

すでに稲穂は重く垂れて収穫を待っており、庭には、赤トンボが飛び始めて、小学校も2学期に入りました。

 

 

 

 

 

● バッハ会長の善政?

 

 8月5~21日、205ケ国・地域の参加の下、リオ・オリンピックが開催され、日本の成績は上々、「根性」から「システム」へと時代の変化を感じさせられた。

 

 

 

ド-ピング問題では、「ロシアに魂を売り渡した」と評判の悪いIOCのバッハ会長であるが、よいこともやっているように見える。リオのオリンピックでは、10人の難民で構成された「難民選手団」の参加が認められた。UNHCRによれば、難民の推定数は6530万人、エチオピア、シリア、コンゴ、南ス-ダンなどの

 

 

 

難民には優れた選手も多い。柔道女子70kg級のブカサ(コンゴ→ブラジル)、競泳男子のアニス(シリア→ベルギ-)などだが、日本での報道は少なかった。

 

 

 

ところで、これらの選手が金メダルを取った場合、表彰式での国旗、国歌はどうなるはずだったのか。国旗に代わるものは「五輪の旗」として、「国歌」の方はどうだったのか。かつて、東西ドイツが合同チ-ムを作り参加したときの

 

 

 

前例では、国歌に代わったのは「ベ-ト-ベンの歓喜の歌」だったように記憶する。この例に倣うか、それとも、スメタナの“モルダウ”、フォ-クソングの“わが祖国”の部分でも聞ければ嬉しかったのだが、その場面はなかった。

 

 

 

ブカサは、「将来は五輪で学んだことを自分の国で生かしたい」といっていた。

 

 

 

 2020東京オリンピックへ「五輪旗」のバトンタッチも滞りなく終わり、小池知事には、格好の晴れ舞台となった。これが最初で最後とならぬよう願いたい。

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●「大年増の厚化粧」 vs.「淡粧濃抹」

 

 

 

     都知事選は、予想通り、小池百合子の圧勝となった。勝利の原因はいろいろ取りざたされているが、決定的だったのが、最終段階での石原慎太郎の演説、

 

「大年増の厚化粧」であることは衆目の一致するところだ。

 

 勘ぐりかもしれないが、石原は、<小池に勝たせるために敢えてあの言葉を使った>のではなかろうか。だとすれば、1発の銃弾も放たず、言語だけで100万以上の票を獲得させる、まこと稀代の革命家?といわざるを得ない。

 

   皮肉などではない。彼のように博識で、見識もある者?が言葉を口からただ垂れ流すことはないし、中国古典にある「淡粧濃抹」を知らないはずもなかろう。

 

(詩人「蘇軾」は、その七言絶句で「淡粧濃抹総相宜」と女性の美を表現する。<いにしえの美女の西施は、薄化粧も丹念な化粧でも、どちらも風情がある>もっとも、詩の題は「(湖上に一杯やり、晴れのち雨(負け)」だったが)

 

 

 

 さて、「大年増」の方だが、歌舞伎などでは、20歳過ぎが年増、28~29歳 ぐらいが中年増、大年増は30歳過ぎまでといい、こちらの方もややずれていた。 いずれにせよ、「勝てば官軍、負ければなんとやら」、結果として辞めさせ られたのが、小池の応援団の方ではなく、自民党都連の幹部だったのも面白い。

 

 

 

 ● 中国漁船が沈没、漂流乗組員を「日本の」海保が救出

 

  8月11日、中国漁船が、「尖閣諸島沖の公海?」で、ギリシア船籍の貨物船(約10万トン)と衝突し、沈没した。漁船乗組員14人のうち、漂流していた6人を「日本の海保巡視船」が救出したが、残る8人は行方不明である。

 

 

 

海保による救出に対して、中国国内のインタ-ネットが賑やかだったそうで、「(尖閣の領有権を巡り)この海域に15隻も派遣されていた“中国の海警局”は何をしていたんだ。日本の海保に救助されてしまったのでは、日本の管轄権の行使(=領有権)を認めることになるのではないか」などのやりとりも報じられている。

 

 

 

中国の軍事、行政は、極端な縦割り、相互不干渉で柔軟性に欠けてる。この海警船団に与えられた<特別任務>は尖閣諸島領有への実績づくりなのだから、いくら近くにいても、公海上での救援活動は、任務・権限外のことなのだろう。

 

 

 

● かつての職業意識がいつまでも・・・

 

  8月の初めのこと、新聞を見ていて一瞬ドキッとした。見出しはこう見えた。“ハッカ-攻撃 「霞が関」”。よく見れば、なんのことはない、「露・が・関・与」で、ハッカ-攻撃にはロシアが関与したとの報道なのだ。長く勤務した霞ヶ関への関心が未だ抜けていないのがちょっと情けない。それにしても、見出しには、視覚や語感を重んじて、相当の気配りが必要である。

 

 

 

8月5日の読売朝刊では、「岸田外相10日から“訪比”(放屁)」とあったが、なんでも短くすればいいというものではないだろう。

 

 

 

● 変貌する信州の「学校登山」

 

   「山の日」が祝日として新設され、8月11日には、皇太子ご一家を上高地にお迎えして、記念行事が催された。来賓としてはベストの方々であろう。

 

 

 

 さて、長野県では、中学校による「学校登山」が盛んで、いまでも、県内の8割の中学で実施されている。登山先も、八ヶ岳、浅間山、アルプスと本格的だ。伊那では、新田次郎の小説「聖職の碑」の舞台となった「西駒ケ岳」(木曽駒2956m 1913年に起きた中箕輪尋常高等小学校集団遭難の地)に登る。

 

 

 

 ただ、最近は目的がやや変わってきた。かつてのような「歩き切ることで困難を乗り越える力をつけて欲しい」という目標、従って、全行程を徒歩でから、「多くの生徒が“遭難記念碑”の前で手を合わせられる」ことへと移っている。そのためか、12中学の全てが往復路のいずれかで「駒ヶ岳ロ-プウエイ」を利用したという。                                           (H 28.8.25記)

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風に吹かれて( H28年8月号 :ちょっと不思議で楽しいこと )

 

 

  終戦記念日が巡ってきます。「戦後71年」と自分の歳を確認されているようで妙な気持ちになります。<降伏・敗戦>の決断をお盆の真っ只中にしたのは、戦死された方々への鎮魂とともに、日本人みんなの心にある祖先への崇拝の気持ちが背景なのではないでしょうか。そして、夏の夜空に打ち上げられる美しくもはかない花火は、江戸の昔から、死者の鎮魂のためのものでした。

 

 

 

信州の花火大会では「諏訪湖花火大会」(8/15)が有名ですが、その前日の「あづみ野の花火」も捨てたものではありません。ワサビ田の近く「犀川」の河原で12,000発が打ち上げられます。日が暮れ、涼しい風が入るようになった2階の窓から夫婦2人して眺めていると、ときはゆっくりと流れていく感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 いま、あづみ野の農村を行き来していると、戦没者の碑を数多く見かけます。英霊は故郷に還り、山河の景色に包まれて眠る、そんな供養の意味でしょう。

 

 

 

なお、碑文に「陸軍歩兵一等卒」とある「卒」は、昭和6年11月7日の兵制改革で、それまでの一等「卒」、二等「卒」が上等兵と同じく、「兵」に名称を改めたものと説明されています。したがって、招魂碑に「卒」とあれば、日清、日露戦争、第一次世界大戦など満州事変以前の戦死者ということになります。

 

 

 

 地元の人々がお金を出し合って、銘は上官や名士が刻する、そして、場所も田畑の一角などが多いのですが、なかには、自宅の玄関先に建立されるものもあり、そのようなときには、家族の「名誉と悲しみ」とがよく伝わってきます。

 

 

 

 

 

 さて、今月号では、最近の新聞やテレビ報道に見かけた<ちょっと不思議>、<ちょっとで楽しいこと>への感想を記しました。

 

 

 

● 「大女将」 とは誇り高い肩書

 

    6月26日付「信濃毎日新聞」の社会面(訃報)につぎのようなものがあった。

 

<弊社取締役・大女将 矢島静子儀 6月23日午前6時5分 88歳にて永眠いたしました ここに生前の・・・>

 

   ウ-ン、「女将」は職名の一部か、それとも、この会社が近代的経営と伝統的経営のミックスなのか。いずれにせよ、この訃報広告の肩書は、きわめて日本らしく、なんだかホンワカとした気分になってしまった。

 

  実際のところは彼女が「大女将」に誇りを持っていて、いざの時、訃報にはこう書いて欲しいと言い残したのかも知れない。ちなみに、この「弊社」とは、長野県立科の<(株)池の平ホテル&リゾ-ツ>である。

 

 

 

   なお、余談になるが、「伊勢の赤福」では、12代目の社長・濱田勝子さんが、

 

<代表取締役・社母・兼社長>の肩書で活躍している。

 

 

 

 

 

● 青森にある 「キリストの墓」

 

 

 

  6月24日のテレ朝「モ-ニングバ-ド」の各県自慢<ワンダ・ふるさと>は、とても面白かった。青森県三戸郡の新郷村には、十字架を立てた「キリストの墓」と称されるものがあるそうで、伝えられるところ、ゴルゴダの丘で磔にされたのは「弟」で、イエス・キリスト本人は、日本のこの地に逃れて布教をしていたというのである。

 

 

 

近くには、戸来岳、戸来小学校があり、その「戸来(ヘライ)」は、ヘブライの訛ったもので、ヘブライ語を由来とする地名などはほかにも見られるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

さらに興味深いのは、その「キリスト生誕祭」などを主宰するのが、なんと神社の神主で、うやうやしく祝詞を奏上する様子が撮されていた。引き続いて行われるのは祝賀の「盆踊り」、しかも、流れる曲の歌詞は、何を言っているか理解不能である。その理由は、ヘブライ語であるからだそうだ。いずれしても、「山川草木国土悉皆成仏」「八百万の神」といわれ、懐の深い、柔軟な宗教観の日本ならではの<新伝説>の創作であろう。

 

 

 

ちなみに、キリストは、この地で106歳の寿命を全うしたともいわれるから、まことに希有壮大なものではある。

 

 

 

 (注1) 新郷村のホ-ム・ペ-ジ「新郷村のミステリ-」によって補足すると

 

① この地方では、父親を「アダ」、母親を「アバ」と呼び、これは、アダムとイブの変化形ともいえるし、② 幼児の額に「墨十字」を付ける習慣があり、さらには、③ダビデの星を家紋とする家もあるなどと述べられていた。

 

 

 

 (注2) キリストの墓の発見については、①茨城県磯原町の竹内家の古文書(偽書?)が始まりだそうで、ついで、②昭和10年<新郷村に墓らしきものを発見> → ③考古学者の一団が1936年に<キリストの遺書らしきものを発見>(これも偽書?)と、偽造のオンパレ-ドのようなスト-リ-である。

 

 

 

 悲運の智者・勇者に対する日本人民衆の判官贔屓は、キリストも義経も西郷さんも死なせたりせず、心の中に、あるいは伝説のうちに生かし続けさせる。<翻って、現実論をいえば、戦さの場で、大将が派手な旗幟と兜を身に着けるのは、「指揮官ここにあり」を示すとともに、いざの時は身代わりがこれを着用して身代わりに討たれ、大将は再起を期する事にも繋がる。そして、戦さに勝っても(信長の場合は例外で、通常は)、敵を根絶やしにせず、味方に取り込むのがわが国の伝統的な流儀かもしれない>

 

 

 

 それにしても、小説家とはいろいろと考えるもので、半村良は「キリストの墓」伝説を自著に引用するし、高木彬光は、ただ一つの漢字から「成吉思汗(ジンギスカン)の秘密」を書いた。義経は、頼朝の追っ手を逃れて蒙古に逃がれ、ジンギスカンと名乗って、その子孫(フビライ)が鎌倉幕府の日本を攻めた。これが「蒙古襲来」だというのである。

 

 

 

高木の発想の元は,「成・吉・思・汗」という漢字表記にある。ここには、「静や静、静のおだまき繰り返し、昔をいまに、<成す・吉し・も(思)・がな(汗)>」との詞章の一部が織り込まれているとあって興味は尽きない。                                                           (H28.7.29記)

 

 

 

(注3)7/14の産経は、「西郷さんはロシアへ逃亡?」と珍説を紹介していた。

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風に吹かれて( H28年7月号 : 「玉川上水」からの恵み)

  篠ノ井線から眺める「姨捨棚田」(日本棚田百選)も青々として、夏の様相が色濃くなっています。安曇野の6月5日は、月遅れの「端午の節句」でした。旧い家の軒先などに、魔除けのショウブ、ヨモギが左右に飾られて、鯉のぼりとは違った意味で季節を告げる風物詩でした。また、この日は「全国植樹祭」、天皇、皇后両陛下をお迎えしての開催ですが、長野県らしく、善光寺、松本、伊那、佐久と4つの平(盆地)が会場です。そして、上高地の「ウエストン祭」、黒四ダムの観光放水(6/26)、いよいよ本格的な夏山シ-ズンが始まりました。

 

 

 

 このところ、朝4時にはカッコウが鳴き、その声で起こされます。たまたま近くの電線にとまったのを見ましたが、尾は長く、やや太目ながらハンサムなよい「格好」でした。<カッコウ鳴くまで種蒔くな>といい、農作物の生産も これからが盛んになります。向かいの田んぼには、カエルの鳴き声が賑やかで、庭には、アジサイ、ナデシコが溢れ、3mを超す桑の木には赤紫の実がたくさん成りました。常念山脈や旅の途中での南アルプス、八ヶ岳、富士山も、残雪が細い糸のようになって、その山容は黒々としてきました。

 

 

 

● 玉川上水からの恵み

 

 今月号では、夏を迎え、「お江戸の水、日本の水」(平成24年9月号)に続く第2弾として、「玉川上水からの分水」 の歴史を記すことにした。

 

江戸の水源である「玉川上水」は、1652年に、玉川兄弟が徳川幕府の命を受けて工事に着手し、1654年に開通した。全長43kmの上水路で、この間を標高差2.3/1000 の緩やかな角度で落とす。わずか2年の短期間での完成などに多くの疑問があったが、「武蔵野・江戸を潤した多摩川」(安富六郎:農文協)により、全貌が明らかになってきた。これからの解説は、主として、この著作による。

 

 

 

 「玉川上水」は、利根川の付け替えや江戸湾の大規模埋め立てなどの高度な土木技術を持った徳川幕府が、江戸の安定、繁栄のための基盤として、長きにわたる詳細・膨大な事前調査と神田上水、旧府中用水などの試行事業の結果に基づく<威信をかけた、万全の体制での失敗を許されない大工事>だった。

 

 玉川上水の経路を見ても、安定取水、洪水回避、台地へ導水が可能な羽村堰から、四谷大木戸まで、おおむね武蔵台地の崖線に沿いながら、五日市街道→甲州街道の分水嶺上を緩やかに落下するが、「立川活断層」は避けて、「野火止用水」への分水=遠回りもする。記録が少ないのは、軍事機密の保持であろう。

 

 

 

● 神田上水

 

早い時期の先行事業としては、都市づくりのための「緊急・安定的な水確保」=「神田上水」がある。これは徳川家康の江戸入府時(1590年)に命を受け、善福寺、妙正寺、井の頭の池から取水、江戸城の北半分を潤す。1677~78年の大規模改修(水戸後楽園藩邸への用水引込み)には、松尾芭蕉が参加している。

 

● 新旧「府中用水」

 

 10km離れた多摩川から取水、府中崖線の南側に約6kmの長さを持つ生活、農業用水であり、国立、府中の農地を潤す。前身の「西府用水」は、西府中の7ケ村を通過し、多摩川の古い時代の河床を利用した開削だともいわれている。この工事での試行錯誤が玉川上水の開通に役立ったとも推測できる。

 

 なお、現在の府中用水は「疎水百選」の一つに指定されている。

 

 

 

 

 

● 野火止用水

 

  玉川上水からの分水を前提に設計したのが「野火止用水」で、川越松平藩へ、小平から平林寺を通って新河岸川に至る24kmである。「玉川上水」完成直後(1655年)に開削され、これを見込んで、玉川上水は、やや東へ遠回りする。徳川幕府にとって、譜代大名の政治経済の安定=農業生産の向上は必須だった。

 

 

 

● 青山用水

 

 「玉川上水」完成後に江戸府内近くで分水した用水の一つに「青山用水」がある。四谷大木戸付近(玉川上水の最後の明渠部分)で余水を回わし、外堀を遠巻きにして青山、麻布、芝から増上寺に至る。1660年に完成、大名、高官の屋敷町を通ったが、水質は悪く、漏水もあり、1722年には上水利用を廃止した。

 

 

 

● 千川用水と練馬大根、王子製紙、「丸真正宗」

 

 

 

 千川用水は、田柄川、石神井川と併走し、王子付近で石神井川に合流して、その後、隅田川に入る。玉川上水完成42年後の1696年に造成、保谷(関前)から取水して22km、上水利用から農業、軍事、産業用と多目的に転じた。

 

 

 

練馬大根の生みの親でもある。大根洗い見て しみじみと寒さかな (虚子)

 

 

 

1873年(M6年)創業の「抄紙会社」は、初代「王子製紙」の前身である。

 

 

 

渋沢栄一は西洋紙の国産化を目指し、1875年(M8年)、東京王子に工場を竣工、その工業用水が「千川用水」であった。

 

 

 

王子、飛鳥山の一角には、旧渋沢邸跡に「製紙博物館」「渋沢史料館」が建つ。民俗学者でもあった三代目「渋沢敬三」の尽力である。JR王子駅からのこの高台への無料ケ-ブル、アナウンスは、北区出身の「倍賞千恵子」の声だった。

 

 

 

 

 

 

 

武蔵野台地の「崖線」に当たる飛鳥山、音無川(石神井川)の下流付近には、よい湧水がある。荒川放水路の水門の少し上流になる北区岩淵には、この地の良質な湧水を生かした23区内唯一の酒造会社「小山酒造」(1878年創業)があり、ここの銘酒は、築地の料亭「川庄」などでも出される「丸真正宗」だ。日本酒に「正宗」と名乗る例は多いが、濁り酒ではなく清酒=正宗であることによる。

 

 

 

 

 

● 三田(御田)上水とエビスビール

 

 

 

三田用水は、笹塚から駒場農学校(東大農学部の前身)の実験田を通るなど農業利用も経て恵比寿に至り、目黒川に合流。水質を重視した木管暗渠である。殖産興業、醸造用の水源としても利用された。共同出資の「日本麦酒醸造会社」(1887年設立)は、ドイツビ-ルの製造を目指し、1890年(M23年)には、「恵比寿ビ-ル」が誕生。渋谷区恵比寿は後からの地名である。  (H28.6.29記)

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風に吹かれて( H28年6月号 :二人で老いてゆくこととは )

4月下旬のある日のことです。高尾での墓参の帰りに、駅前のソバ屋で、遅い昼食を兼ねて軽く一杯やっておりました。隣の席では80歳を超えた夫婦連れが、天丼と小蕎麦のセットを食べ終えるところです。元気ハツラツの奥様と背中が少し丸くなったご主人との会話が聞こえてきました。

 

「お父さん、もう終わったの? おそば、食べないの?」 「うん、お腹いっぱいだ」

 

「そーお、だったら頼まなければよかったのにね。これからスーパーで買い物するけど、お父さんは本屋にでも行く?」 「いや、他で買い物がある」 「お金持っているの?」

 

「うん、大丈夫」 と、ここまでは、全く普通の会話で、奥様の元気さ、主導権が感じられました。しかしその直後、ふたたび「お父さん、もう終わったの? おそば、食べないの?」 「うん、お腹いっぱいだ」 「そーお、だったら頼まなければよかったのにね。 これからス-パ-で買い物するけど、お父さんは本屋にでも行く?」 「いや、・・・」と、全く同じやりとりが始まって、ハテナと思ってしまいます。

 

 

 

ところが、3度目の繰り返しが始まったとき、ご主人の反応が変化しました。「おそば、食べないの?」に続いて、「そうだね、もうちょっと食べようか?」 になり、お箸をつけ始めると、奥様は、「じゃあ、会計してくる」と立ち上ったのです。

 

医師の指導でもあるのか、ご主人は、「さっきも同じことを聞いたじゃないか」などと否定的なことはいわず、奥様の話を受け入れた上で前向きな行動へと状況を変えたのです。<怒ってはいけない、叱ってはいけない>、そのことが、症状の進行を遅らせる、ゆっくり老いていく二人の姿は他人事ではありません。

 

 

 

 

 

●    「銀座 泥武士」へどうぞ!

 

 

 

熊本地震に対する支援の輪が広がっている。ボランテイアや義援金に加え、「ふるさと納税制度」を利用したピンポイントでの資金提供、それも「返礼はいらない」とする申出や納税窓口を他の市町村が引き受ける、そして、東日本大地震の被害地域からもお返し応援が盛んだ。復興・支援は、これからである。

 

なお、義援金方式は、手続や公平性の建前上、半年~1年後ぐらいでないと配分にはならないが、「救援金」「ふるさと納税」なら、使途も指定できて早い。

 

 

 

また、熊本の産物やサ-ビスを積極的に購入・利用して応援する動きも盛り上がっている。ゴ-ルデンウイ-クのときに、数寄屋橋交差点の「銀座熊本館」(物産館)は連日の大盛況であった。入場制限もなされたと聞いている。

 

サ-ビスの積極利用の実例がある。銀座5丁目のファンケルビル9階にある熊本県ゆかりのオ-ガニックレストラン「銀座泥武士」は、女性客で賑わっていた。熊本産を中心とする有機農産物のミネラル分を生かしたここの料理は、塩分が控え目で、野菜などの本来の味を引き出す調理方法がいまも変わらない。

 

 生産、調理の指導者は、八代市出身でいまは亡き中嶋常充先生、頑張る弟子たちが日本全国で「中嶋農法」に取り組み、本物としていま注目されている。

 

 

 

●  IWC in 神戸

 

 

 

 IWCといえば「国際捕鯨委員会」(International Whaling Council)が最も有名だが、その他にも「インタ-ナショナル・ウオッチ・カンパニ-」 (International Watch Company)、国際小麦協定(International Wheat Convention)があって、これが御三家である。 そこに加えて、第4の新参者も出てきた。「世界酒品評会」 (International Wine Challenge)がそれである。

 

 

 

 この品評会はイギリスの会社が主催し、400人の委員により9000銘柄の審査が行われ金銀銅の選定がなされる。日本酒部門は、いまから10年前に発足して、日本各地の酒蔵と若干の海外メ-カ-が参加している。折しも、本年は、空前絶後といわれる酒造好適米「山田錦」の誕生80年にも当たり、兵庫県も支援に名乗りを上げた。兵庫は、清酒誕生の伊丹、酒造地帯の灘五郷を控え、酒米の大産地でもあって、いわば、日本酒のメッカでもある。UNESCO和食文化遺産の国際化の流れのなかで、今後ますますの発展を祈りたい。

 

 

 

● 英語は国語を駆逐する

 

 

 

 世界で英語を話す人口は17.5億人、そのうち母国語とするのは3.9億人、第2言語とするのが13.6億人、従って、世界総人口70億人の25%に上る。イギリス本土、英連邦諸国やアメリカにおいて、英語は、弱小の現地言語を駆逐し、フランス語、スペイン語、ポルトガル語などの第2言語も押し退けて

 

確固たる世界語になった。軍事を背景にした腕力もさることながら、現地の状況・レベルに応じて縦横無尽に変化していく柔軟性には驚くほかない。

 

 「英語物語」(文藝春秋)によれば、アフリカン・イングリッシュでの比較級変化が、<good→better→best>という形から、 <good→good・good=better→good・good・good=best> へと実にわかりやすく改変されていると記されている。

 

 

 

さて、駆逐するといえば、「不法移民は出て行け!」と叫んでいるトランプに対し、「ネイテイブ・アメリカンから、<では、あなたはいつ出て行くのですか?>との皮肉な声がインタ-ネットを通じて広まっている」そうだ。「誠にごもっとも」である。

 

メイフラワ-もアフリカからの強制連行も、ナチから避難のユダヤの人々もリオグランデ川を泳いで入ってきたウエット・バックも、「不法移民」なのだ。

 

 

 

●    “ああ、革命いまだならず” (孫文の辞世)

 

 

 

 新聞報道では、<5月の連休に中国を訪れた岸田外務大臣を迎えた王毅外相の居丈高で傲慢な態度には驚かされた。かの国での「保身術の一つ」としてそのような態度を取らざるを得ないとの評価がある一方、中国国内にも、インタ-ネットに「招待していて礼儀に欠けるのではないか」と批判もあった>という。

 

 

 

 しかし、この事象を中国のノ-マル化と見るのはいささか早計だろう。あの毛沢東語録には、「革命とは人を招いてご馳走することではない」や「鉄砲の銃口から革命が生まれる」とあって、いまも続いており、歴史は進んでいない。

 

旧ソ連体制は情報で崩壊した。中国関係者が多数のパナマ文書、中国国内では必死に押さえ込もうとしているが、さて影響はどう出るか。              (H28.5.25記)

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風に吹かれて( H28年5月号 :心に残る言葉 )

 「心に残る言葉」として、手帳に書き留めたものがだいぶ貯まりましたので、ここらで一度「棚卸し」をいたします。いまも昔も、多くの人が、それぞれよい言葉を残しています。なお、これまで引用済みのものは、除きました。

 

 

 

● 戦いは六、七分の勝ちがよい (武田信玄)

 

「八分の勝ちはすでに危うく、九分、十分の勝ちは大敗のもととなる」

 

夏の選挙に向けて、安倍総理は「目指すは過半数」というが、このことなのか。

 

また、清時代の高官は、「必戦の勢いを示すことにより、転じて戦いを止めることもできよう」ともいっている。戦わずして勝つことこそが国防の本旨だ。

 

 

 

 

 

● いくら変わっても、変わってみればもとと同じ (岡崎久彦:陸奥宗光とその時代)

 

 人間、社会、国家というものの中には、千古不易なものがある。

 

“ Plus ca change , plus c’est la meme chose .”

 

一方で、芭蕉は「不易流行」(変わらぬこと、変わっていいこと)といい、

 

 

 

イタリア映画「山猫」では、“Chnge to remain the same”(よき現状でいたいならば変わらなければいけない)ともいう。ことほど左様に難しい。

 

 

 

● 中国が「農民所得倍増」計画 (‘16年の中国共産党の最重要課題文書)

 

 「中央1号文件」では、「三農(=農村、農業、農民)問題について、農地

 

集約などの改革で生産性の向上を図るほか農民所得を2020年までに10年比で倍増させる、農業分野で貿易自由化を進める」としている。

 

 

 

フ-ム、これって、どこかの国の農業政策とよく似ているなあ。

 

●    シンガポールを守るグルカ兵 (産経新聞の特派員コラム)

 

シンガポ-ル警察は、1949年以来、大英帝国時代から勇猛果敢で名をはせた

 

「グルカ兵」(ネパ-ル)を雇い入れ、要人警護などに当てている。射撃技術の

 

 

 

精度の高さや忠実ぶりには定評があり、現在の部隊規模は2000人に達する。

 

 

 

●    これっきゃない (浜矩子:みんなで行こうアホノミクスの向う側)

 

女の子の名前に当たる「TINA」は、“There is no alternative”の略であり、

 

サッチャ-政権を皮肉るときの言葉でもある。浜先生は、これを、そのまま、

 

安倍総理にぶつけているのだが、かつて衆議院議長をした土井たか子も、似たようなことをいっていた気がする。お-っと、こちらは、“やるっきゃない”だ。

 

 さて、日本経済の成熟、停滞を踏まえて、浜先生は、自らの名前にもちなみ、

 

 

 

論語の「七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)をこえず」と解説する。

 

 

 

●    真の国際人とは (東儀秀樹:産経新聞)

 

「いくら英語をしゃべれても、日本の文化のことを聞かれて答えられなければ

 

 

 

意味がない。日本の古来の文化を再認識し、誇りを持って外国人に説明できるようになっていただきたい」と東儀は語る。

 

 そのとおり、真の英語力とは中身の問題であり、定型的な文章を<繰り返し聞き、繰り返し話す>あの某英会話的な手法だけでは身につかない。さて、ある大学でのことだが、試験の解答に呻吟する学生を見かねた英語教師が、“How are you ?”と尋ねたところ、“ I’m fine thank you , and you ?”と切り返されて、こちらの方が絶句してしまったそうだ。

 

●    「良馬は鞭影を見て走る」 (雑阿含経の鞭影経)

 

良馬には四種あり、第一は、御者の鞭影を見て走り、第二は、鞭が毛尾に

 

触れると走る。第三は鞭で皮、肉を打つと走り、第四は鉄錐で膚や骨を刺すと

 

走る。善男子(普通人)にも正しい思惟に至るに4通りのタイプがあるという。

 

 

 

公正取引委員会の委員長だった山田精一さんが引用したらしいが、やや難解。

 

 

 

●    隅田川の6大橋は震災復興事業で建設 (半藤一利:B面昭和史)

 

上流から、①言問橋(S3年)、②駒形橋(S2 )、③蔵前橋(S2)、④清洲橋

 

(S3)、⑤永代橋(T15)、⑥相生橋(S15)、いずれも、関東大震災からの帝都

 

復興事業で建設された。折しも、大正11年(1922年)のワシントン海軍軍縮

 

条約の調印で、檄越を極めていた建艦競争が急停止、そのお蔭で鉄鋼や鉄材、そして職工たちが大量に余ってしまったのである。

 

 

 

 わが母校の前身「府立九中」の創立が昭和3年(1928年)で、その直後に堂々たる校舎(旧校舎)が建設されている。わが恩師から、「デフレで資材も人材も過剰気味で予算が余るくらいだったから、贅沢な校舎が建ったのだ」と聞いた。

 

 

 

●    一億 「総活・躍」 国民会議

 

文字や発声は、切るところを間違えてはいけない。

 

「二重にし・手首に掛ける数珠」「二重にして・首に掛ける数珠」が懐かしい。

 

 

 

 <一億総括 ・ 躍(踊る) ・ 国民会議>と分けていくとやや不気味だが・・・。

 

 

 

●    民進党の英語表記

 

“Democratic Party”だとか。なんだ、元の「民主党」じゃあないか。

 

ちなみに、維新提案の“Democratic Innovation Party”は、その短縮形が

 

“DIP”で、<間抜け>の意味もあって採用されなかったらしい。なお、DIPは、

 

 

 

チュッ、チュッと吸うことであり、スラングではもっと卑猥な意味もある。

 

 

 

●    かわいがられる政調会長

 

3月末の「BSフジ:プライムニュ-ス」に民進党の岡田代表が出演していた。

 

反町キャスタ-に新政調会長の山尾志桜里さんの抜擢理由や評価を問われて、

 

「蓮舫さんや辻元さんからもかわいがられていて」と応じたが、いただけない。

 

 

 

岡田さん、心の底では、女性を子ども扱い、蔑視してはいないだろうか。

 

 

 

●    「シャープ」が台湾企業の傘下へ

 

前身の早川電気の創業が1912年、いまでは一般名詞化している「シャ-プペンシル」を発明したのが1915年、特許上の正式名称は<早川式繰出し鉛筆>だとか。歴史も古く、まことに惜しい「民族系企業」だった。

  (H28.4.28 記)

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風に吹かれて( H28年4月号 :サクラ咲くころ)

 

 

4月は入学の季節です。母校の北園高校は4月7日、北の丸公園の武道館でも、これから連日、大学の入学式が行われます。トリは10日過ぎの東大でしょうか。

 

この春は開花が早かったので、ソメイヨシノ満開の下でとはいかないようです。

 

せめて、日程が早い大学だけでも、「花吹雪よ待っていて!」と願います。

 

 

 

・千代田区は 「市」 を目指すのか

 

 千代田区の人口は着実に増えている。総人口でいえば、1995年の34,780人が、‘05年には41,778人、’15年には50,380人とこの20年で約1.5倍、そのうち、0~9歳の子ども人口は、2,014人から3,594人へと約1.8倍である。一般に、市政を敷くには5万人以上といわれるから、単独で市への昇格を目指すのか、他の22区が市になるときに乗り遅れないようにするのか、いずれにせよ、5万人以上の死守・確保が不可欠で、基本は子どもの数の増加であろうと想像する。

 

 

 

 そのなかで、とくに効果が大きいと思われる対策は、つぎの3点であろう。

 

① 付置条例=オフィスビル建設の場合に一定の区民向け住宅建設を義務づけ、

 

② 区民の子や孫が結婚して区内に居住する場合の住宅費補助、

 

③ 女性の定住、就労、子育ての同時実現のため保育所・認可保育園などの整備

 

  (いわゆる待機児童「ゼロ」、保育施設の園庭の代替に近隣の公園、公営住宅の空きスペ-ス、

 

   企業・官公署での公開広場づくりなど)

 

  近くの東郷公園では、所属の異なる保育園の子どもたちが同時並行で遊んでいるし、「日テレ」のカフェ広場などでも児童が飛び回る。富士見の(衆)九段宿舎跡3,000平米には人工芝と砂地が整備され、園児の駆けっこ広場になった。

 

 

 

 「保育園落ちた日本死ね」がインターネットで大反響を呼び、(参)予算委員会でも取り上げられたが、政府は、ことの本質と深刻さをとらえていない。厚労大臣の答弁(3/14)が「スピ-ド感をもって考えたい」では、まったく情けない。これをきっかけに、ぜひ真剣な議論をしてほしいところだ。

 

 

 

  ちなみに、東京都市区で見ると、‘15年4月における保育所入園待機児童数のベスト5は、千代田区、稲城市、羽村市ゼロ、東大和4人、福生6人であった。ザ・ワ-ストは世田谷区の1,182人、待機が200人以上は、品川、目黒、渋谷、

 

豊島、板橋、足立、葛飾、江戸川となっている。後者では、そもそも児童数が多いのだが、人口に占める就学前児童数の比率で見た場合、世田谷(32%)~葛飾(45%)と千代田(40%)~福生(57%)に有意な違いはないのだから、行政運営のやり方次第で、市区の取組みの真剣さも問われている。

 

  やればできる。現に、小学校は全入で、「就学待機児童」は皆無なのだから。

 

 

 

・島根・鳥取の「合区」と長野県分県運動

 

 参議院の定数格差是正を巡って、島根と鳥取の合区が決まっているが、この組合せは歴史の経緯から見て、これでよかったのだろうかと思う。明治維新後、両県は、ひとたび合体され「島根県」になったが、両県ともに強い分離運動が起こる。その結果、明治13年に至って分けられて現状の2県となった。江戸の幕藩体制下では、隣同士で近い(近いほど仲が悪い)うえに異なる文化伝統を育んできたという歴史を踏まえればもっと丁寧な説明が必要ではないか。

 

 

 

(これは聞いた話だが、都道府県食糧事務所の廃止・統合では、地元の意向と歴史を尊重して、鳥取=岡山、島根=広島と南北の組合せになったらしい。

 

土地、地域には、感情を持つ人間がいる。これを大切にしなければならない)

 

 

 

 さてそこで、<長野県の分県騒動>である。平成25年9月号で触れた県歌の

 

「信濃の国」について、「信濃の国殺人事件」(内田康夫)に詳しい解説がある。

 

まず、明治9年、それまでの筑摩県(岐阜県の一部を含む)と長野県が合併して、北東中南4地域を包含する現在の長野県ができ、県都は北信の長野市となる。しかし、松本城を擁し旧筑摩県の県都、地理的にも中核である松本には不満が絶えない。松本人のプライドは高く、「長野など<善光寺門前の田舎町>ではないか」という人もいまだに多い。

 

 くすぶっていた「分県問題」が再燃したのは昭和23年で、県議会での勢力が

 

30人:30人と同数のため、中南信(松本市側)と北東信(長野側)が真っ二つ、採決に加わらない議長を除けば中南信=分県派の勝利と予想されたのである。「あわや可決かという瞬間」、だれか知恵者=策士がいたのだろう。傍聴席から「信濃の国」の大斉唱が響き渡って、松本市側は総崩れ、否決されたのだった。

 

 実態は<切崩しによる裏切り発生>といわれるのだが、歴史の重みは大きい。

 

 

 

・ユーミンと <グレタ・ガルボ>

 

 またまた、NHK「ラジオ深夜便」での感想である。

 

 3月3日の<日本の歌>は、「青春・学園ソング」の特集だった。「若者たち」「古きよき友」「青春時代」「先生」「仲間たち」「学園広場」「高校3年生」など懐かしい歌オンパレ-ドのなか、松田聖子の「制服」という曲が紹介された。

 

 アンカ-(語り手)はいう。「松任谷由実、クレタ・カルホさん作曲です」ユ-ミンの作詞家、作曲家としてのペンネ-ムが呉田軽穂であることを知らず、目が冴えてしまって、明け方の4時から5時まで、<ウイキペデイア>やら<洋画女優ベスト100人>やらを芋づる式に調べるハメになってしまった。

 

 グレタ・ガルボ(1905-1990年)は、スエ-デン生まれのアメリカ女優で、サイレント映画時代最盛期に活躍し、1941年35歳で引退した。1999年のある評論では、歴代ベスト女優の第5位にランクされている。ちなみに、1位から4位までは、①キャサリ-ン・ヘプバ-ン、②ベテイ・デイビス、③オ-ドリ-・ヘプバ-ン、④イングリッド・バ-グマンで、グレタ・ガルボは相当のものだ。

 

 

 

 余談だが、ユ-ミンの夫の父(彼女には義父)に当たる「松任谷健太郎」は、農林省で水産庁漁政部長、食糧庁総務部長を務めた。外苑近くの自宅1階にはバ-があって、そこで歌っていたのがユ-ミンの「singer & song writer」としての始まりであったとかいわれている。そう聞いてみると、健太郎の息子はいったいどんな人だったのか気になるところである。         (H28.3.31記)

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風に吹かれて( H28年3月号 : 春まだ浅き )

日差しもだいぶ柔らかくなりました。あづみ野から、「ワサビの花のつぼみがもう膨らんでいるよ」との便りがありました。この冬は雪が少なかったので、早いのでしょう。春を告げる白い花は、例年3月中旬が咲き始めです。その頃には、もう土が凍りつくようなこともないでしょうから、今年は、芝桜の苗を植えようと思っています。あと2週間ほどですが、待ち遠しい気持ちでいます。

 

 

 

振り返って、2月初めのことですが、岩手県の花巻温泉に用事がありました。東京発の東北新幹線に乗ると、関東平野は冬晴れで、富士山から関東の山々、さらには日光男体山に至るまで絶好の展望でした。ところが福島県に入ると、磐梯山は、低く垂れ込めた雪雲のなかとなり、仙台辺りからは雪が降り出して、新花巻では一面の銀世界でした。日本列島の長大さと季節・気象変化の深さに改めて感心します。また、2月末の上越新幹線では、大雨の新潟、吹雪の湯沢、晴天の関東平野と似たような経験もしています。

 

●    水素ステーションが来た

 

先月号で予告もしたが、自宅すぐそばの三番町に「水素ステ-ション」ができた。この1年ほどのことで、東日本大震災の前までは、確か、東京電力が寮や駐車場にしていた場所にである。

 

 

 

報道では、現在、都内の水素ステ-ション数は7カ所、2020年に開催される東京オリンピック時までには35カ所に増やし、平均走行が15分で到達・利用できるよう整備したい、これによって、2030年からは本格水素社会=クリ-ン・エネルギ-時代を実現したいとのことである。

 

 

 

写真に見られるように、ステ-ションの敷地内には大型のタンクロ-リ-が止まって、ガソリンと同様にホ-スで供給する仕組のようだ。それにしても、水素の価格が<1kg1200円>と表示されており、容量でなく重量で販売されているのには驚く。圧縮された水素は、どうやって重さを測るのだろうか。

 

(重量→容量は、1kg→11.2立米の換算らしいが、よく理解できない。また、経済産業省は、2030年に立米40円を目指すというので、この換算であるならば、448円/kgと現在の価格の1/2近くになる)

 

 

 

 

 

トヨタが2015年12月に売り出したニュ-モデル<MIRAI>(200万円の補助金が付き実質500万円)は、水素1立米当たり7~8km走る効率で、都合650km走行可能という。マニアの計算では、1km当たり13~14円で、今後の水素価格の低下と車の性能アップを期待すれば、将来性はありそうだ。

 

●    「祝いのよそほい」展

 

 銀座1丁目に、ポ-ラ化粧品の小さなミュ-ジアムがある。そこで、ポ-ラの文化研究所設立40周年特別展が行われていた。題名のとおり、「化粧、女性、美意識」がテ-マで、なかでも婚礼に関する展示は目を引く。

 

浮世絵は江戸のさまざまな風俗を伝えるが、婚礼儀式の様子を描いたものは少ないという。とりわけ、歌川国芳作の婚礼図2点や3代目豊国作の祝言図は、本当に見事だ。また、そのほかにも、嫁入り道具としては、蒔絵の化粧道具、眉作箱、お歯黒道具、簪、櫛、鏡、鏡台、爪切箱、刷毛、筆類、紅板、紅猪口など普段はなかなか見られないものも多数展示されていた。

 

 

 

これらの中でとくに興味深かったのは、道具類では、蒔絵の香炉とその上を覆う伏籠だ。これは、小袖や打掛などを掛けて香りを焚きしめたと解説されており女性客の関心を呼んでいる。前述の国芳作の浮世絵では、身分の高い姫君(大名家?)が、夜に輿入れをする光景を描いて、その背景の豪華な籠、手を引く待上臈、興味津々で上目づかいの御殿女中たちの表情が面白い。さらに、吉原の風景では、仕事前の花魁たちが立て膝で爪を切っている姿も艶めかしい。

 

 

 

 振袖、打掛、島田、丸髷の見本、白粉の塗り方の解説書など、江戸時代から明治初期の様子を彷彿とさせるものばかりで、とても楽しい企画であった。

 

●    ああ聞き違い、勘違い

 

 ウトウトしながらNHKの「ラジオ深夜便」を聞いていると、思わぬ聞き違いに

 

 

 

ハッとして目を覚ますことがある。音量が小さい上に耳も遠くなったのだ。

 

①    COP21(気候変動パリ会議)では、規制基準を巡って、「東欧諸国」が反対

 

・・・もっと甘く、緩くせよということか、と思いきや、実は、「島嶼国」が基準の強化を主張したのであった。

 

 

 

②   本日のゲストは「かつしかの」松本さんです。・・・<葛飾の松本さん>て誰だ?

 

 

 

いえ、「作詞家の」 松本さんである。

 

 

 

③   絶望したら「閣下を呼ぼう」・・・ええっ、あの歌舞伎クマどりのデ-モン小暮

 

 

 

(閣下)でも呼んじゃうの?・・・いえいえ、<絶望したら「カフカを読もう」>。

 

 

 

④   ここで行われているのは、薬草の「危険栽培」です。おおっ、こりゃヤバい。

 

 

 

・・・実際は、薬草の「試験栽培」の聞き違い。

 

 

 

⑤    <秘密警察は2人を逮捕し> おおっ、どこに秘密警察が・・・、NHKラジオの

 

 

 

聞き違いは、<千葉県の「君津警察」>であった。

 

 

 

⑥    司会者から、<○○さんの「精神的経営」は」>と紹介され、一瞬戸惑うも、

 

「先進的経営」のことだと、すぐに気づく。さて、さて・・・。

 

 

 

⑦    ついでのことながら、NHK連続ドラマ「あさが来た」のテ-マ曲「365日の紙風船」(AKB48)のなかに<人生は「紙飛行機」、夢を乗せて・・・>のくだりが あるが、なんとなく<人生は「狸小路」>とか、<人生は「並木通り」>と聞こえてしまう。これも歳のせいであろうか

 

 

 

(H28.3.2記)

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