風に吹かれて(過去記事2)

................................................................................................................................................................................................................................................................

風に吹かれて (H26年6月:山王祭が始まりました)

 

 

 

町会ごとに「御神酒所」が建てられ、神輿と山車の飾付けも行われて、麹町、番町、九段地域でも、山王祭が賑やかに始まりました。鳶の連中も気合が入ります。祭礼は、12日(木)から15日(日)の宮入までですが、13日(金)の「江戸祭礼絵巻大行列」はなかなかのもの、今年は天候にも恵まれて、中世~幕末まで時代の装束に身を正した人と神輿・山車の練り歩きは、さすがに徳川幕府も認めた「天下祭」の華麗さ、豪華さを表わして、すばらしいものでした。

 

さて、やや景気が上向いたせいでしょうか、寄進の額も全体として増額で、アベノミクスの部分的効果?が、祭の活気にも波及しています。九段4丁目に本部がある日本大学も、ちょっと前まで3万円が、今年は15万円になりました。

 

 

 

すぐ隣町の三番町は、地元に東郷元帥記念公園をもつていますので、山車の頂上には、日露戦争で日本海海戦を勝利に導いた東郷平八郎元帥が鎮座しています。幾度かの改修を経て、現在のは、昭和27年と聞きました。戦後の日本経済が朝鮮特需などでようやく持ち直し、講和条約も締結された時期とはいえ、まだまだ貧しいころ、町会としてはよく頑張ったものです。まあ、この辺りの町会は、いずれも100年近い歴史をもつといいますから、公方様、天皇陛下のおひざ元としての心意気なのでしょう。

 

 

 

九段4丁目の「義経、弁慶の五条大橋」と並んで人気の「東郷元帥」の山車ですが、いまの子供たちは「あ、お巡りさんが乗っている」というのだそうで、これは、歴史を教えるいい機会かもしれません。<明治は遠くなりにけり>にしてしまってはいけないと思います。

 

地域の高齢化のなかで、「担ぎ手募集、ハッピ貸します」の広告も例年どおりですが、<担ぎ手>を(農業の)<担い手>と錯覚する職業病が抜けません。

 

 

 

それにしても、旧暦の6月中旬(新暦7月下旬)に行われていた「夏祭」を、新暦切り替えの際、なぜ日にちをそのままにして梅雨どきに置き換えたのか、よく分からないところです。今年は、幸い、金、土、日と上天気のようですが、例年は雨模様になることが多く、梅雨入りすると「ああ、山王祭が近いな」とさえ思ってしまいます。7月下旬の開催であるなら、昔のイメ-ジどおりで、「山王祭は夏と秋の境目、日本一早い盆踊り」にピタリと一致するのですが…。

 

そして、7月、靖国神社の「みたま祭」が終わると、いつものように、東京の季節は、暑い夏へと移っていきます。           (H26.6.13 記)

 

 

 

風に吹かれて(H26年初夏 つゆ入り前にメモの虫干し)

 

 

 

 

 

 芭蕉に“なき人の小袖もいまや土用干し”という名句があるが、それに因んで、最近の「個人的メモ」から、楽しそうな話題のいくつかを虫干し・紹介したい。

 

 

 

 

 

聞き違い、モノ忘れ

 

4月15日の夜、NHKのニュ-スを聞いていて、ほんの一瞬だったが、自分に驚いてしまった。「安倍総理は、今夕、森ビルの代表と会談し…」と聞こえたのである。総理が森ビルの代表と何の用事だろうか?しかし、注意を凝らせば、な-んだ、<森ビル>は<モルジブ>の単なる聞き違えであった。

 

これは「加齢による聴力低下の一つの兆候か」と心配にもなってくる。まあ、<ソラ耳>や<妄想・耳>でなかっただけよしとするか。

 

 

 

 

 

 高齢者の仲間入りをして以来、記憶力の低下もやや気になる。ちょっとした忘れ物をした場合の対応の変化を例にとれば、①すぐ取りに戻る → ②自宅に帰ってから気がつき取りに行く → ③忘れたこと自体を忘れてしまう → ④忘れてもいないのに取りに行く、と症状は進んでいくらしい。

 

はるか昔の職場で、OBが訪れ、「私がここに預けておいた貯金通帳を返して欲しい」といわれ、<なんてバカなことを>と感じたときもあったのだが…。

 

 

 

 

 

朝はラジオ体操から

 

 住まいのごく近く、「東郷元帥記念公園」の下段の庭は、<晴雨にかかわらず毎日6:30からラジオ体操会開催>の看板が掛かっている。

 

“新しい朝が来た。希望の朝だ。喜びに胸を開け、大空仰げ。ラジオの声に…”現在使われているラジオ体操の歌は、1956年に三代目として、藤山一郎さんが作曲したものである。(作詞は藤浦恍さん)

 

 

 

 

 

1928年に始まったラジオ体操は、元々逓信省の「簡易保険」において病気や死亡率を低下させ、収益向上を図るために発案された。

 

それにしても、息長く続いているよい歌である。

 

 

 

 

 

(注)保険が収益を上げるための3要素として、① 死差:健康で長生きさせる、② 利差:運用を上手にして利回りを稼ぐ、③ 費差:節約・合理化をしてコストを下げる、が挙げられる。ラジオ体操は、①を目的としている。

 

 

 

 

 

「山賊ランチ」の由来

 

 長野自動車道「安曇野インタ-」すぐ近くに「スイス村」という観光牧場と道の駅や集会場を兼ねた施設があり、レストランとしては「銀座ライオン」が入っている。ちなみに、料理の味は並の下で、銀座の店には、到底およばない。

 

 

 

昨年、家内と訪れたときに、「山賊ランチ」なるものがあったので、注文したところ、<トリの唐揚げ定食>であった。「取り・上げる」で「山賊」となって、これが名前の由来だそうだが、信州の<ロ-カル版ダジャレ>なのだろうか。

 

 

 

 

 

「低水工事」 の方法も使えないか

 

 水の制御の手法としては、近代工事の主流は、洪水(高水)を堤防によって完全に「押し込める」ところにあるが、古くは、あらかじめ溢水、洪水などは織り込んで、(溢れさせ、)水防林などで洪水の力を弱める、「なだめる」方式=低水工事、これが明治中期までの主流であった。(富山和子 2010年)

 

 

 

 

 

いうなれば、controlするのではなく、manageするということだろうか。

 

岐阜の輪中、渡瀬の遊水池、各地に見られる舟形防水林などもこれに類する。

 

 しかし、「一定の被害が出ることを前提とする」ことから、悪平等民主主義の日本では、現段階では、まあ難しいかもしれない。

 

 

 

 

 

「水掛け論」 と 「我田引水」

 

互いに自己主張をして譲らず延々といい争う「水掛け論」、自分の都合のいいようにいったり、したりしする「我田引水」、これらは、いずれも、江戸時代の百姓たちの水資源争いから生じた言葉で、自分の田にだけは水を入れようと

 

する姿勢から起こったといわれる。(渡辺尚志 草思社)

 

 

 

 

 

向島芸者衆の 「歓喜の歌」

 

ちょっと古いが、2006年の日経新聞コラム「春秋」からの抜き書きである。

 

ベ-ト-ベンの交響曲第9番の合唱部分「歓喜の歌」のドイツ語の歌詞を上智大学独文科の学生、吉井実奈子さんが「虎の巻」として工夫した。シラ-の詩は“風呂出で。詩へ寝る。月照る糞犬”“蒸す、愛ん、利減る、負当てる、忘年!”

 

(フロイデ シ エーネル  ゲッテル フンケン) (ムス  アイン  リーベル フ アーテル ヴォーネン)と年末にふさわしい。この人は、ユ-モアの天才か。1985年ごろのことらしい。

 

 

 

 

 

誕生日の花

 

NHKラジオ朝5時前の放送では、誕生日の花とちなんだ短歌が紹介される。

 

3月中下旬には、花の始まりにの季節として、ハナダイコンとソメイヨシノが挙げられていた。これは、いずれも、ナノハナと並び、東京を彩る代表である。いつもの散策路「北の丸公園」でも、毎年、にぎやかに咲く。

 

 

 

 

 

このうち、ハナダイコン(アブラナ科)が3月14日の花、ウイキペデイアによれば、正しくは紫花菜(ムラサキハナナ)というらしい。3~4月に開花し、どこにでも咲く、また、中国では、諸葛亮孔明にちなんで「諸葛菜」といわれ、若い葉を食し、実は油をとるとされる。そこで、花言葉は、「知恵の泉」となる。

 

ただ、一部の解説では、日本種と中国種は異なるともいわれる。

 

 

 

 

 

 ソメイヨシノは、3月28日、花言葉は「すぐれ美人」で、こちらも納得だ。

 

なお、サクラに続くハナミズキ(アメリカヤマボウシ)は、5月4日の花で、「公平」または「返礼」、後者は、<ワシントンへの桜の贈呈>を受けての言葉らしい。いよいよ春から初夏へ、よい季節になった。     (H26.5.16 記)

 

風に吹かれて(平成26年初夏 あづみ野に田植えが始まる)

 

 

 

 

 

 5月中旬、山に常念坊主の雪形がハッキリしてきて、あづみ野では、田植えの作業が進んでいます。この時期、総じて天候にも恵まれ、残雪の山々の眺めもよく、自宅前の道からは、南南東方向に南アルプスも遠望できました。

 

水田にアイガモがやってきて、いつもながらカエルの声が賑やかなことです。

 

 

 

 

 

 庭には、ツツジ、シャクナゲ、ボタンと百花繚乱のよい季節になりました。標高差もありますので、平地ではハナミズキ、1000mの「穂高CC」付近では八重桜が残り、また、一日の温度差も大きいので、体調管理には苦労します。

 

 

 

 

 

 さて、何となくですが、国内外とも、不安定、大波乱の時期に差し掛かっているような気がします。そこで、最近の事象への個人的所感を続けます。

 

 

 

 

 

● 学校給食から牛乳を外すとは

 

   4月上旬のNHKテレビで、「新潟県三条市は、消費税の8%への引上げおよび米飯給食の全面的導入に伴い、牛乳を給食から外し、不足する栄養分は煮干し、シラスの増量で対応して、給食費は据え置く」と報道された。

 

  ニュ-スの冒頭部分だけを聞いたときは、<飲用牛乳は外しても、チ-ズ、ヨ-グルトやシチュ-料理などにミルクをうまく活用する>という一歩前進の意味では?とも思ったが、どうやら、<米飯給食=和食?→牛乳には合わない=本気で外す>らしい。また、同じ動きは、京都などにもあると聞く。

 

 

 

 

 

 そもそも、牛乳・乳製品は、醍醐味(乳精)のように、わが国にもはるか昔から存在し ていた。また、日本の食に海外の素材が用いられ、逆に、「洋食」や「中華料理」に日本の食材が使われるケ-スも数知れない。

 

固定的な考え方で、将来を担う子どもに「食育」をされてはたまらない。

 

 

 

 

 

 和食は、長い歴史の下、生産、消費、社会経済の状況に合わせて上手に変化・発展を遂げてきている。例えば、「天ぷら」は近世の誕生だし、世界中に名前の通っている「にぎり寿司」は徳川末期の誕生で「御宿かわせみ」に登場するが「鬼兵犯科帳」には出てこない。「すき焼」は、明治期に入ってからの和食新参者である。「不易流行」の柔軟さがあったからこそ和食は生き残ってきた。

 

 ユネスコの食文化「世界遺産」に選定された理由の中には、日常の一汁三菜、ハレの日の二汁五菜など食事のあり方や郷土、民族、文化的背景が含まれる。

 

 

 

 料理研究家で管理栄養士の小山浩子さんは、「牛乳を和食に上手に組み込んだ<乳和 食> を提唱する。味噌は健康によいとされるが、塩分を気にする人もいる。例えば、サバの味噌煮で味噌を減らし牛乳を加えると、魚の臭みは薄れ、うまみが引き立つ。めんつゆを牛乳で薄めて食べるそうめんは、塩分控えめで濃厚な味わいになる。牛乳をだし汁のように使って」というのだ(4/20日経新聞)。

 

 

 

 

 

 年間約800万トン、米と同じぐらいの生産量がある牛乳は、日本の食文化に堂々と位置づけられてよい。和食は、今後も各種の食材、調理法を取り込んで進化し続けるだろう。何ごとも、固定的に捉えてはいけない。廃止すべきは、米軍携帯食(ration)を意味する「学校給食」という非文化的用語の方である。

 

 

 

 

 

● 詭弁と誇張

 

 中国が、本年の「観艦式」を取りやめた。その説明理由は、「消息を絶ったマレ-シア航空機の捜索のために多くの海軍兵力を投入しているから」らしい。

 

  かつて、アメリカに対し、「米中間で太平洋を二分管理しよう」と呼びかけた大国らしくない。これを古えの中国では、「詭弁」または「三百代言」という。

 

 「南京大虐殺30万人」の大誇張=白髪三千丈もその流れにある。

 

 

 

 

 

● 権力崩壊の前兆

 

   過去、中国の王朝ないし政権は頻繁に興亡した。きっかけは、分裂や異民族の支配と それぞれ異なるが、一つの王朝が興亡する以前には、ある兆候の出現が認められ、それは「知識人の絶望と農民の困窮」である。

 

 

 

 

 

  黄巣の乱(875~884年)、太平天国の乱(1851~1864年)…中国社会科学院調査では、普通大学卒業生の平均失業率(‘13.11)は17.6%だが、一方、農村家庭出身者では30.5%に達している…解放軍の除隊兵(の就職)は、かつては引く手あまたであったが、状況は一変し深刻化している… 昨今の中国では、「特権の継承」が常態化し、「機会の格差」が顕在化…。(エコノミスト4/29)

 

 

 

 

 

  このところの天安門、雲南、新疆ウイグルでの暴動は、この前兆だろうか。

 

 一説によれば、年間30万件もの暴動があり、国内治安対策費が、膨張し続ける軍事費 より大きいことも納得できる。最近、恰幅のよい習近平さんの歩く姿は、北朝鮮の誰かによく似てきた。

 

 

 

 

 

● 修学旅行

 

  韓国の修学旅行生を乗せて済州島に向かう大型フェリ-が、珍島近海で転覆、多数の犠牲者が出ている。この人災の可能性が高い大惨事では、原因の究明、今後の対応に目が離せない。わが国の東日本大震災を「天罰だ」と呼び、今回の海難事故への日本の応援を拒否の狭量さ(=企業との癒着)も大問題である。

 

 

 

 

 

 5月には、地下鉄の大事故もあって、どうやら、この国の社会・経済構造の基本的欠 陥が露呈されてきたと見るべきだろう。大統領や国会議員、公務員は、就任・昇進とともに利権を求め、退任した大統領が訴追され、死刑・終身刑を命じられるような民族性、歴史・風土・文化は、そう簡単には変えられない。

 

 

 

 さて、修学旅行=教員引率型の短期宿泊旅行は、ウイキペデイアによれば、日本、韓国、中国に特有のことらしい。また、韓国の場合は、「日本統治時代の名残り」と説明されていて、なんだか複雑な気分である。欧米にはこのような習慣はなく、遠い類例に、英国上流階級の学業総仕上げのため、文化先進地の仏、伊などに数か月から1年程度滞在するものがある。(グランド・ツア-)

 

 

 

 

 

  日本の修学旅行の発祥は1882年の栃木一中の上野博覧会見学、長期宿泊型は1886年 の東京高等師範学校の11泊、修学旅行の名称を用いたのは1887年の長野師範(信州  大)と記されている。近年、弊害、障害、意義などの観点から、函館ラサ-ル、土浦一高、私立武蔵、早稲田学院などがこれを取りやめており、大きな分岐点にあるようだ。他方、「日本修学旅行協会」なるものが、1952年、文部省、運輸省、国鉄、東京都によって設立され、現在も続いている。

 

 

 

 

 

● 春の例大祭

 

  4月22日の10時過ぎのこと、家内と靖国神社周辺を散歩していたら、偶然、例大祭への天皇陛下の勅使参拝に遭遇した。二の鳥居から本殿に続く石畳には、氏子総代と思われる25~26人の方々が礼服、黒留め袖に白手袋の姿で整列し、粛々かつ整然と勅使をお出迎えする。

 

 

 

 黒塗りの自動車で社務所に到着した勅使一行は、衣冠(束帯)に身を正して、2人が 「長持」を担ぐ。やがて、宮司のお迎え、その先導の下、徒歩で本殿へと向かう。整列の一同は、かけ声の下「左向け、左、礼、直れ」となる。御階の途中で「長持」から取り出された御供物は「白の練り絹2疋」(4反)だろうか。

 

 天皇陛下は、春と秋の例大祭に「勅使による参拝を欠かさない」という。

 

 

 

 

 

 一方、本殿裏口はテレビカメラが鈴なり、国会議員の参拝風景の取材である。何  故、集団でないと参拝できないのか、情けない。示威行動は逆効果だと思う。

 

 

 

 

 

● 高齢者の減少

 

 これまでは「高齢者の増加」が問題だったが、初めて「高齢者の減少」が取り上げられた。NHKの「クロ-ズアップ現代」である。現象は日本全国の山間地域に顕著であるが、このことは、日本地図にスポットすると明白な絵姿で、限界集落といわれる集落では高齢者が次々に死亡し、「集落消滅」になっていく。10年も前から予想され、指摘されてきたことが現実になり始めている。

 

 

 

 

 

 その反面、「村に住んでみたい」という若者も増えているのも印象的である。

 

 また、村に行って滞在したいという人も多い。田舎の廃校1校を丸々セットにして、  「郷愁の宿泊&運動会パック」に仕立てた知恵者もいる。猿ヶ京小学校=さる小では、15人が、素泊り3000円/人でプランに乗り、調理室は使えるし、庭では懐かしの運動会ができる、駐車場も余裕と、よくこそ考えたものである。

 

 

 

 

 

 道路網、新幹線網の整備、道路舗装の進展のお蔭で、都市と農村の物理的な距離は 縮まった。田中角栄の先見の明はすごい。JRの「トレンタ・サ-ビス」を使えば<鬼に金棒>、便利さはさらに高まる。あとは、イギリスのB&Bならぬ<BR&K>、つまり、「風呂、便所、キッチン」が都会並みに整備されれば滞在人口の維持は可能だが、さて集落機能はどうか、これは難しいがやり様はある。

 

 希望を捨てる必要はなく、過剰に恐れることもない。  (H26.5.16 記)

 

  風に吹かれて(平成26年5月号「近ごろ思ふこと)

 

 

 

サクラ前線は北上を続け、4月11日に松本、安曇野に達しました。いま当地では、ウメが満開、サクラ(ソメイヨシノ)は五分咲きで、モモは、まもなく開花です。ロウイ、コブシ、レンギョウも咲き誇り、山は稜線上に雪が残りますが、中腹は「山笑う」感じになってきました。用水路には、勢いよく水が流れ、ハウス内の苗代も、また、麦畑でも緑が濃くなってきました(4/14)

 

 さて、今回は、最近の事象への所感とともに、日頃メモをしたりコピ-して貼り付けた「私の雑記帳」を棚卸しし、<自選での>楽しい話題を記します。

 

 

 

性格は人相に出る?

 

かつて、佐村河内守の風貌が「麻原某に似てはいないか」と述べたことがあったが、ビット・コインのマウント・ゴックス社のCEOマルク・カプルスも、よくよく見れば、なんだか共通しているようで、これは気のせいだろうか。

 

 

 

言葉には「生命」が宿る

 

「言葉は生命」と、確か、野坂昭如がそういっていた記憶がある。

 

<率直に正しく明確に表現しよう> 言い換え、誤魔化しや不明確な用語には、何か悪意と企みがあるようにも思える。

 

 

 

武器輸出三原則も「防衛装備移転三原則」(ソフトを含むからだそうだ)と名称を変更して、閣議決定された。だが果たしてそれだけか。翻訳も難しい。さしづめ<Defence Equipment Transfer Principle>とでもなるのだろうか。

 

 

 

名称・呼称変更の系譜には、まず<軍隊→自衛隊>がある。戦後70年、そろそろ、国際用語に揃えてはどうか。外国も、表向きはともかく、<Self Defence Force>とはいわず、<Japnese Army><Navy><Air Force>であろう。このほかにも数々あり、<戦車→特車>、ナチスドイツは、戦車を<無限軌条付き自走砲>と名乗って、再軍備に突入した。<歩兵連隊→普通科連隊>、はて、これ以外の工兵連隊、騎兵連隊などは<異常科連隊>なのか?最近の傑作では<滑空甲板付き巡洋艦(護衛艦)>もある。実態は、近海防衛の小型軽航空母艦に該当するが、航空母艦といえば侵略兵器になると批判されるからか。しかし、言換えで誤魔化せば、軍人、兵隊の士気に関わり、防衛に支障も来たすだろう。

 

太平洋戦争の「退却→転進」の誤魔化しが何をもたらしたか思い出すとよい。

 

かつて「侵略/進出論争」があったが、韓国の教科書では、高麗が元とともに日本を攻めた「元寇=日本侵略」を<日本遠征>といっているそうだ。

 

 

 

役所の名前も、4文字になって、センスがなくなり、つまらない。2文字のところでは、名称変更の結果、聞き取り難くなったという話もある。

 

法務省vs総務省、外務省vs財務省がその例である。財務省は元の大蔵省の方がよく、総務省は、本来、<内務省>であろう。農林水産省も、6次産業化の時代なのだから、「大膳省」ぐらいの感じで行ったらよいかもしれない。

 

 

 

「防空の穴」 韓国で波紋

 

 北朝鮮の無人偵察機が韓国の大統領官邸を超低空から撮影していた。韓国軍の士気の低下が非難されているが、本音は、大統領に対して、「いい加減に日本と敵対するのは止めて協力関係を作って欲しい」ということではないか。

 

 南ス-ダンで自衛隊から譲られた(借りた)小銃弾1万発はその象徴である。

 

 

 

従軍慰安婦問題を強調すればするほど、ベトナム戦争に派遣していた韓国軍30万人の暴行が蒸し返される可能性が高く、対北朝鮮防衛のためには「日本の協力が不可欠」なことも軍は知っている。また、日韓間に軍事条約がない以上、非常事態が生じても、米軍は、日本の了承なくして基地からは飛び立てない。

 

日本と仲良くしておくことは、韓国、ひいては極東の安全保障に不可欠なのだ。

 

 軍に嫌気がさして、士気の低下だけでない事態が生じなければよいのだが…

 

 

 

東京オリンピック

 

4月14日のテレビで、海外からの観光客が取材に「20-20が楽しみだ」と答えていた。さて、<twenty-twenty>とは、どこかで聞いたことがある。

 

そうだ、海外での会話のなかで、「俺の視力は正常だ。物事を正しく見ることができる」と使われていた。英和辞典には<twenty-twenty vision>と出ている。

 

東京オリンピックが、正しい構想、方向、運用でなされるよう願いたい。

 

 

 

さて、ここからが棚卸し

 

● お酒の上でのジョーク

 

 「結婚とは、判断力欠如の結果である。離婚とは、忍耐力欠如の結果であり、そして、再婚とは、記憶力欠如の結果である」

 

 

 

● 「華夷変態」

 

 江戸時代、いわゆる「鎖国」の時期に、大陸では、<明>が滅んで<清>が勃興する。徳川幕府は、これを<元寇>と同様の危機と捉えて、長崎や対馬を通じて徹底的に情報をとる。この情報を整理した書が「華夷変態」である。

 

  大陸(中国)に生じた事態を「危機」と捉えて対処しようと動いたところに、徳川 260 年の持続の理由があった。近年の日本も見習うべきであろう。

 

 

 

● 「三昧」

 

 般若系教典の教えでは、精神が安定した状態を「三昧」といい「空」につながる。

 

  囲碁三昧、ゴルフ三昧などというが、真にこの境地に至る人は少ない。

 

 

 

● 伯爵「坊城俊民」

 

‘94年10月の新聞記事のコピ-を見つけた。「戦後、日本の文明は滅びた」という坊城俊民さんの<戦後>とは、「応仁の乱以後」の意味であると知って、中村真一郎さんは呆然としたとコラムにある。さすがは五摂家に次ぐ藤原氏の名家の当主、サラリと、そして、粋な言い方ではないか。さて、余談になるが、若き日に学んだ北園高校では、正真正銘の伯爵家の当主が古典文学を、大名家(九州立花氏)の当主が数学を教えていたことになる。  (H26.4.25 記)

 

  風に吹かれて(平成26年5月号「近ごろ思ふこと)

 

 

 

サクラ前線は北上を続け、4月11日に松本、安曇野に達しました。いま当地では、ウメが満開、サクラ(ソメイヨシノ)は五分咲きで、モモは、まもなく開花です。ロウイ、コブシ、レンギョウも咲き誇り、山は稜線上に雪が残りますが、中腹は「山笑う」感じになってきました。用水路には、勢いよく水が流れ、ハウス内の苗代も、また、麦畑でも緑が濃くなってきました(4/14)

 

 さて、今回は、最近の事象への所感とともに、日頃メモをしたりコピ-して貼り付けた「私の雑記帳」を棚卸しし、<自選での>楽しい話題を記します。

 

 

 

性格は人相に出る?

 

かつて、佐村河内守の風貌が「麻原某に似てはいないか」と述べたことがあったが、ビット・コインのマウント・ゴックス社のCEOマルク・カプルスも、よくよく見れば、なんだか共通しているようで、これは気のせいだろうか。

 

 

 

言葉には「生命」が宿る

 

「言葉は生命」と、確か、野坂昭如がそういっていた記憶がある。

 

<率直に正しく明確に表現しよう> 言い換え、誤魔化しや不明確な用語には、何か悪意と企みがあるようにも思える。

 

 

 

武器輸出三原則も「防衛装備移転三原則」(ソフトを含むからだそうだ)と名称を変更して、閣議決定された。だが果たしてそれだけか。翻訳も難しい。さしづめ<Defence Equipment Transfer Principle>とでもなるのだろうか。

 

 

 

名称・呼称変更の系譜には、まず<軍隊→自衛隊>がある。戦後70年、そろそろ、国際用語に揃えてはどうか。外国も、表向きはともかく、<Self Defence Force>とはいわず、<Japnese Army><Navy><Air Force>であろう。このほかにも数々あり、<戦車→特車>、ナチスドイツは、戦車を<無限軌条付き自走砲>と名乗って、再軍備に突入した。<歩兵連隊→普通科連隊>、はて、これ以外の工兵連隊、騎兵連隊などは<異常科連隊>なのか?最近の傑作では<滑空甲板付き巡洋艦(護衛艦)>もある。実態は、近海防衛の小型軽航空母艦に該当するが、航空母艦といえば侵略兵器になると批判されるからか。しかし、言換えで誤魔化せば、軍人、兵隊の士気に関わり、防衛に支障も来たすだろう。

 

太平洋戦争の「退却→転進」の誤魔化しが何をもたらしたか思い出すとよい。

 

かつて「侵略/進出論争」があったが、韓国の教科書では、高麗が元とともに日本を攻めた「元寇=日本侵略」を<日本遠征>といっているそうだ。

 

 

 

役所の名前も、4文字になって、センスがなくなり、つまらない。2文字のところでは、名称変更の結果、聞き取り難くなったという話もある。

 

法務省vs総務省、外務省vs財務省がその例である。財務省は元の大蔵省の方がよく、総務省は、本来、<内務省>であろう。農林水産省も、6次産業化の時代なのだから、「大膳省」ぐらいの感じで行ったらよいかもしれない。

 

 

 

「防空の穴」 韓国で波紋

 

 北朝鮮の無人偵察機が韓国の大統領官邸を超低空から撮影していた。韓国軍の士気の低下が非難されているが、本音は、大統領に対して、「いい加減に日本と敵対するのは止めて協力関係を作って欲しい」ということではないか。

 

 南ス-ダンで自衛隊から譲られた(借りた)小銃弾1万発はその象徴である。

 

 

 

従軍慰安婦問題を強調すればするほど、ベトナム戦争に派遣していた韓国軍30万人の暴行が蒸し返される可能性が高く、対北朝鮮防衛のためには「日本の協力が不可欠」なことも軍は知っている。また、日韓間に軍事条約がない以上、非常事態が生じても、米軍は、日本の了承なくして基地からは飛び立てない。

 

日本と仲良くしておくことは、韓国、ひいては極東の安全保障に不可欠なのだ。

 

 軍に嫌気がさして、士気の低下だけでない事態が生じなければよいのだが…

 

 

 

東京オリンピック

 

4月14日のテレビで、海外からの観光客が取材に「20-20が楽しみだ」と答えていた。さて、<twenty-twenty>とは、どこかで聞いたことがある。

 

そうだ、海外での会話のなかで、「俺の視力は正常だ。物事を正しく見ることができる」と使われていた。英和辞典には<twenty-twenty vision>と出ている。

 

東京オリンピックが、正しい構想、方向、運用でなされるよう願いたい。

 

 

 

さて、ここからが棚卸し

 

● お酒の上でのジョーク

 

 「結婚とは、判断力欠如の結果である。離婚とは、忍耐力欠如の結果であり、そして、再婚とは、記憶力欠如の結果である」

 

 

 

● 「華夷変態」

 

 江戸時代、いわゆる「鎖国」の時期に、大陸では、<明>が滅んで<清>が勃興する。徳川幕府は、これを<元寇>と同様の危機と捉えて、長崎や対馬を通じて徹底的に情報をとる。この情報を整理した書が「華夷変態」である。

 

  大陸(中国)に生じた事態を「危機」と捉えて対処しようと動いたところに、徳川 260 年の持続の理由があった。近年の日本も見習うべきであろう。

 

 

 

● 「三昧」

 

 般若系教典の教えでは、精神が安定した状態を「三昧」といい「空」につながる。

 

  囲碁三昧、ゴルフ三昧などというが、真にこの境地に至る人は少ない。

 

 

 

● 伯爵「坊城俊民」

 

‘94年10月の新聞記事のコピ-を見つけた。「戦後、日本の文明は滅びた」という坊城俊民さんの<戦後>とは、「応仁の乱以後」の意味であると知って、中村真一郎さんは呆然としたとコラムにある。さすがは五摂家に次ぐ藤原氏の名家の当主、サラリと、そして、粋な言い方ではないか。さて、余談になるが、若き日に学んだ北園高校では、正真正銘の伯爵家の当主が古典文学を、大名家(九州立花氏)の当主が数学を教えていたことになる。  (H26.4.25 記)

 

 風に吹かれて(平成26年4月号:春のうららの)

 

 さくら前線は甲府止まり、安曇野では、雪囲いを外した庭に、ウメ、モモ、サクラが開花のスタンバイ中です。青空の下には、常念から燕岳、蓮華、後立、白馬へと、雪の稜線が連なりますが、下界では、麦もすっかり緑が濃くなり、里にはようやく春が来ました。シャクナゲには花芽がいっぱいです。「三春」、「桃源郷」の季節も間近でしょう。庭に、サンショを3本移植しました(3/31)

 

 

 

 

 

「老楽国家論」

 

 同志社大学の浜矩子さんが、最近の著書「老楽(おいらく)国家論」で引用している桂文珍師匠の落語の一節に次のようなくだりがある。

 

…頑張ってはいけない。競争してはいけない。競争の街はホ-ムレスで一杯や。

 

年を取ったことを嘆いてはいけない。若いことは恥ずかしいこと。年行くのはええよ。ぼ-っとしなはれ。肩の力を抜きなはれ。老いを素直に受け入れるべし。モノやカネに振り回されることなかれ。老いは楽し。楽しいことばっかしや…

 

 

 

 

 

続いて、浜先生のコメントは、「むろん、若いときは若くていい。若者らしく頑張ればいい。目一杯、肩に力を入れて突っ走ればいい。それが成長期というものだ。妙に老成してしまってはいけない。それが成長期というものだ…だが、…立派な年寄りの域に入ったとなれば、それに見合った風格が身についていなければならない。大人の雰囲気をサラリと醸し出せるようでなければならない。成長した大人の風情を漂わせたいものである」となっている。

 

 <ふ-む、ナルホド。だが、しかし…>であろうが、浜先生の指摘するのは、日本国のことで、フロ-や成長を追いかける時期が終わって、もうそろそろ、ストックを楽しみ、分配を重視するときなのではないかとの警告である。

 

 

 

 

 

東寺再訪

 

 2月の下旬、京都駅からほど近い「東寺」を訪れた。「講堂・立体曼荼羅」のうち<五大明王の配置状況>を確かめたかったからであり、加えて、日ごろは非公開の五重塔内部が、冬の一時期に限って拝観できるからでもあった。

 

 ちなみに、東寺は、ご存じの通り、真言宗総本山教王護国寺で、その開祖は「弘法大師」、世界遺産条約に登録された真言密教の頂点である。

 

 

 

 

 

さて、立体曼荼羅に戻るが、能楽の公演、たとえば「安達原」には、山伏が五大明王の名を掲げた経文を唱えて鬼女などを退散させようとする場面がある。

 

「東方に降三世明王、南方に軍荼利夜叉明王、西方に大威徳明王、北方に金剛夜叉明王、中央に大日大聖不動明王…」と数珠を擦り合わせる。

 

 東寺講堂での立体曼荼羅の配置は、中央の如来部に「大日如来」を配し、右が菩薩部、そして、左が明王部である。明王部は、不動明王を中央に、手前右(東)から、右奥(北)→左奥(西)→左手前(南)と経文どおりに配置されている。大そとを囲むのが四天王、梵天、帝釈天、総計は21躯体の仏像で構成する。

 

これで、ようやくにして経文の実感が掴めた。ちなみに、この不動明王は、大日如来の化身にして、昭和20年生まれの守護神?でもある。

 

 

 

安曇野の雪かき

 

関東甲信地方は、雪の当たり年で、例年はほとんど雪のない安曇野穂高でも2月に降った2回の大雪で、一時は1mを超える「大豪雪」になった。

 

隣家のお母さんは、「連日の雪かきで、腰も腕もパンパンになって、湿布を貼るのが日課です。お蔭で、雪焼け、すっかり黒くなりました」といっていた。

 

雪を乗せた屋根は重そうで、また、庭の樹木や野菜の雪囲いも潰れ、背丈が低い木はまだ雪のなかにある。しかし、シャクナゲはさすが立派、雪を払うと花芽をつけた枝が元気に立ち上がった。梅も椿もたくさんの花が咲きそうだ。

 

ともかく、春の雪解けがこんなに待ち遠しかったことはない。

 

 

 

 

 

さて、2月28日、松本への車窓では、甲府から小淵沢にかけ、ところどころ、倒壊したビニ-ルハウスが見られて、その無残な姿が痛々しい。その一方で、山々は、まるで何もなかったかのごとく、はるか遠方に輝いている。

 

とりわけ、南アルプスは神々しく、車中には、山岳撮影を目的とする方々も数多くいた。隣席の熟年男性などは、立派なカメラを持ち、チラリとのぞけば、撮っているのは、ひたすら「甲斐駒ケ岳」だけというほど熱の入れようである。

 

 

 

 

 

ヒトの記憶とは

 

 2月14日の東京は「45年ぶりの大雪」と報道されて、1969年(昭和44年)であるとはわかるが、具体的な日付はいつかと調べてみると、これが難しい。

 

どうやら3説あって、インタ-ネットでも、①3月12日、②4月1日、③4月17日が、多くヒットする。それぞれ、つぎのように、実況描写もある。

 

①  2月に転勤して直ぐだから印象が濃い。積雪は30cm(33cmとも)だった。

 

   明治神宮宝物殿付近の雪景色の写真も持っている。

 

 ② あまりの雪で、生後5ヵ月の娘を連れては帰れず、実家の母に預けた。

 

 ③ 工場で実習していたが、大雪で女子従業員が帰れないといっていた。

 

 

 

 人間の記憶というものは、受けた強い印象に左右されてこうなるのだろうが、難しいものだ。現在のように「日付入り写真」ではないので、ますますである。

 

気象庁に問い合わせようとも思ったが、夢がないので止めた。それにしても、マスメデイアが具体的な日にちを伝えないのはなぜだろうか。

 

 かくいう自分の記憶も日にちは定かでなく、ただ東武東上線と環状七号線が交わるスロ-プでスキ-を楽しむ人を見て、「こいつ、シャレたことをする」と羨ましかったことしか覚えていない。

 

(注)3/12 NHKラジオ「きょうは何の日」で、45年前の大雪の日が確定した。

 

 

 

 

 

副官型と長官型

 

 ふたたび、正木ひろし(弁護士)戦中戦後の個人誌「近きより」からである。

 

 1944年(昭和19年)7月号に掲載された東条批判では、「副官型が長官型を真似すると、いよいよ副官型を発揮すること、恰も猿が人の真似をすればするほど猿らしくなるのと同じ」 「かかる低劣な人物が、権力をほしいままにすることが出来るところに現日本の弱点があります」 といい切っている。加えて、連隊長クラスの人物が司令官に就いてしまうと組織はどうなるかも心配である。

 

                                (H26.4.2記)

 

風に吹かれて(平成26年3月号:早春の雑感)

 

 

 

フィッシングメールに要注意

 

 この種のメ-ルに、1月一杯悩まされた。発信元は、堂々と「三菱東京UFJ・配信サ-ビス」で、<今月中にアカウントが無効になるから、以下をクリックし有効にせよ>との内容で、もっともらしいアドレスまでもある。銀行によるそのようなメ-ルサ-ビスがあろうはずがないので、端から信用しなかったが、とにかくしつこい。文面を見れば、「貴様の」アカウント「利用中止を避けるため」とまるで日本語になっていない。「貴方様」または「貴台様」とするべきところ、<貴様>を敬称と取り違えたのだろう。まさしく<中国発>と見当をつけて、銀行にも知らせた。マスコミで「フィッシングメ-ル激増」と報道されるまで、送信は続き、そして、春節とともに消えた。

 

恐るべきは、携帯にまでも送られて来たことである。携帯アドレスは誰にも知らせていないので、Docomo間に限ったサ-ビス機能の悪用だろう。まったく、これでは、気軽に名刺も渡せない。

 

 

 

人事はまったく難しい

 

 NHK新会長の籾井勝人氏は、これからも興味ある発言を連発しそうな気がする。

 

当人は、「今後は不偏不党」といっているが、自分の考えを制約なしに話しているところを見ると、自覚のない「能天気」か、確信犯の「不撓不屈」かもしれない。いずれにせよ、近い将来に判明するだろう。

 

 野党サイドは、安倍内閣の弱い輪の一つがNHK経営委員陣と見ているようだ。

 

過去の発言まで取り上げるのはフェアとはいえないが、百田某、長谷川某は、会長とともに執拗に攻められるだろう。最初の人事に謙虚さがあれば・・・。

 

 

 

45年ぶりの降雪

 

2月8日は、東京も積雪27cm、45年ぶりの大雪になった。どうしても外出する用事があったため、雪まみれ。その上に風も強く、傘を1本、オシャカにしてしまう。それにしても、45年前というと1969年、23歳当時にそのような大雪があったのか、まさに<降る雪や昭和は遠くなりにけり>である。かつて、亡くなった母親が「2・26事件の日、東京は大雪」と話していたことも懐かしい。

 

 雪道を帰る自分に、謡曲「葛城」の風景、“山人の笠も薪(たきぎ)も埋ずもれて 雪こそ下れ 谷の道を たどりたどり 帰り来て…”を重ねてしまった。

 

 

 

日本の信用は世界一

 

 秋葉原の中国人客が、昨年の4~5倍と、激増しているらしい。

 

<政冷経熱>ではなく、どうやら自己防衛策のようだ。日本製自動炊飯器は定評のあるところだが、本年の売れ筋は、「空気清浄機」。6~7万円するものが、飛ぶように売れるとか。在庫がすってんてんという店も続出している。

 

自国政府と自国製品には全く信用が置けないので、この際、頼りになるのはやはり、<Made in Japan>ということなのだろう。

 

 

 

サムラ・カワチノカミ?

 

「佐村河内守」に関する報道が盛んである。音楽界の情報に疎く、しかも、<サムラゴウチ>という名前があることも知らなかったので、新聞で見たとき、<サムラ・カワチノカミ?>こりゃいったいなんじゃと思ってしまった。そういえば、徳島の吉野川沿いに「佐那河内(サナゴウチ)村」があると思い出す。

 

 今後、いろいろなことが明らかになるのだろうが、真贋をしっかり見極めず、「現代のベ-ト-ベン」などと持ち上げたマスメデイアに最大の責任がある。

 

佐村河内守は、高校生のころ演劇を志したそうだから、結果としては、稀代の名演技を続けてきたことになる。

 

さて、この御仁、あの麻原某と二重写しに見えてしまうのはなぜだろうか。

 

 

 

細川旋風は起こらず

 

W元総理が起こそうとした風は、「旋風」とはならずに終わってしまった。

 

東京都知事選の結果は、常識的というか、都民の良識を反映したものだろう。

 

ギリギリまで立候補表明をしない(後出しジャンケン)、討論会には出ない(政治資金1億円事件)、公約は転々(原発即時廃止以外)、演説は紙を見て、下を見て(最後は、手のひらにマジックで書いた要点を見るのをテレビどり)<手のひらに「人」と書いてこれを飲む>とは、聞いたことがあるが、自分の主張を、正面を向いて聴衆に語れなければ論外といわれても仕方がない。

 

 

 

細川元総理で思い出すのは、「プロンプタ-」を使った初の総理であることだ。

 

もう20年も前のことだが、ガットUR合意受入れの会見でこれを用いた。会見談話の執筆者として、どのような具合かリハ-サルをやってみたが、なかなか調子がよかったのが懐かしい。これまた遥かな昔のことである。それにしても、選挙にかかった金は、誰がどう負担するのか。他人事ながら、心配だ。

 

 

 

南の島に雪が降る?

 

遠い昔の映画を思い出した。2月14日は、日本全国ふたたび大雪となった。珍しいことに、ここ、南国の愛媛県の八幡浜でも、早朝、高い山が白くなったかなあと思いきや、浜まで下りてきて、斜面のみかん園も白くなる。昨日は、梅と菜の花を愛でたのに、きょうはただ寒いばかり。飛行機の窓からくっきり見えていた日本アルプスと瀬戸内「多島海」(archipelago)の姿がウソのよう。

 

小一時間も遅れて羽田に来れば、運河からは川霧が立ち上り、ロシア民謡の“川面、霧立ち、野辺に流れて、連なる山は、おお、ジグリ-の峰よ”と懐かしの歌が浮かんでくる。

 

 

 

それにしても、甲府の積雪=114cmには心底ビックリ。山梨県全体が孤立とか。中央本線も、およそ1週間、「特急あずさ」が運休、ロ-カル列車もコマ切れの運転が続く。安曇野の家が心配だが、交通手段がないのでどうしようもない。

 

19日のNHKラジオでは、甲府のリスナ-が「また上杉謙信に助けられた」と話していた。除雪の作業に、「上越市」(直江津、高田)の除雪車を見つけて、塩だけでなく、雪でも、甲斐の武田は、越後の上杉に応援されたらしいのだ。でも、この車、一体どうやって駆けつけられたのだろうか・・・。(H26.2.24記)

 

   風に吹かれて(平成26年2月号:春遠からじ)

 

 

 

スギ花粉が飛び始めました。少々早いものの、量は例年の半分のようです。

 

しかし、大陸からは、人→人の感染があるトリインフルエンザ、国内的には、ノロウイルス、新型のインフルエンザも流行の兆しと要注意の連続です。

 

 季節・気候も、政治も経済も暖かくゆるやかな上昇をと望みたいけれど、ときの流れが緩やかでありたいなどというのは、歳をとった証拠でしょうか。

 

しばらく前の映画で、「年齢は女性にとって財産」とのセリフもありましたが…

 

 

 

経済はインフレ局面に入ったか

 

かつて紹介したこともあるが、市ヶ谷のそばや「角屋」名物のカレーそばが750円から800円に値上げとなった。

 

30年ぶり値上げと記されていたから、「かくも長きデフレ」もいよいよ終焉か、はたまた、4月や翌年の消費税を先取り、織り込んでのことか。

 

緩やかな抑制されたインフレとはありうるのか、今後の動向は要監視である。

 

 

 

七草がゆ

 

1月7日は「七草」、正月料理や連日の飲酒で疲れた胃袋を休ませるためにも、消化のよい「七草がゆ」を食べる習慣ができたといわれている。もっとも、いまでは、「草摘み」などをする必要はなく、ス-パ-などでも売られている

 

「材料7種セット」を<おかゆに混ぜて加熱する>だけでよい便利さだ。

 

 

 

ずいぶんと昔のことになるが、母親が「七草」をきざむときに、まな板を

 

<・・・七草なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先に・・・>といいながら、

 

トントン、トントンと調子よく叩いていた記憶がある。それを、家内の母親に話したところ、「東京でもそうなの!」といわれたことを思い出す。

 

 古くは6世紀頃の中国(梁)で、人の爪を食らうという鬼鳥(鬼車鳥)を防ぐために、正月7日に、門戸、床を叩く習慣で、正しくは、7×7の49回を叩くのだそうである。31日が春節、七草もこれから、防疫もこれからである。

 

 なお、一般的にいわれる歌詞には、「唐土の鳥と日本の鳥と」とも出ているが、これは、<土地>が<鳥>に聞き間違えられたのではなかろうか。

 

 

 

唐土の鳥 その2

 

 1月13日、福岡に、中国の<PM2.5>が押し寄せて、上空が霞んだとも報じられ、さらに、水銀までも加わった。また、鳥インフルエンザ病原菌も北西の季節風に乗って日本に襲来し、例年のごとく、防疫対策に大わらわである。大陸から日本への影響は、はるか昔から変わらないし、まだまだ続くだろう。

 

 

 

聖徳太子のごとく、菅原道真のごとく、日本の国家としての明確な立場を守りつつ、経済関係は、国際規律のなかで是々非々の柔軟な運用をすることがあらためて強く望まれる。中国は、軍事面でも脅威、健康面でも脅威である。厳しいけれども、これが現実だ。中国国民でも、PM2.5の政府情報は信じないで、在北京アメリカ大使館のデ-タを利用し判断する。まさに、<国に政策あれば、地方(国民)に対策あり>が、かの地では行われている。

 

 1月12日のフジテレビ、普天間に関する討論会では、太田元沖縄県知事が「中国は脅威ではない」などとたわけたことをいっていたが、そんなことでは、日本は中国の植民地になりかねない。

 

 

 

さよならピ-ト・シ-ガ-

 

 1月27日、アメリカのフォ-ク・ソング歌手「ピ-ト・シ-ガ-」が94歳で死去した。アメリカン・フォ-クの草分けともいうべき存在で、一般的には、「花はどこへ行った」が有名だが、「勝利を我らに」の普及にも貢献した。徹底した反戦歌手で、非米活動委員会でも追及された経験を持ち、ボブ・デイラン、ジョ-ン・バエズなどに大きな影響を与えている。個人的にいえば、「おやすみアイリ-ン」が好きで、バンジョ-を抱えた姿を思い出す。

 

Good  night, and  See you in my dream・・・

 

 

 

雪の札幌

 

 1月29日、前日の大雪で周囲は真っ白、30cmは積もったであろう。新雪のJR線路際、白樺の疎林の小道でクロスカントリ-?をするカップルの姿が見え、へえっ、クロカンってこんなに身近なものなのかと、妙に感心してしまった。

 

 北海道は、夏が短いので、ゴルファ-たちは、冬のスキ-・トレ-ニングで技術の低下を防いでいると聞くが、すぐそばにフィ-ルドがあるのは羨ましい。ゴルフは、下半身を固定して上半身をひねる。スキ-は、上半身を固定(安定)させて下半身をひねる。運動の共通点があるという主張である。

 

 

 

Next stop is …

 

 新千歳から札幌までのJR線での車内アナウンスをうつらうつら聞いていた。

 

“Next stop is anyone”<anyone>って何?そう、「恵庭」の聞き間違えだった。

 

 ところで、JR東日本やJR東海、また、都心の地下鉄などでも、英語でのアナウンスは、“Next station will be …”となっているようだが、いかがであろうか。これに対し、JR北海道では、“station”でなくて<stop>を使い、また、“will be”と未来形ではなくて<is>といっており、大きな差がある。

 

 ちなみに、海外での経験では、ワシントンの地下鉄の場合、<Next stop is Dupont circle>とJR北海道風であり、スイスの鉄道では、<Nous  arrivons au Lausanne>と未来形のようであった。

 

 

 

「ジャンボジェット」(B-747)が消える

 

 ボ-イング747は、安全、安価、速く、広く(2階建有り)、快適で、まさに、日本のために作られたジェット機で、この普及により格安の海外旅行も可能になったといってもよいのだが、ANAの機長からのアナウンスによれば、どうやら、この飛行機は、3月末で就航を停止するとのことらしい。

 

 そして、これに代わるのが、低コストの見本で、やや不安な、例の「B-787」、さて、一度染みついた不安は、完全に払しょくされるのだろうか。

 

(H26.1.31記)

 

 風に吹かれて(H26年新春号:穏やかな年でありますように)

 

 

 

1 ポチ袋

 

 正月のお年玉を初めとして、<心づけ>を入れる小袋を「ポチ袋」という。

 

例えば、伝統芸能の発表会などで、和服の着付けを手伝ってもらった場合には、<心づけ>をポチ袋に入れて渡してくださいと、師匠から弟子たちに指導があったりする。ちなみに、竹下総理は、背広のポケットに、1,000円、5,000円、10,000円と中身の異なるポチ袋を入れていて、状況に応じ渡していたらしい。

 

 

 

この「ポチ袋」については、<関西から伝わり、“これっポッチ”=少額が語源である>と説明されるが、異説として、フランス語由来もある。つまり、<小さい><ささやかな>=“petit”→ <プチ> → <ポチ>となった。

 

 こちらの方が、高級感もあり、また、犬の名前の説明としても可愛くてよい。

 

 

 

2 日韓関係と極東の安全保障

 

 つぎは、最近の韓国に関する感想であるが、まず、朴大統領には、隣の家(日本)の悪口を近所中(アメリカ、中国)に触れ回るオバさん的な行動を中止すべきで、<いつも自分のいいたいことだけをいう>との「一歩通行」も改めて、会話や議論を相互交流させるよう心掛けてもらいたい。

 

経済的にうまくいっていないなかで、日本へのコンプレックスもあり、頼る相手を中国に変更してしまったように見えるのは、地域の安全保障に反する。

 

 

 

 さて、12月23日、南ス-ダンに派遣している自衛隊のPKO部隊に対して、(国連経由+直接) 韓国のPKO部隊から自動小銃に使用する銃弾の緊急要請があり、日本政府は、安全保障会議を経て、1万発(1発80円)を引き渡した。

 

アメリカ部隊にも要請したらしいが、「手元に少量しかない」との理由から、「国連を通じて日本に要請」となったと報じられている。推察の域を出ないが、アメリカ部隊に割愛できる銃弾がなかったのではなく、この要請を奇禍として<安全保障を通じる日米韓の軍事連携>の観点から振り向けたのではないか。

 

 

 

これに対し、韓国国防省は、「日本には頼んでいない」「足りないのではなく、予備の銃弾の調達を要請した」などと打消しに必死だが、これは、所詮、国内向けのパフォ-マンスで、伝えられるように事態が逼迫している現地で、韓国部隊と避難民を守るためには、(報道されるような)1人15発では何も出来ない。現場の指揮官が一番よく知っている。

 

また、12月31日のベタ記事では、「現地部隊長は、本国国防省への連絡をせず日本に要請してしまった」とも指摘して、ヘタをすると現地軍に責任をかぶせて逃げようとする懸念もある。こんなことでは、士気は落ち、情けない。

 

 「アメリカ、日本、韓国、台湾」を軸とする極東アジアの安全保障は、共同演習だけではなく銃弾サイズといった細部に至るまで密接不可分の関係にある。

 

 

 

3 消費税の引上げと軽減税率

 

 「10%導入時に軽減税率を検討」と玉虫色の決着を見た<与党税制大綱>であったが、財務省が、「減収になる、線引きが難しい、手続きが煩雑だ」など理屈にならないようなことをいっているのを鵜呑みにすることはないと思う。

 

① 減収は消費税率のレベル全体の問題だ、②先行している西欧諸国では軽減税率を導入している、③手続きは<インボイス(送り状)方式>が本来である、

 

④現金給付は、申請主義だから超高齢者などにはかえって複雑で漏れがある。

 

以上のように、税制当局の説明は当たらない。

 

 

 

 かつて、消費税導入以前の日本には、贅沢品に課せられる「物品税」というものがあった。淑徳大学の結城康博教授によれば、贅沢品として分類されたレコ-ドの論争でも、かなり乱暴、大胆な線引きが行われ、「黒猫のタンゴ」は歌謡曲扱い(=課税)、「泳げたいやきくん」は童謡扱い(=非課税)であったそうである。ことの性格上、多少文句があっても軽減税率は導入すべきだろう。

 

 

 

4 安倍総理が「靖国神社」に参拝

 

 12月26日、安倍総理が「靖国神社」に参拝した。小泉総理以来7年ぶりのことだそうである。<国家と民族のために尊い命を落とした英霊に尊崇の誠を捧げ不戦を誓う>のは当然で、かつ、望ましいことである。

 

なお、この日は、知ってか知らずか、毛沢東主席生誕120年記念日、中国で、毛沢東の人気が復活しつつある状況下、奇妙なタイミングになってしまった。

 

 

 

さて、昨年の今ごろも迷っていたようだが、風の応援もあって、ようやく、就任1年にして、約束を実現できた。風というのは、韓国PKO部隊への銃弾1万発提供、国会の閉幕、天皇誕生日の終了、予算案の策定、普天間問題収束の方向への踏出しなどである。マスコミは、年末年始の報道で忙しく記事は散る、加えて、正月はおめでたい行事の時期であるから悪口もいい難い。

 

まあ、通常国会も来月末まではないから、「四海波静か」との判断であったか。

 

 

 

民主党や一部のマスコミは、「日韓、日中関係が難しい時期にわざわざ波風を立てることはない」というが、小泉総理が退任して以来の総理は、靖国参拝をしなかったのに、両国との関係は、むしろ悪化したのが現実ではないか。

 

なお、アメリカが、「(安倍さんの個人の行動には)失望し、(日本国としての)平和の念に注目する」と表明し、与党の公明党もブレ-キをかける見解なのは、今後の安倍政権への「寛容と忍耐」「説明責任の実行」の要請と受け止めたい。

 

 

 

5  「都知事選」の投票日は2月9日

 

 2月9日説と16日説があったが、9日に決まったようだ。意図的かどうか、2月8~9日は「民主党大会」(福島)の予定があり、選挙前日の8日、最後の追込みの日に、党の幹部を東京に総動員する日程は苦しくなった。

 

「知事不在の空白期間をできるだけ短く」との大義名分はあるが、この日程、一体、誰が決めたのだろう。一昔前であったならば、これは、自民党国対の知恵袋の某氏あたりがやりそうなことだと決め打ちするところだが…。

 

風に吹かれて(H25年10月号からの抜粋)

 

3 靖国問題を考える

 

 さて、話題は変わって「靖国」である。10月18日の「秋の例大祭」も近い。

 

8月15日(終戦の日)の参拝は見送った安倍総理だが、秋のこの行事には参拝するのであ    ろうか。これを逃すと、年末以外には、参拝の機会がないのだが…。

 

 距離があり、また鋭く対立する靖国問題だが、次のように素朴な疑問もある。

 

 

 

① なぜ8月15日(戦争に負けた日)の参拝にこだわるのだろうか。

 

② 「国のため尊い命を捧げた英霊に尊崇と追悼の誠を捧げる式典」には、太平洋戦争の戦禍に見舞われた他の多くの国々のどこからも反対がないのに、なぜ中国と韓国だけ「反省の言葉がない」と騒ぐのか。

 

(兵士に<犬死だった>といえるか?韓国はベトナムに反省・謝罪したか?)

 

 

 

③ 靖国神社側は、「なぜ戦犯を合祀したのか」きちんと説明すべきではないか。

 

 (「なぜ分祀ができないのか」の説明も不十分ではないか?)

 

④ 「戦死者の墓前に国のトップが参拝するのは当然」との論法でアメリカの「ア-リントン墓地への参拝」を出す人も多いが、靖国神社は墓地ではなく、お骨もない、<靖国は魂の拠りどころ>という概念を分かっているのだろうか。

 

⑤ 千鳥が淵墓苑を「靖国に代わる追悼施設」に拡充するという考え(福田元総理が代表格)もあったが、遺族の気持ちを聞いたことがあるのだろうか。

 

 (兵士たちは、「靖国神社で会おう」といって戦いに散ったのではないのか?)

 

 

 

⑥ 伝えられるところでは、中国や韓国でも軍人たちの本音は、「自分たちも戦死したら国のトップにお参りして欲しい、靖国参拝は政治問題ではない」ということらしい。これが普通なのではないのか。

 

⑦ 「昭和天皇は合祀に不快感を示し、8月15日の参拝を取りやめた」という。

 

 しかし、いまでも春と秋の例大祭には使者をして参拝させているのではないか。

 

 

 

余談になるが、8月15日の「韓国議員団のパフォ-マンス靖国抗議訪問」に対する入国管理の扱いと実際に目撃した警視庁の警備ぶりは際立っていた。

 

呉善花さん(日本国籍)の入国を理由なく拒否した韓国と入国拒否の理由はあるものの韓国議員団の入国を受け入れた大人の日本の違い、そして、神社の南門を封鎖し、500m手前で交通を完全遮断して、議員団と右翼などとの接触を回避し、説得によって引き上げさせた日本の警備ぶりを対比すると、韓国には日本に対する潜在的コンプレックスがあるのではないだろうかとすら思える。

 

 

 

藩基文国連事務総長の「日本は反省すべき」、「歴史と戦争に学ぶべき」との発言の深層にも、この種のコンプレックスがあるかもしれない。こんな人物の牛耳る国連に世界第二の分担金など払うのはおかしくないかという人もいるが、その気持ち、分からないでもない。自らの発言が危うくなると「日本を特定はしていない、誤解してくれるな」などと、見え透いたいい方も矛盾を拡大した。

 

では、この発言に喜んでいた中国も<誤解していた>のだろうか‥。

 

  風に吹かれて(H25年歳末号:あづみ野の冬日記)

 

 

 

 あづみ野は、すっかり冬になりました。日中の最高気温が5~6℃、夜間の

 

外気温は-5℃になることもあります。そんなとき、日が落ちて外出でもしようものなら、心底から冷え上がってしまいます。身も切れるほどの冷気ですが、その分、夜空の月や星、山々は、凛として冴えわたり、もの凄い迫力です。

 

夜通しパネルヒ-タ-をつけて寝ますが、湯たんぽ併用のお蔭で助かります。

 

 

 

北岳は王者の貫禄

 

 ス-パ-あずさで松本に向かうときには、進行方向の左、窓側の席を取るが、晴天に恵まれたこの日は、甲府から、絶好の南アルプス展望を楽しんだ。

 

 

 

山頂のオベリスクが指呼されるほどの鳳凰三山とその右手に豪快な甲斐駒、雪のつき方がやや足らないと思っていた矢先、ほんの一瞬だが、アサヨ峰へと至る鞍部に「北岳」のピラミッド(3192m)が、白銀の衣をまとって顔を出す。

 

さすがに王者の貫禄、これが見えただけでも出掛けてきた甲斐があった。

 

 

 

小淵沢を過ぎて、富士見付近では、冬枯れした入笠山の山肌に一本の白い筋、パノラマスキ-場には、人工降雪機の煙が上がり、とても寒そうだ。上諏訪、岡谷では、逆光に、諏訪湖の水面(みなも)が輝き、そして、塩尻に続く長いトンネルを抜けて、景色は北アルプスへと一変する。寒気団から吹く北西風は山々に雪雲をつくり出して、厳しい風雪が思いやられる。暖かい列車のからの横着なことではあったが、優雅な山岳展望を堪能できた。

 

 

 

雪の帽子に霧氷の衣装

 

 安曇野の朝6:45、夜明けとともに2階に上がり、西窓から見ればピ-カンの上天気。さっそく、モコモコになるまで着込んで外へ出る。西の常念山脈では、朝日を浴びた稜線が白銀に輝き、中腹は霧氷で真っ白、神々しい一瞬だ。また、北に目をやれば、有明山の彼方、蓮華~後立山~白馬と遠くなるほど雪が濃い。

 

 

 

目の前の田畑には、一面に、霜が下りていて、野沢菜も真っ白だ。この霜が独特の甘味を出すのだろう。そうだ、きょうは、センダンやらイチジクなどの寒さに弱い木々には囲いをして、霜よけのワラも敷かなければ・・・。

 

 

 

県民手帳は優れもの

 

 12月上旬のテレビで、「長野県民手帳は評判がよく、年間5~6万部も売れる隠れたベストセラ-」と紹介されていた。「手帳はコンビニなどで市販されるが、売切れの店も出始めている」ともいわれていたので、<これは、一つ買わねばなるまい>と、穂高町のコンビニ「サ-クルK」に飛び込んだ。

 

 

 

 中身を見ればナルホド、興味を引くよい出来である。資料編、名簿編、また、生活情報編と役立つ情報が盛りだくさん、県の情報課の頑張りのほどが分かる。

 

ふるさとの行事も、「元旦マラソンが4ケ所もで開催される」ことから始まって、「大晦日の諏訪大社二年参り」に至るまで全12ペ-ジにわたり掲載されている。

 

 

 

 農業関係の統計数字では、長野県が全国第一位のものとして、総農家数

 

(11万7000戸)、レタス収穫量(17万4000トン)、カ-ネ-ション出荷量

 

(6万1000本)、水わさび生産量(990トン)、味噌、寒天の出荷額などが並ぶ。

 

 ちなみに、平均寿命は、男子80.88年、女子87.18年といずれも全国第一位、就業率も58.9%と全国第一位、逆に、生活保護を受けている世帯の比率は5.4%全国第45位だから、これらは、就業率の高いこと(とくに高齢者の就業率)、農家戸数が多いことと無関係ではあるまいと思っている。

 

 

 

ヒイラギ飾ろう

 

 “ヒイラギ飾ろう、ファラララ ラ-ラ ラッラッラ、晴れ着に着替て…   キャロルを歌おう…楽しいこのとき…昔を偲んで…”

 

 

 

庭のヒイラギに可憐な小さい花がたくさん咲いた。優しく、ほんのりと甘い香りがする。本来の花の時期は10月~11月と聞いているが、冷涼な当地では、多分12月中は咲き続くことだろう。欧米でクリスマスにヒイラギを飾る習慣があるのも分かるような気がする。なお、<柊>の葉は、九曜星とともに、母校「北園高校」の校章に使われている(ヒイラギ飾ろう:讃美歌は第2編129番)

 

 

 

ハトの巣は芸術品

 

 イチョウの葉がすっかり落ちて、枯れ枝にこの春かけられていたハトの巣が露わになった。よく見ると、本当にうまく出来ていて、芸術品といっても過言ではない。小さな口ばし一つで、親鳥は、小枝を集め、ザル状に編んで、泥と唾液で固めている。鳥類の学者によれば、ハトが人家近くに巣をつくるのは、やはり、カラスの食害(カラスの子育てには動物性タンパク質が必要)からの防御のようである。このまま捨てるのも惜しかったので、ちょっとのあいだ、元のままに飾っておくことにした。

 

 

 

 ことのついでだが、小鳥や小動物の天敵「トンビ」の落し物も見つかった。庭の片隅に「チンチラ」のようにフワフワな小動物の死骸を発見する。多分、これが野鼠で、トンビの運び損ねだろう。可愛いような怖いような感じである。

 

 

 

いよいよ鍋焼きうどんが

 

 通い慣れた蕎麦屋「安留賀」では、12月に入り、「鍋焼きうどん」が登場した。鴨南蛮に始まり、やがて鍋焼きへ、季節は、ドンドンと冬物語である。

 

 

 

 いつも利用する大糸線の「柏矢町駅」でも、12月に入って、駅の待合室には、スト-ブが出現した。しかし、温度によるきめ細かい管理をしているらしく、低温の日は設置、燃焼させ、暖かい日は撤去と決められているようでもある。

 

 駅の存続のためのJRから市役所への委託と、厳しい経費節減もよく分かる。

 

                        (H25.12.24 記)

 

  風に吹かれて(H25年12月号:紅葉あれこれ)

 

 

 

 安曇野はそろそろ冬支度です。厳しい寒さに備えて、水道の不凍栓を閉め、ボイラ-の水も抜きました。春が来るまでは<山岳展望>を目的とした短期の往復に限るつもりです。そして、「湯たんぽ」と「長靴」には重宝しています。

 

 

 

さて、11月の中旬、長野県の仕事で、北安曇の大町に行きましたが、山裾の紅葉を従えて屏風のように屹立して迫る爺、鹿島槍、五竜の三山の壮大さには、ただただ圧倒されました。これらの峰々は、日が落ち、街が暗くなってからも、“窓の雪”のように、大きく覆いかぶさって、いつまでも見えています。

 

都会からの人間にはとても素晴らしい眺めなのですが、大町の方にとっては、この美しく豪快な景色も、とくに冬場には、「鬱陶しい」とニベもないのです。

 

田中角栄が「上越国境の山さえなければ越後はもっと暮らしやすいのに」と嘆いていたその気持にも共通するものがあるのでしょう。

 

 

 

一方、南安曇の穂高町では、常念山脈の尾根筋には雪が来ましたが、東山の山麓がちょうど紅葉の盛り、大町では間近に見た蓮華岳から後立山への山波もここからは40km、小さ区、優美な遠景となっています。昨日の雨で、自宅の庭に停めた自動車の屋根には、カエデの葉が花模様を敷き散らし、ちょっとよい感じで、ナンテンも実が真っ赤っか。この地は、どこからでも、例えば、国営公園(標高1000m)に登れば、青空、新雪、紅葉の三段染めを満喫できます。

 

近くの穂高神社では、「新そば祭り」に合わせ、宮城県雄勝町(石巻の東)の「法印(山伏)神楽」が奉納されました。地元商工会の青年たちが大震災後の手伝いをしたことのお礼だそうです。小さな子どもたちが、黒いヒョットコにからかわれ、追い回される様子がとても可愛らしく、深まる秋の風物詩です。

 

 お隣の農家Hさんのところでは、錦鯉のハウスにも暖房の煙が上がり出して、例年と変わらないル-テイン作業が淡々と進み、冬の到来を告げています。

 

 

 

紅葉で宴会 今は昔

 

 お天気キャスタ-「森田正光さん」が、読売(10月13日「晴考雨読」)に、「江戸時代以降、パッと咲く花見の方に人気が移って、地味な紅葉の宴会は廃れていったのではないでしょうか」、「16世紀に描かれた<観楓図屏風>(狩野秀頼筆)では、カエデを見ながら宴会をしている」と紹介している。

 

 

 

また、酒肴の宴会とは違うが、豊臣秀吉の北野天満宮での大茶湯(茶会)は、天正15年(1587年)10月1日(新暦では11月1日)に開催されているから、これも、多分、紅葉宴会を兼ねた集いと見てよいのではないか。地味かどうか異論はあるところだが、室町時代作の能にも、確かに「紅葉宴会」が登場する。

 

 

 

謡曲「紅葉狩」

 

 能や歌舞伎に有名な曲「紅葉狩」では、信濃の戸隠山を舞台として、「ときは長月、二十日余り」というから、新暦では10月の下旬に当たり、そこでは、「満山紅葉」の景色のなかで、女性たちの大宴会が行われている。

 

 

 

紅葉狩りに出かけた平維茂の一党は、山中で美女たちに出会う。その様子は、“やごとなき上臈の幕うちまわし屏風を立て、酒宴なかばと見えて候”であり、酒と女に弱いこの御仁が、“紅深きかんばせのこの世のものとも思われない”女に出会ったものだから、素通りも出来まいと誘われるままに杯を重ね、うたた寝から覚めてみれば、なんと「鬼女」に一変、一戦交えるという筋書きである。

 

 

 

 あらためて、「かつては紅葉で酒宴も自然だった」との森田説も正しいと思う。日本語では、「紅葉狩り」と「桜狩り」は並んでいる。

 

 < 林間に酒を温めて紅葉をたく > このゆとりも復活させたいものである。

 

 

 

紅葉を求めて

 

・ 日光(11/9)  高校のクラスメ-ト12人で日光のゴルフ場へ。車窓の風景は、

 

農家の庭先に漬物用の大根、軒に柿が干されて、すっかり晩秋の模様である。

 

女峰、赤薙から男体への連山は雲がかかり、山頂部分は見えないが、中腹は赤や黄色に染まっていた。雪の到来も間近だろう。コ-ス内に数多い広葉樹は、いまが紅葉の盛りだ。カエデ、ナナカマド、ケヤキ、カラマツなどに囲まれて、舞い落ちる木々の葉は逆光に輝き、道には名残りの野菊と、愉快な一日だった。

 

 

 

・ 横浜三渓園(11/20) 明治時代の大実業家「原三渓」が築いた庭園は、敷地

 

面積5万坪余に廃仏毀釈で行き場を失った京都などの寺院建築を横浜に移築し、今日に至っている。加えて、白川郷の合掌造りもあり、十分に楽しめた。

 

本格的な紅葉には少し早かったが、松の緑のなかに、イチョウやカエデが色づき、かえってその美しさが引き立てられている。関東地方で最後の紅葉は、12月の「鎌倉」、建長寺や「花の」瑞泉寺らしいから、これからでも間に合う。

 

 

 

・ 奥多摩むかし道(11/25) 昨24日は、気象庁による東京「紅葉日」とか。

 

この道は、旧青梅街道(甲州裏街道)の一部で、切り立った多摩川渓谷を

 

眼下に見下ろし、植林の緑のなかに赤や黄色が映える絶景を、随所に満喫するすばらしい山道である。行程は、氷川から小河内ダムに至り、約9km、3時間余りで、いまも生活道路として使わている。途中、薪が積み上げられていたり、柿も干され、また、イノシシ避けの柵もありと、山の斜面に辛うじて営みが維持されている集落を縫いながら進む厳しさと切なさの入り混じる道である。

 

自分たちの年齢も考慮して、奥多摩湖からの下りをとったが、絶頂の紅葉を愛でながら<停まったり歩いたり>昼過ぎまで、まさに「命の洗濯」であった。

 

 

 

霜葉は二月の花よりも紅なり (杜牧)

 

<遠上寒山石径斜 白雲生処有人家 停車坐愛楓林晩 霜葉紅於二月花>

 

初めて習う漢詩の一節で、この詩人は、霜や冷気を受け紅葉したカエデの葉が、春のウメやサクラの花よりも赤く美しいといっている。

 

紅葉は<黄葉>とも綴るが、やはり本命は<紅葉>だ。「さて英語では?」と辞書を引けば、 <red(yellow)leaves>、<turn red>(紅葉する)などと並んで、<go to enjoy autumn colors>、これは、紅葉狩りだろうか。                           (H25.11.26記)

 

 

 

風に吹かれて(11月号追補:偽装表示問題への感想) ‘13.11.10

 

 

 

● トロツキ-もびっくり、ゲバラもタジタジ?

 

 

 

偽装表示で騒がれている「阪急阪神ホテル」の前社長は、ひょっとして、稀代の大革命家かもしれない。自らの調査結果を公表し、記者会見でも、「誤表示」、「連携不足」「認識不足」を連発し、「偽装の意図はない」といった回答を貫いてしまった。その結果、ご同業の皆さん方は「公表するならいまだ、あの釈明方法を通せばどうやら罪に問われることはない」と便乗続出、ものすごい広がりを見せている。

 

しかも、結果として、社長たちの首を次々と飛ばし、加えて外食業界の今後における表示や説明のやり方に画期的な改革をしてしまった。つまり、彼は、すごい世直しをしてしまったことになる。

 

ただ一発の銃弾も撃たずして、大革命をやり遂げたこの人に、さすがのトロツキ-もびっくり、ゲバラもたじたじではなかろうか。

 

 

 

もちろん、社長がやめたからといって、騙して儲けたという根本問題は解決していない。罰則の強化をいう向きもあるが、もっと効果的なことは、この種のインチキをした輩は世の中から抹殺するのが正しい。社会的、経済的制裁が最もよいのだ。とかく日本人は、「社長が責任とってやめたのだから」と責任追及を打止めにする傾向があるが、これはよくない。

 

 「コンプライアンス」とは、消費者に応える(comply)が正解である。損害賠償を求めるのもよいし、本来は高くて希少な原料が、一年中、安くあるわけではないことを消費者も自覚しよう。安いものには理由がある。

 

 日本人の舶来好み、ブランド志向も落ち着くべき時期に来ている。

 

 

 

こうなってくると、中身、味で勝負していた「大阪の食い倒れ」もそろそろ死語になるか、それとも逆に大復活か難しいところである。

 

ちなみに、フランス料理は、「ブルゴ-ニュ<風>」などと表示、料理の腕前を自慢するのが本筋になっているように思える。例えは違うが、肉の万世の名物「パ-コ-麺」は<手打ち風>と表示し、ウソはついていない?

 

最後に、個人的な感想だが、画像としては、黒子のお母さんが名役者の

 

「船場吉兆」偽装事件の記者会見の方が、面白かったのだけれど・・・。

 

 

 

 

 

 

 

風に吹かれて(H25年11月号:秋の夜長に)

 

 

 

1 聖なる牛とは

 

 ある業界紙(米麦日報)で面白い記事を見つけた。

 

「インドの畜産事情」という講演の要旨で、そのまた一部分を勝手に要約してみると、…インドの畜産の主力は「水牛」であり、このうち、雌は、「乳用」とされた後は「肉用」に処分される。雄は、そもそも持久力がなく役牛にもならないので、誕生後2週~1年で「肉用」に処分される。…「乳牛」(在来種、ジャ-ジ-、ホルスタイン)では、雄は、在来種は運搬、農耕用を経て肉用に、ジャ-ジ-種、ホルスタイン種は肉用に直行する…。

 

 

 

水牛は牛の範疇に入らず、牛のうちでも、乳用種の「雌」だけが「神様」=<聖なる牛>として、乳が出なくなった老後も、道の草を食みながら過ごせる。

 

 

 

ちなみに、インドの人口のうち、81%に当たる9.7億人がヒンズ-教で、牛は食べにくく、抵抗感なく食べるのはトリ肉だろうと推測されているが、他方、 イスラム教も13%、1.6億人なので、絶対的には、牛肉消費人口も相当のものだ。

 

 

 

2 「日本のうた」 歌唱法 その2

 

 ふたたび、ソプラノ歌手「藍川由美さん」の登場である。最近入手した本とCDによれば、「日本の歌を美しくうたうためには、日本語を正確に発音できる発声法が必要で … ブレがあると日本語が日本語らしく響かない。このブレが少ないのは」として、「流行歌なら美空ひばり」と指摘している。ごもっとも!

 

 

 

 また、ここでは、「西洋もどきの歌い方のため日本人が歌う日本語が聞き取れないのは何故か」についても触れ、その正しいあり方を説いている。歌詞と曲、歌詞の正しい発声は、藍川さんが実際に歌うCDで、違いなどが明らかになる。

 

 

 

ランダムではあるが、いくつかの例とポイントを挙げてみよう。

 

① “めだかの学校”アクセント、語尾:しばしば、<だ-れが、せ-とか、

 

せんせ-か>と歌われるが、本来は、<せいと> <せんせい>と歌わ

 

なければならず、作曲家の方も、<せいと>をフラットなアクセントでは

 

なく、<せんせい>も関西弁?にならないようなメロデイにすべきであっ   た。

 

② “故郷”言葉本来の意味と発音:<おもいいずる>と、「い」が続くように見えるが、これは、<おもひ、いづる>を意識しながら歌う。

 

“七つの子”:こちらも<か-わい、かーわい>ではなく、元の「可愛い」を考えれば、<かはいー、かはいー>に近づけて歌う。

 

③ “春の小川”品詞ごとの濃淡:名詞は強く、助詞は息を抜くようにふわっと歌えば、<春 ノ 小川 ハ さらさら 流る>となる。また、山田耕作を引用し、名詞のなかでも<母音の三つ重ね>は西洋風発音になるので、一例として、「さくら」は、<sa-ku-ra>ではなく、<sa-k-la>と歌えば、より日本語に近くなる。藍川さんの、日本語を大切にしたいとの思いがこもっている。

 

 

 

3 日本人の「同値化」と日本社会の「強靭化」

 

 関西電力の広報誌「躍」(やく)最新号の三者鼎談の中で、BNPバリバ証券の「中空麻奈さん」が面白くも鋭い指摘をしている。

 

 

 

その要旨は、<金融マ-ケットにいる身としては,日本人の「同値化」が

 

かなり怖い。リスクに対し、欧米ならリスクをとる人・外す人、必ず二方向の人がいますが、日本だと、例えば原子力が怖いとなると、わっと電力セクタ-(株)が売られていく。一方にしかならない。それは、結局パニックを起こしやすい>まさにその通りである。

 

「21世紀は多様性の時代だ」などといいながら、現状はその逆の方向にある。

 

 

 

また、この鼎談の中では、日本社会の強靭化への課題と対策について、次のような指摘もあった。すなわち、<自然災害は起こることを前提として、国や経済のあり方を考えた方がいい>というのである。とかくリスクを<常に低く見る→大丈夫だと思いたい→思いたい、思いたい→大丈夫だと思う>になっている。

 

 これを、「平常性バイアス」「同調性バイアス」といって、個人から集団まで引っ張られてしまうので、なんとか避ける方策が必要だという。

 

 

 

4 地雷斥候

 

 過日、食糧庁OBの同窓会「糧友会」(会員約1,000名)の総会が開催され、この日は、大正14年生まれで88歳の米寿を迎えられた28名がお祝いを受けた。

 

 

 

出席者を代表して、濱裕浩さんがスピ-チされたが、印象深いものであった。

 

 <平和が大切、この平和をいつまでも維持してほしい>というのが主題で、中国戦線での経験を話された。繰上げ召集で中国に派遣され、終戦を漢口で迎えたのだが、そのなかに、「地雷斥候」という聞きなれない言葉があった。

 

地雷が埋設されていると思われる地帯を前に、軍需物資を載せたトラックを

 

通過させる場面である。「初年兵は集合!」の掛け声が起こり、初年兵達は3m間隔で横1列に並び、ゆるゆると前進する。地雷原を無事通過できると、その後からトラックが進む。人間は「赤紙1枚」で補充が利くが、トラックや軍需物資は補充が出来ない<命よりも大事なもの>なのであった。

 

 

 

ふと、アメリカ軍だったらドイツ軍だったらどうしたろうかと思ってしまう。そういえば、映画「バルジ大作戦」では、戦車長たちを乗せた作戦車両が地雷爆破されたときに、司令官から、「これからは、歩兵が戦車の先を進め」という命令が下される場面があった。やはり、程度の差こそあれ、戦時下においては<人の命は鴻毛より軽い>ものなのだろうか。

 

 

 

 濱さんの話は、敗戦で囚われの身となったときに、中国軍の司令官「陳大佐」から、「戦争は終わった、罪を憎んで人を憎まず」の扱いを受けて、「中国にも立派な人がいる、二つの国は仲良くしなければならない」で締めくくられた。

 

 いまの覇権主義中国に、ぜひ聞かせたいものである。(H25.10.25 記)

 

  あづみ野の10月

 

 

 

1 燕岳に新雪

 

 北アルプスに新雪が来て、10月17日には、燕岳から表銀座への尾根筋が白く

 

なりましたが、それも束の間、雪は一日にして消え、常念岳を初めとする西山一帯はもとの黒々とした山並みに戻りました。刈り取りを終え、粗田おこしをした水田の風景とも重なって、いよいよ冬の到来が近いとの感じで、部屋にもそろそろヒ-タ-が必要になりました。

 

 

 

2 ご近所の農家

 

 我が家の北と東は水田です。また、2軒おいた南側にも広い水田があります。なかでもFさんは、本格的に農業をやっており、一般の水稲のほか、興味深い農業に取り組んでいるようです。

 

 地這いの加工用のトマトは無農薬栽培で、収穫作業を手伝っている若い人は「自分は自然派だから」と誇りを持っていました。収穫の終了後に残った青いトマトをたくさん頂戴して、家内が<青トマトと玉ねぎの酢漬け>を作ります。お蔭で、食卓は賑やかになっています。

 

 

 

合鴨農法の水田では、落水とともにカモが撤去され、鳴き声が騒がしかった夏の頃が思い出されます。ほかにも、大麦、大豆などが作られ、忙しそうです。

 

 

 

3 ひたすら寒い雨の日は

 

 台風の余波でしょうか、20日は、1日中、雨が音を立てて降り続きました。

 

家内は、やや寸足らずだったカ-テンの修繕に精を出し、私は、音楽、読書、そして、「謡曲」と習い始めの「仕舞」の復習です。東京のマンションとは違い、外に漏れる音への心配がないので、安心です。

 

 そろそろ、ヤマダ電機でカラオケができるオ-デイオを買いましょう。

 

 

 

4 お茶の花が真っ盛り

 

 庭に3本ある「お茶の木」に賑やかな花が美しく咲いています。花名をよく

 

知らないものだから、「これは、ツバキかワビスケか」などといっていましたが、枝一本を折って、懇意にしている宗徳寺のお母さんに尋ねると「これはお茶、来年は新芽を摘んで、蒸して撚ってお茶を作ったら面白いけれどねえ」などと冷やかされました。もっとも、その前には剪定が必要です。なにせ、野放図に伸びてしまい、大きいのは1.5mもあります。

 

 

 

 ところで、21日に、風通しを悪くしている雑木を3本ほど切り倒しました。すると、その下から、楚々とした「ホトトギス」の1群落が姿を現します。

 

7月から10月までが花期といわれていますから、最後の実りなのでしょう。

 

斑入りの花姿がホトトギスの腹の色と似ているとして付いた名前といいます。

 

 

 

(当初はオダマキではないかとも思っていましたが、こちらは花期が4~7月で、花の図鑑でよくよく調べたら、「ホトトギス」でした。

 

ことのついでに、オダマキであれば、これは「苧環」で、中空の糸玉のこと。赤や青に染めた麻糸などをこの糸玉の端から繰り出して織物にする、そうして出来上る<乱れ模様>=「倭紋」と面白い話でしたが、残念でした。念のため、苧環ですから、<オ・ダマキ>になります。なお、インタ-ネットによれば、

 

 

 

<しづやしづ しづのをだまきくりかへし むかしをいまになすよしもがな>

 

この元歌は「伊勢物語」(32段)の「いにしへの賎女(しづ)のおだまき 繰り返し 昔を今になすよしもがな」だそうで、平家物語の作者も上手です。

 

 

 

5 干し柿づくり

 

 21日から22日、晴れ間を縫って柿を収穫しました。とはいえ、渋柿(平頭)24個、甘柿(百匁柿)10個ですから、たかは知れています。

 

 それでも、ネットをかけていたせいか、カラスの害もありませんでした。

 

折れやすい柿の木に脚立を使っての作業、ヘルメット着用と勇ましいのですが、ご近所の方々は、興味津々の様子です。高みの4個はカラスに残しました。

 

 

 

 甘柿は、そのまま食用に、そして渋柿は、お寺さんへのお備とお隣さんにもおすそ分け、残りの10個は、皮をむいて軒に吊るし干柿作りです。ひと月後、どうなっているか、いまからとても楽しみです。

 

 

 

6 おコメの<供出>?

 

 農村地域に住んでいると、野菜など農産物のおすそ分けに預かる機会も多くなります。とくに、我が家は、北と東が田んぼで、南も2軒ほどおいて、広い水田が展開しています。また、家の垣根の土台となるコンクリ-ト壁の高さがちょうど年寄りの腰かける高さのせいか、散歩途中の人々が一服するのに絶好です。ときには、こちらからも声をかけますし、さらに、家内の散歩コ-スの農道はご近所の老人のコ-スでもあるため、しばしば、散歩仲間の四方山話が弾むことがあり、だんだん親しくなっていきます。

 

 

 

22日も午前中、散歩と四方山話が済んだ後、声をかけてくる方がいたので、出てみると、サトイモと今年採れた新米をプレゼントに持ってこられました。

 

家内の「大きな田んぼですから、ご家族親類だけでは食べきれないでしょう。販売されているのですか?」との質問に、農家のおばあさんTさんは、「そう、残りは<農協に、供出>しています」との返事でした。食管法は、いまもなお、依然として、農家の心の中には、生きているのです。

 

 

 

 ちなみに、コメの生産調整政策の評判は悪いですね。お隣の農家Hさんの

 

お爺さんも「いろいろやってみたがダメだ。野菜も安くていけない。いまは、田んぼを池にして鯉を飼い、ハウスで成魚にしている」といいます。

 

 

 

頭を使う農業にしてよかったのか、それとも、コメを目いっぱい作ることを制限して悪かったのか、減反政策の評価は難しい。(H25.10.25 記)

 

風に吹かれて(10月増刊号:夏の思い出、初秋の安曇野)

 

 

 

1 優勝旗はジェラルミンケ-スで凱旋

 

 8月23日の午後のこと、東京駅の新幹線ホ-ムで長野行きを待っていると、ホ-ムの最先端で、体格のよい青年たちが談笑している。見れば,

 

夏の甲子園高校野球で優勝した「前橋育英高校」の野球部員たち。ついついミ-ハ-的になって手を振ってしまう。向こうからも返礼があった。それにしても、主戦ピッチャ-は大きい。大きい仲間からさらに首一つ背が高い。これでは相手のチ-ムもさぞ打ちにくかったことだろう。

 

 

 

 

 

そして、その足元には何やらジェラルミンのケ-スがある。そう、優勝旗は、こうやって運ばれるのですね。なぜ「優勝旗」と分かるのか?ですが、それは、ケ-スに<優勝旗>と書いてあるからです。翌日の新聞、テレビに、体育館で凱旋式が行われたと報道されていました。なにせこの日は大雨になり、外でのパレ-ドは、まったく無理でした。

 

 

 

 

 

2 「デカ」の由来

 

 福光健二さん(元群馬県畜産試験場)のエッセイ集「堆肥」を読んでいたら、面白い引用に出会った。刑事の俗称「デカ」の語源はラテン語にあるそうだ。

 

 ラテン語で<デカ>は「10」、そのことから、「10」→「十」→「じゅう」→「銃」→「ピストル」→「刑事」だそうである。これは当人の説ではなくて、「よく分かる有機化学」(講談社)からの引用だそうだから、当たっているかも。

 

 

 

ほかにも、山で遭難し、ヘリコプタ-救助を頼むと、県警ならば<無償>、民間ヘリだと<最低80万円>と書かれていた。そういえば、携帯電話が発達している今日では、遭難の際に(本当にシビアではない場合も含む)、「県警のヘリ救助を頼みたい。民間ならばいらない」などという不埒な連中(ちなみに年寄りが多いそうだ)も出て来ていると聞いたことがある。

 

 

 

 

 

3  “北区アンバサダ-”

 

 9月の中旬、飛鳥山公園に出かけたときのことである。王子駅前から高台の部分まで2分足らずではあるが、無料で小さなモノレ-ルに乗ることができる。

 

 客を退屈させないようにということだろうか、車内ではショ-トスピ-チが流されていた。「皆さんこんにちは。北区アンバサダ-の倍賞千恵子です・・・この飛鳥山は・・・それでは、森のフィトンチッドをお楽しみください」

 

 

 

倍賞千恵子さんは、北区出身だったのか。ということで、ウイキペデイアを引いてみれば、<1941年北区滝野川生まれで、滝野川第六小学校、紅葉中学を経て松竹音楽学校へ>とあり、あのガスタンクに近く、石神井川(音無川)と飛鳥山は地元中の地元でありました。加えて、お父様は、都電の運転士とか。まさしく、北区の親善大使にふさわしい。

 

 

 

 

 

4 消費税アップと「激変緩和措置」

 

 9月19日のマスコミ報道によればは、消費税は、来年4月から予定どおり3%増税(8%へ)、併せて5兆円規模の対策を行うとし、この額5兆円は消費税2%相当額であり、したがって、初年度の実質増税は、差し引き1%という計算だ。

 

 

 

消費税増税に関する「有識者」からのヒアリングでは、選任の顔ぶれから、大多数が賛成、ごく一部が反対と予想され、そのとおりとなった。その一方、やや意外に見えたのは、経済政策についての内閣参与の2人(浜田、本田)が、<景気との関係上、やるなら1%づつ>と条件付賛成であったことだ。しかし、これは、いまから考えると<出来レ-ス>と思われかねない。結果として、着地点は<増税・影響緩和対策セット>、ここに至る道筋だったのではないか。

 

 

 

霞ヶ関、永田町では、従来から、この種の手法がしばしば使われてきた。

 

かつて、昭和54年産の北海道米の買入価格(生産者米価)を600円/60kg引き下げた際にも、急激な引下げが及ぼす影響を緩和するため、引下げ額の8割相当を生産者に別途還元し、その後、交付額を4年間で6割、4割、2割と順次減らしていくやり方が採用されたことを思い出す。これを「激変緩和措置」という。30年以上も前の話であるが、なんとなく懐かしくなってしまう。

 

 

 

 

 

5 あづみ野に秋が訪れて  (9/27~10/1)

 

 

 

①  アスパラは風に乗って

 

 雑草が生い茂った庭で草引きをしていると思わぬことに出会えます。東側には田畑が広がっているので、近隣の農家が栽培している作物の種子が飛んでくることもあり、鳥の啄んだものが糞を通じて庭に持ち込まれることもあります。

 

 

 

鳥が運んできた「ナンテン」、風に乗ってくる「タンポポ」、いずれも、あちこち盛んに芽を出して、抜いても抜いても限りがなく全く始末が悪い。外から持ち込まれたものとしては、他にも、「サンショ」3本、「アスパラ」は、もう5~6ケ所に生えています。このうち、アスパラは、庭の東北の角で成長したものからヒョロヒョロと可食用部分も出てきました。また、ちょっと不思議なのは「ヒイラギ」で、成木は庭に1本だけなのですが、なぜか散らばって4本ものごく小さな10cmほどの木が顔を出しています。

 

 

 

 

 

草引きのときに<名前のわかる植物>は、極力残すようにしていますので、10年後に?この庭がどんな植相になるか楽しみです。

 

 

 

 

 

② スターダスト

 

天は高く、空は澄みわたって、はるか遠くまで展望が効き始め、あづみ野に秋の到来です。このたびの滞在では、天気にも恵まれ、信州の爽やかな季節を堪能することができました。

 

9月28日のこの日は、松本まで遠征して、「扉温泉の明神館」が経営する店で「きのこ尽くし」の夕食をとったのですが、帰りが10時過ぎと遅くなりました。自宅前で車を降り、夜空を見上げると満点の星空に<天の川>が横たわります。

 

 若いころ、登山のときに見て以来の、本当に久し振りのことでした。

 

 

 

そして、11月の声を聞けば、いよいよ「新そば」の季節、16、17の両日は、穂高神社の境内で、<新そば祭り>も開かれるそうです。

 

 

 

 

 

③ 野沢菜のつまみ菜

 

 ご近所から、野沢菜の「つまみ菜」を頂戴しました。近隣のス-パに買い物に行けば、野菜コ-ナ-には、袋入りの<野沢菜のつまみ菜>が売られ、これは初めての経験でしたが、みそ汁に入れるとなかなか美味しい。そうです、もう野沢菜の種を播く季節になったのです。冬は着実に近づき、人々も備えに入るようです。

 

 

 

さて、当方としても、せめてもの仕度にと、20個ばかりの柿の木に、苦労しながら<鳥避けネット>を張りました。ご近所の農家が面白そうに見ています。

 

 

 

 

 

* 余談ですが、日当たりのよい庭先に、輪切りの「ゴ-ヤ」が干してあるのを見かけました。切干大根のように戻して使う保存食用なのでしょうか。

 

 夏の日よけと秋~冬の保存食、ゴ-ヤの貢献は大です。

 

 

 

 

 

④ スズメの大群

 

 稲の刈取りが終わりました。自家用のものは「バインダ-」で刈り取ってハセ掛けをし、販売用は「自脱型コンバイン」で収穫してライスセンタ-に持ち込みます。その際に、モミは農業用に還元されてくるので、あちこち、ビニ-ル袋入りのモミが山積みになっています。

 

 

 

また、この時期は、トンビ、カラス、スズメの競演です。収穫後の田にはこぼれたコメが残っているのでしょう。これまでは見かけなかったスズメの大群がやってきました。地面が見えるようになった田んぼの上空に、トンビがしきりに舞って、虫の類や小動物(野ネズミ?)でしょうか、エサを求めています。農家は、田に火を入れて焼き、来年の下ごしらえに余念がありません。

 

風のない穏やかな日、立ち上る煙は、まさに秋の風物詩です。

 

 

 

風に吹かれて(H25年10月号:空が高くなって)

 

 

 

黄金の稲穂、大豆の緑、秋ソバの白い花が織りなす安曇野の景色を高みから見ると、まるでパッチワ-クのようです。稲刈りは9月中旬、ソバの収穫は11月ですから、それまでの間、山に挟まれ、幾筋かの流れに分けられた水田の中道の散策は本当に清々しい。そして10月上旬には、山に新雪も来るでしょう。

 

 

 

 

 

東にある長峰山の展望台は1000mにも満たないけれど、北アルプス連峰から、はては、妙高、赤倉など北信濃の山々までが見渡せて、なるほど、川端康成や東山魁夷が深い感動を覚えたと記しているのもよく分かります。

 

(北アルプスを“山座同定”の手法でいえば、正面左から右に向かって、鍋冠、大滝、蝶、尾根の鞍部に北穂高、そして、常念、横通、大天井、燕、餓鬼、蓮華、爺、鹿島槍、五竜と続き、遠くは白馬連峰までが一望できます)

 

 

 

 

 

 さて、今月号では、安曇野から「モンキ-ドッグ」と「ムラの有線放送」を、そして、紀尾井町からは、まもなく秋の例大祭を迎える「靖国問題」について若干のコメントをお届けします。

 

 

 

 

 

なお、「追記」として、飛鳥山の渋沢史料館における「渋沢敬三の特別展」(祭魚洞まつり)の様子も記しました。   (H25.9.24記)

 

 

 

 

 

1 モンキ-ドッグ

 

 知りうる限りでは、「モンキ-ドッグ」は、2005年、長野県大町市に、全国に先駆けて導入され、現在では、50匹程度になっているという。ごく普通の犬を5ケ月程度訓練し、サルが里に現れると吠えて山に追い返すのがその役割である。

 

 これにより、モンキ-ドッグ導入地では、サルが群れで田畑に現れることがなくなった。田畑や集落を柵で囲むより犬がサルを追い払う方が自然だという考え方による。この方式は、いま全国に広がりつつあり、安曇野市牧地区でも「穂高カントリ-クラブ」に向かう山道に「モンキ-ドッグ訓練中」の看板を見かけた。また、そのとき、ドライブ中に子ザルの飛出しも目撃している。

 

 

 

 

 

 一方、近くの標高1000mにある「穂高ビュ-ホテル」のレストラン“シャモニ-”の前庭には、サルの群れが人を恐れることなく、さらに、人には被害を加えることなく現れては木の実を啄ばむ。2群30匹はいるだろうか、大ザルが、クリやドングリの木によじ登って揺さぶり、木の実を下の子ザルやメスザルに落とす。食べ終わるとひとしきり遊んでは次のエサ場に向かう。今年生まれた子ザルは、芝生横のクロ-バ-の花をちぎっては口に入れている、まことにかわいらしい仕草だ。

 

 ドアが開け放たれたまま、サルの群れを見ながらする食事は初めての経験であったので、ちょっとビックリしたが、ホテル側の説明では、「ここは餌付けをしていませんので大丈夫です」とのことである。

 

 

 

 

 

 ホテル前から遊歩道を烏川渓谷に下っていく道にも、サルたちが食べた後のクリのイガが大量に落ちていた。餌付けしない、実のなる広葉樹を確保する、群れの数が増えないように気をつける。そのようにして人と動物は棲み分けることができるという「今西錦司」の理論(生物の世界)を思い出す。

 

山でも必要なエサを入手でき、生活できる森林管理のあり方が問われている。

 

 

 

 (このホテルは、皇太子殿下が幾度か泊まられていて、「オオヤマザクラ」や「レンゲ」などのお手植えの木々がレストランの前庭に大きくなっている)

 

 

 

 

 

2 ムラの有線放送

 

 「こちらは、広報あづみの穂高です」で始まる地域放送は、ありとあらゆる情報を伝達してくれる。朝晩は定時放送、それに加えての臨時放送のようだ。

 

 

 

 

 

 “5月に田植えをした稲は、夏の高温で刈り取り時期が近づいています。そのまま例年の収穫時期を待っていますと、胴割れ米ができる恐れがあります。9月の中旬までには収穫を終えてください“ 専業農家にとってはご丁寧な兼業農家にとってはまことにありがたい放送である。

 

 

 

そのほかにもありとあらゆる雑多なニュ-スが伝えられてくる。徘徊老人の特徴、連絡先、結婚相談(たぶん男性向け?)、各種講習会、連絡会、美術展、そして訃報など。聞き流しながら、これはと思うものだけを拾い上げればよい。

 

 時代遅れと思われた「ムラの有線放送」であるが、ドッコイ生き続けている。ちなみに、わが家の装置を点検してみたが、<有線>ではなく<無線>だった。

 

 

 

 

 

(閑話休題) 姨捨の棚田と日本三大車窓

 

 

 

田毎の月で有名な「姨捨棚田」だが、ここは「棚田100選」の一つであるとともに、ここからの景観は「日本三大車窓」の一つだと車内放送が紹介する。田植えの後の水面に映る「田毎の月」、秋の黄金色の田、冬の雪景色、さらには、夜の車窓からの棚田や人家の灯りの風景も一興である。

 

 

 

「三大車窓」が気になったので<ウイキペデイア>で由来を尋ねてみた。

 

 

 

 

 

(参考) 日本三大車窓:旧国鉄が定めたらしい。

 

① JR九州の肥薩線 人吉-吉松間

 

ル-プ線とスイッチバック えびの高原と霧島連山を望む

 

② JR東日本の篠ノ井線 姨捨付近

 

   スイッチバック 善光寺平と千曲川の展望

 

③ JR北海道の根室本線 落合-新得

 

   スイッチバック 十勝平野を見下ろす(1966年廃線)

 

 

 

 

 

 

 

3 靖国問題を考える

 

 さて、話題は変わって「靖国」である。10月18日の「秋の例大祭」も近い。8月15日(終戦の日)の参拝は見送った安倍総理だが、秋のこの行事には参拝するのであろうか。これを逃すと(年末以外には)参拝の機会がないのだが…。

 

 距離があり、また鋭く対立する靖国問題だが、次のように素朴な疑問もある。

 

 

 

 

 

① なぜ8月15日(戦争に負けた日)の参拝にこだわるのだろうか。

 

② 「国のため尊い命を捧げた英霊に尊崇と追悼の誠を捧げる式典」には、太平洋戦争の戦禍に見舞われた他の多くの国々のどこからも反対がないのに、なぜ中国と韓国だけが「反省の言葉がない」と騒ぐのか。

 

(兵士に<犬死だった>といえるか?韓国はベトナムに反省・謝罪したか?)

 

 

 

 

 

③ 靖国神社側は、「なぜ戦犯を合祀したのか」きちんと説明すべきではないか。

 

(「なぜ分祀ができないのか」の説明も不十分ではないか?)

 

 

 

 

 

④ 「戦死者の墓前に国のトップが参拝するのは当然」との論法でアメリカの「ア-リントン墓地への参拝」を出す人も多いが、靖国神社は墓地ではなく、お骨もない、<靖国は魂の拠りどころ>という概念を分かっているのだろうか。

 

⑤ 千鳥が淵墓苑を「靖国に代わる追悼施設」に拡充するという考え(福田元総理が代表格)もあったが、遺族の気持ちを聞いたことがあるのだろうか。

 

(兵士たちは、「靖国神社で会おう」といって戦いに散ったのではないのか?)

 

 

 

 

 

⑥ 伝えられるところでは、中国や韓国でも軍人たちの本音は、「自分たちも戦死したら国のトップにお参りして欲しい、靖国参拝は政治問題ではない」ということらしい。これが普通なのではないのか。

 

⑦ 「昭和天皇は合祀に不快感を示し、8月15日の参拝を取りやめた」という。しかし、いまでも春と秋の例大祭には使者をして参拝させているのではないか。

 

 

 

 

 

余談になるが、8月15日の「韓国議員団のパフォ-マンス靖国抗議訪問」に対する入国管理の扱いと実際に目撃した警視庁の警備ぶりは際立っていた。

 

呉善花さん(日本国籍)の入国を理由なく拒否した韓国と入国拒否の理由はあるものの韓国議員団の入国を受け入れた大人の日本の違い、そして、神社の南門を封鎖し、500m手前で交通を完全遮断して、議員団と右翼などとの接触を回避し、説得によって引き上げさせた日本の警備ぶりを対比すると、韓国には日本に対する潜在的コンプレックスがあるのではないだろうかとすら思える。

 

 

 

 

 

藩基文国連事務総長の「日本は反省すべき」、「歴史と戦争に学ぶべき」との発言の深層にも、この種のコンプレックスがあるかもしれない。こんな人物の牛耳る国連に世界第二の分担金など払うのはおかしくないかという人もいるが、その気持ち、分からないでもない。自らの発言が危うくなると「日本を特定はしていない、誤解してくれるな」などと、見え透いたいい方も矛盾を拡大した。

 

では、この発言に喜んでいた中国も<誤解していた>のだろうか‥。

 

● 渋沢史料館と「祭魚洞まつり」

 

 

 

 9月の中旬、飛鳥山公園(北区西ヶ原)の一角、「渋沢史料館」を訪ねた。

 

8月25日~11月24日まで、渋沢敬三の没後50年を記念する企画展が開かれていたからである。また、佐野眞一「渋沢家三代」(文春新書)によれば、敬三は、パトロンとして、日本の自然・社会・人文科学者と交流が広く、7000通からの書簡が収められており、そのなかには、柳田国男、宮本常一、今西錦司などと並んで、高校の恩師「網野善彦」の名前が挙がられていた。ひょっとすると網野先生の手紙、筆跡に出会えるかもしれないと淡い期待を抱いて出かけたが、それは叶わなかった。学芸員の説明では、スペ-スの制約、著作権、加えて、整理の過程で封筒の表書きは破棄がその理由であった。一方、展示開始以来、問合せが多くあるが、上位にあるのは宮本常一と網野善彦で、両者没後もその人気の高さが並外れているという。なお、網野先生からの書簡は、奥様(中沢新一の叔母)との連名のものを含めて3通ほどあったと思うとの説明もあった。

 

 

 

 父親の渋沢篤二が放蕩のため廃嫡された結果、当時19歳の孫の敬三は、羽織袴の正装をした祖父の栄一から「どうか私のいうことを聞いてくれ、この通りお頼みする」と頭を下げられて、目指していた「動物学」の道を諦めて、高等学校の法科から東京帝大経済学部と実業の道を選ぶ。

 

 その一方で、好きな道は、パトロンとしての立場から応援で進むこととなる。1926年のアチックミュゼアム~日本常民研究所がその代表例であるが、他にも日本民俗学会(1945)、雙葉學園復興後援会(’45)、水産庁顧問(’45)、全国離島振興協議会(’53)、碌山美術(’57)など懐かしい名前が並んでいる。

 

 

 

 1929年頃からは、自らの号を「祭魚洞」と称したが、これは、書籍、資料を購入するだけで読まない、まるで、カワウソが獲物を並べているのに似ている(獺祭)から出ているという。自ら収集した書籍資料のうち、水産に関係するものを東大から水産庁の資料館に移したものの、扱いがぞんざいだったため、網野、小沼両氏が走り回り、神奈川大学常民文化研究所と水産総合センタ-の手で現在も整理が行われつつあることは既に述べた。

 

 

 

 また、渋沢史料館のある飛鳥山は、1879年から渋沢栄一別邸、1901年からは本邸として使われていたところで、往時は、敷地9000坪、建坪500坪の壮大なものであって、ここを資料館にして、渋沢一族の遺物を展示しているのである。

 

 ちなみに、敬三の自宅(三田)は、戦後、大蔵省(大臣)官邸として貸出し、その後「物納」して、今日に至っている。

 

 なお、「二代目篤二の放蕩」と書いたが、史料館では、それには触れておらず、写真でみれば、息子の結婚式の記念写真にただひとり腕組みしてで映っている、他人と目線が全く違うといった人のよい変わり者のように見えるが、ともかく、10年以上も自宅に帰らず妾宅で最後を迎えるといころは並大抵の人物ではない。       (H25.9.12記)

 

 

 

  風に吹かれて(平成25年9月号:秋が待ち遠しい)

 

 

 

 安曇野では、旧盆が過ぎて小中学校の夏休みも終わり、秋の新学期です。

 

 日中の暑さは相変わらずですが、朝晩は20度を切るようになってきました。季節は、次第に秋へと移り変わっていくようですが、それにしても、この夏の暑さは当地においても尋常ではなく、水温15度の湧水と寒冷紗に守られている名産のワサビにも疲れが見られ、葉や茎が枯れる現象が一部に出ています。

 

 一方、稲作はといえば、<日照りに不作なし>のことわざどおりで、生育は順調、近隣の田んぼでも頭を垂れた稲穂が実を大きくしています。おそらく、「落水」は8月末、いよいよ黄金の波、刈り入れの秋が迫ります。

 

 

 

 そういえば、熱中症続出の東京ですら、紀尾井町の界隈では、20日を過ぎて、ツクツクボウシの鳴き声が聞こえ始め、なんとなく秋の気配は感じられます。

 

 というわけで、今回は、猛暑のこの夏、印象に残ったことを振り返りながら、爽やかな秋の到来に思いを馳せることにしました。

 

 

 

● チャリテイと大学の奨学金 (7/31)

 

 かつて、「日本は世界第3位の経済大国でありながら、チャリテイでは多くの国々の後塵を拝している」と書いたことがある。

 

 このことに関連して、とても興味深い記事を発見した。‘13年7月30日付け「エコノミスト誌」に掲載された大学の寄付金残高と運用に関するものである。

 

概要を記せば、<世界の大学での寄付金残高の第一位は米国ハ-バ-ド大学で、3.1兆円(‘12.6)、第二位のエ-ル大学(2兆円)の1.6倍である。わが国では、日大が最高であるが、額は930億円(年間受入額は44億円)とハ-バ-ド大の1/20に過ぎず、彼我の格差に愕然とする。

 

 

 

 各大学はこの資金を株式、債券などで運用するのだが、ハ-バ-ド大の場合、運用益から奨学金に回される額が年160億円に達して、学生の60%は何らかの奨学金を受けているという。

 

 奨学金をめぐる環境が悪く、また、返還義務を伴う方式が主力である日本と大違いであり、改善が求められるとともに、チャリテイ精神の発揚も望みたい。

 

こういうことが、真に成熟した大国か否かを決めるのだと思う。

 

(最近、返還義務のない奨学金の拡大が議論されるようになったのは喜ばしい。ポイントは、法人・個人の精神面と寄付金に対する税制=損金算入措置にある)

 

 

 

● 尖石縄文考古館 (8/2)

 

 茅野の「尖石(とがりいし)縄文考古館」で、<縄文のビ-ナス>に再会した。何年か前に国立博物館「土偶展」で見て深い感動を覚えたあの女性土偶である。

 

 7月29日が大雨になったため高原散策を取り止め、寺と博物館の見学に切り替えて実現したのであるが、改めて「すばらしい」の一語であった。個人的な感想をいわせてもらえば、<縄文のビ-ナス>はギリシア彫刻を超えており、ついでながら、<薬師三尊>はミケランジェロを凌駕していると思う。

 

 

 

 茅野縄文考古館には、縄文中期5000年前の縄文のビ-ナス土偶、4000年前の仮面の女神土偶などの国宝級をはじめとして、1000点に及ぶ縄文期の発掘物が展示されている。学芸員の説明によれば、このうち、<ビ-ナス>は主骨格を粘土で組み立て、良質な粘土で肉付けており、それに対して、<仮面土偶>は、輪積みによる製作技法、内部は空洞、表面は光沢が出るほど磨かれ、まことに神秘的である。両者に共通するのは、その芸術感覚の鋭さであった。

 

 

 

 展示されている多くの縄文土器のうち、晩期のものは、技法、芸術性ともにきわめてレベルが高く、現代陶磁器をはるかに上回る。機会があって8月2日、日本橋三越の陶磁器展示会に出かけたが、100万円オ-ダ-で販売されている作品よりも、個人的には、縄文期の作品の方が魅力的であった。

 

 そして、ある友人いわく、「これは目からウロコだ」

 

 

 

● いまも盛んな学校登山(8/9)

 

 8月の初め、安曇野の家に、最近帰国された隣人が挨拶に来られて家族紹介があった。「私たち夫婦ほかに14歳と11歳の男の子がいますが、いまは二人とも登山に出かけています」との話だった。これは、多分「学校登山」であろう。

 

 

 

 信州では、いまも「学校登山」が盛んで、中学校の90%以上で実施されているが、嚆矢は信濃教育会の渡辺敏にある。しかも、彼は、長野師範学校で、未来の教師候補生たちに教育的効用を説いたことから全県的に広がったようだ。新田次郎の小説「聖職の碑」(講談社文庫刊)に登場する中箕輪尋常高等小学校(伊那)の木曽駒ケ岳での大量気象遭難もこの学校集団登山のなかで起こった。

 

 信濃毎日のコラムニスト(菊池俊朗)は、この遭難について、計画、準備、行動、事故対応面と登山の教育に及ぼす効果を調査した結果、赤羽校長を含め学校側が非難されることはなく、むしろ、山小屋の整備など前向きの方向を辿ることになったこと、つまり挑戦する、冒険する精神を持つことの大事さが再確認されて、それがいまも信州の教育に生きていると論じている。

 

 

 

 他方、小説を読む限り、新田の論調は、信濃毎日の論評方向とはやや感じが異なって、①案内人、②装備、③下見、④パ-テイの結束、⑤引上げの判断、⑥下山ル-トの選択と、後づけながら、具体的に6つのポイントを挙げて、心情やプロセスとは距離をおいた事実中心の客観的な遭難原因分析をしている。

 

 

 

 約10年前のテレビ取材で、生還した人が、「母親が無理やり持たせたハンコ(綿入れ)1枚で助かった」と話しているのを聞いて、こちらは納得である。

 

 

 

● 長野県歌「信濃の国」の由来(8/10 )

 

 <松本、伊那、佐久、善光寺、四つの平は肥沃の地…> 学生時代、わずか15人ほどのクラスにもかかわらず、信州の出身者が3人もいたせいか、コンパなどで、ときとして、この長野県歌が歌われていた。「各地域の仲が悪いから、こんな歌が必要になったんじゃないのかなあ」と思ったりもしていた。

 

 

 

 8/10の信濃毎日(略称を<しん・まい>という人も)には、長野県歌誕生の由来が書かれていたが、長野県(県庁所在地は長野)と筑摩県(松本)が合併した後でも、分県だの県庁移転(移庁)と県を二分する大騒動があったそうで、このことは、臼井吉見の小説「安曇野」にも登場している。(第2巻)

 

 <一体感のためには何か接着剤が必要>と判断されて、松本市出身の作詞家「浅井例」が<4地域平等>の歌を書き、昭和43年には、正式県歌になった。

 

 

 

● ほおずき(8/10)

 

 庭のアジサイの下枝を刈っていたら、「ほおずき」が4つ真っ赤になっていた。

 

 そういえば、浅草寺の<ほおずき市>は、7月10日「四万六千日」の縁日に合わせて開かれているから、安曇野での色づきは少し季節が遅い感じである。確か、深大寺でも7月19~21日、神楽坂の毘沙門では24~25日で、こちらは浅草寺に気を遣っているのであろうし、まあ、重複しては客も集まらないか。

 

 

 

 ほおずき市が開かれる7月中旬は新暦お盆のころに当たり、例年はまだ雨の最中で実感が湧かないのだが、本年に限っていえば、梅雨明けが早かったので、志ん朝の落語「船徳」に登場する<四万六千日、お暑い盛りでございます>のセリフがピタリと決まる。なお、誕生日の花暦では、ほおずきは<8月14日>、季節的にはこちらの方がフィットする。

 

 

 

● 自由主義と社会主義の成功例(8/20)

 

 いま、竹田恒泰の「面白いけど笑えない中国の話」(ビジネス社)を読んで

 

いるが、噂どおりの内容、面白い話の満載なので、「一読を!」と勧めたい。

 

 

 

 たとえば、最近ではよく知られるところになった小話も引用されている。

 

< ①世界で最も自由主義が成功している国は?(中国)、②最も社会主義が

 

成功している国は?(日本)>

 

 鄧小平以来、中国では、一部の者が先行して豊かになり全体はその後を追うことで国が発展するのを認めてきた。その結果が、今日の極端な格差である。

 

毛沢東の「みんな平等に進む」という考え方は、もはや邪魔になってきており、憲法から削られる日も近いのではないかと見る向きもある。

 

 

 

 習近平の掲げる「中華民族の夢の実現」にしても、歴史的には噴飯もので、中国の支配者は、暴力による政権交代(王朝の交代)を繰り返してきたのであるから、いまの<中共>にしても高々70年にもならない一時期の王朝であり、いずれは交代させられるであろう。その一方、日本の皇統は綿々と続いている。

 

 

 

 貧富格差の拡大という内紛、内部矛盾がひどいものだから、それを逸らしていくための矛先が日本というわけである。したがって、中国との付き合い方の極意は、<近所付き合い程度>に限り、まあ、中国に飲み込まれないためには、目が合ったら「ど-も」といって軽く頭を下げる程度がよい。(H25.8.28記)

 

   風に吹かれて(H25年8月号:安曇野の夏)

 

 

 

 思いもかけぬほど早く梅雨が明けました。ここ安曇野では、田んぼの緑がすっかり濃くなって、東の里山からの風は田の面を吹き抜け、成長の旺盛な稲を波打たせています。

 

 庭では、ナンテンや紫陽花がそろそろ盛りを過ぎつつあり、鹿の子百合は4~5輪開き、山百合も多くのつぼみをつけて間もなく開花、期待できそうです。

 

 

 

 知らない間にイチョウの木にハトが巣を掛けました。7月5日には、巣の中で産毛のヒナが目をキョロキョロさせながら震えていましたが、10日も経つと、巣はカラになり、無事に巣立ちが終わりました。それにしてもハトの母親は、なぜこんなにも手が届く低いところに巣を掛けたのでしょうか。人間と同様に、動物も親が横着になったか、それとも人家の低いところに巣を作ればトンビやカラスに狙われないとの深い配慮があったか、ともかく不思議でした。加えて、庭木の先にカエルが突き刺してあるのも発見。これは、モズの仕業でしょう。

 

 

 

 さて、常念山脈ですが、このところの高温と雨降りで、雪はすっかり消え、黒々とたくましくなってきました。その分、後立山や白馬連峰の青さ、白さが目立ちます。大糸線では、熟年の元気者たちが洒落たザックを背に、山歩きに向かう姿が増えて、当地は、いよいよ、絶好のシ-ズンを迎えました。

 

「長峰山」から見渡す北アルプス、大町の山岳博物館から見る後立山連峰の眺望はいまがベストです。また、「日本の名水100選」の一つ「安曇野わさび田湧水群」の名水を味わいに行くのもよいでしょう。 (7/20 安曇野穂高にて)

 

 

 

● ワサビの正しい食べ方

 

 まずは信州の話題から、安曇野穂高の地に「安留賀」というまことにおいしいそば屋がある。そばだけではなく、イワナの塩焼き、信州サ-モンの漬け丼、ゴマ豆腐、山菜の天ぷらやワサビの花のおひたしと酒のつまみにも事欠かない。

 

 

 

 そばとワサビの話に戻ろう。ここでは、もりそばを食べる前に、店員からワサビの正しい使い方が説明される。おろし器に<ワサビ芋>が砂糖とともに盛られて出てきて、「まず、砂糖を少々混ぜながらおろしてください」、「つぎに、おろしたワサビは、タレつゆに入れてかき混ぜずに、箸先につけるか、そばにまぶしてからお食べください」という次第になるのである。

 

 率直にいえば<なんだか面倒くさい>、しかし、確かにおいしいのだ。この話を松本の名店「三城」で女将にしたところ、こちらでは、「おそばは、好きなように食べるのがいいのです」ときた。

 

 

 

● 夏はカレーそば

 

 ことのついでに、東京のそば屋の話を続けたい。ここは、不思議な店である。土日祭日は営業しない。平日も、11:00から始まるが、17:00には終わる。つまり、夜の営業はない。昼どきは、11:45ぐらいから満席になるのだが、客のほとんどは、「カレ-そば」(又はカレ-うどん)を注文している。とくに、サ-ビスデイの水曜日は、9割以上の客が「カレ-そば(うどん)」である。

 

 

 

 市ヶ谷駅から麹町へと伸びる通称「日テレ通り」と「二七通り」が交差するあたりに位置する「角屋(かどや)」は、週刊誌やグルメ雑誌にもしばしば紹介されているほど<カレ-そば>がうまい。もちろん、そば屋一般のメニュ-はあるのだが、カレ-そばのよさはズバ抜けており、まさに絶品なのであって、自らも「カレ-南蛮の店」と称しているくらいである。そのなかでも一押しは、<冷やしカレ->なのだが、<冷やし>といっても、もりそばの上には熱々のカレ-汁がかけられているから、フ-フ-といいながら啜れば、やがて、頭のてっぺんからは汗が吹き出して、体中の毒素は放出され、午後の活力に繋がるような気すらしてくる。

 

 

 

 話は変わるが、このそば屋、造りもたいそう変わっている。店内の食卓は、ごく普通のテーブル6~7台のほか、ヒノキの一枚板でできた重厚な骨董品もの(8人用)が2つ、また、壁には美術品の陳列棚、その脇には、まるで売残りのようなバッタものの巨大なアイヌ風くまの彫り物、柿右衛門かと覚わしき大皿などが、無秩序に積み上げられている。さしづめ、ここは「元骨董品店」か。

 

 

 

 夏はウナギに限るという向きもあろうが、ここのカレ-そばも捨てがたい。ぜひ一度食べにおいでなさい。並盛りで十分、値段は750円也(水曜は650円)

 

 

 

● 番町小学校と九段小学校

 

 市ヶ谷界隈の話題を続けよう。自宅の前からは、2つの小学校がほぼ等距離にある。通学区域の制限が緩和され、朝の通学時間には珍現象が起こる。九段側から番町方向へと番町側から九段方向へ、小学生の通学が交差するのである。どちらも創立100年を超える名門校だが、目下のところでは、番町小学校への流れのほうが優勢のようだ。

 

 

 

 そして、毎年、1月末から2月の初め、中学受験のシ-ズンになると、学級はガラガラで授業にならないとも聞いている。厳しい時代になった。

 

 

 

● 1万5000本の薪

 

 つぎはテレビについて。NHK総合(日曜)「小さな旅」はよい番組である。

 

7月7日の「安曇野」もよかったが、6月30日「八溝山麓」は見応えがあった。茨城大子町の奥の集落<蛇穴>に住む91歳のおばあちゃんは、いまでも自力で薪を割り、炊事、暖房などの一切を薪スト-ブで行なうほどの元気者である。そして、その薪割り用の木材は、2年前に亡くなったおじいさんが、入院の日の直前まで、杉の間伐材を小割りにして積み上げたという。その数1万5000本、「お前が困ることのないようにな」というおじいさんの薪に、おばあちゃんは、「それでも(形見の)薪が減るとさびしいから、自分も山に入ってできるだけ焚き木を拾うんだよ」と語る。

 

 

 

 長年連れ添った夫婦とはいえ、これほど立派な贈り物は、まずないだろう。しかも、胸にジンと来るすばらしい話を、おばあちゃんは淡々と話すのだった。

 

 

 

● 安全と安心

 

 日本人もマスコミも、得てして「安全」と「安心」を混同し、ゼロリスクを求めがちなのであるが、「エナ-ジ-・フュ-チャ-」誌7月号の対談のなかで、福島の原発事故に関連して、北岡伸一が「安心と安全」の問題に触れている。

 

 部分的にではあるが、勝手な引用と要約をさせてもらった。

 

 

 

<感情の集計をしても、あまり意味がないと思います。むしろ、わたしたちが聞きたいのは、世界中の専門家による徹底した議論です。日本でよく使われる言葉の一つとして「安心・安全」があります。 …「安全」はすごく大事だと思いますが、「安全」に100%はないのです …どれだけ100%に近づけるか、…「安心」という言葉が日本にはびこっていることには、非常に違和感があります。「安心」は気持ちの問題…どういわれても安心できないといわれたら、説得のしようがない。どうやってtrust(安心)をつくるかといえば、それは専門家の徹底した議論しかないはずです。…本当の専門家は、「ここから先は分からない」といい…いい加減な専門家ほど「これで大丈夫です」という…>

 

 

 

「リスク・ゼロ」を求めがちな一部のマスコミ、運動家にぜひ聞かせたい。

 

 

 

● <中国では、尖閣上陸武力占拠の具体的作戦が検討されている?>

 

 最後は、怖い隣人「中国」についての怖い話である。6月末の「夕刊フジ」によれば、外交評論家「加賀某」にもたらされた中国情報では、尖閣諸島の武力占拠が検討されており、その有力なやり方の一つとして、

 

 

 

<死刑囚を漁船に乗せる→対外的には、漁船が乗っ取られた形をとる→逃げる漁船を海洋警察(軍)が追う→漁船は尖閣に向かい、死刑囚たちは上陸→海洋警察が追跡、上陸、戦闘、皆殺し→しかし実行占拠した島からは不退去>ということが挙げられている。

 

 

 

 「そんな馬鹿な」というなかれ、中国は歴史に紐解く国で、故事に例がある。

 

呉越が戦っていたころ、越王の勾践の下には「范蠡」という名軍師がいた。

 

<優勢な呉軍が攻め入って越は情勢不利となるが、范蠡は奇想天外な打開策を打つ。越の死刑囚で組織した部隊を最前線に配備し、それらの兵は自らの命を次々に絶つ。呉軍はあっけにとられ軍の統制が乱れ始める。その間隙を縫って越の正規軍が電撃突入し、呉軍は散り散りになって大敗退をする>のであった。

 

 

 

 范蠡が、予め死刑囚に「軍の盾となって自ら命を絶てば、家族には恩賞を与え、罪も許す」と約束していたのはいうまでもない。恐ろしいことである。

 

(注) 前6世紀の春秋時代を書き記した司馬遷の「史記」から

 

                           (H25.7.23 記)

 

 

 

 風に吹かれて(初夏のつれづれ草)

 

● スズランの花

 

 5月1日の花は「スズラン」だそうな。そして、花言葉は<純愛>と<希望>

 

これにちなんで、花嫁にはスズランの花束を持たせるとか。ただし、街の花屋などで見かけるのは、栽培種の「ドイツスズラン」、在来種は育たないと聞いた。

 

 6月6日に「入笠山」(1955m)を訪れたが、山頂近くのお花畑に可憐な花が咲き始めていた。八ヶ岳や中央アルプスの遠望と相まって、生命の洗濯である。

 

 

 

● 古銭煎餅と古印最中

 

 東武特急の「りょうもう号」は、1時間15分ほどで、足利市駅に到着する。ここは両毛線(上つ毛+下つ毛)との交差点、小山、館林、佐野などと並んで古くから栄えたところである。なかでも、平安末期に創立された最古の大学「足利学校」、国宝となった足利氏の菩提寺「ばんな寺」、13代もの歴史を持つ旅館&割烹「巌華園」、また、和菓子の店も伝統が深い。(6/1)

 

 

 

 帰途、有名な「古印最中」を土産に買おうとメインストリ-トに出たところ、大看板「香雲堂」に出会い、つい入る。しかし、そこには煎餅ばかりが並ぶ。

 

最中は置いてないかと尋ねたところ、「お店違いです、もうちょっと先で、この両店は、はるかな先祖から分かれました」との返事が来る。店名が同じなのを

 

不思議に思っていたところ、件の店の方は「香雲堂<本店>」とあった。

 

 「どちらも立派な店構えだった」と家内に話したら、「そうよ、親類同士ほど張り合うものよ」と軽くいなされてしまった。

 

 それにしても、本家が「コイン」で、分家が「古銭」とは、出来すぎか。

 

 

 

● オンザロックをダブルで(On the rocks & Double shots)

 

 方言がきついからといって、言葉で人をからかってはいけない。ましてや外国では、大逆襲に出会うことになる。

 

 アメリカ南部の一部には、ロンドン下町訛り(コックニ-)が残っており、なかでも典型的なのは、OKを<オ-カイ>と発音することである。

 

 オクラホマの「ライトシテイ」でのこと、我々の注文をとるウエイトレスが確認のためか、「オ-カイ?」「オ-カイ?」と連発するものだから、こちらもちょっと悪乗りして、「オンザロック、ダブル、オ-カイ?」と冷やかしたら、「On the rocks , Double shots , OK?」とコテンパンにやられてしまった。

 

 

 

● あとで拾います

 

 6月11日付の新聞各紙によれば、10日夜、東京メトロ日比谷線「六本木」のホ-ムから、10両編成の3両目辺りに乗り込もうとした女性が線路に転落した。そばにいた知合いが、「落ちた!」と駅員に伝えたところ、「あとで拾います」「発車-オ-ライ」となってしまったそうである。

 

 その駅員は、本年の新規採用だそうだが、マニュアルでは、<たとえ人間でなくモノであっても、落下物を確認するまで発車させない>こととされている。

 

笑ってはいけないことではあるが、これほどの勘違いも珍しい。

 

 

 

● 超訳「ニ-チェの言葉」

 

 白鳥春彦編訳、デイスカバ-ブック出版のこの本(1700円)は、232編の珠玉のごとき短文で構成されている。110万人もの人が読んだそうであるが、「世に知られることのなかった”明るいニ-チェ“?」で満ちあふれている。ニヒリズムを虚無主義などするのは、誤解だったのかもしれない。(6/11)

 

 

 

 ちなみに、025<喜び方がまだ足らない>(ツアラトウストラはかく語りきから)では、こういっている。まあ、このような「超・翻訳」も見事で、まことに楽しい。

 

 

 

 “もっと喜ぼう。ちょっといいことがあっただけでも、うんと喜ぼう。喜ぶことは気持ちいいし、体の免疫力だって上がる。

 

 恥ずかしがらず、我慢せず、喜ぼう。笑おう。にこにこしよう。素直な気持ちになって、子供のように喜ぼう。

 

 喜べば、くだらないことを忘れることができる。他人への嫌悪や憎しみも薄くなっていく。周囲の人々も嬉しくなるほどに喜ぼう。

 

 喜ぼう。この人生、もっと喜ぼう。喜び、嬉しがって生きよう。“

 

 

 

● 人間は「入れたり」「出したり」

 

 五明紀春にいわせれば、人生80年として、一生の間に、人間は、50トンの食物を摂取し、15トンを糞便として出す。また、60トンの水分を摂取して、35トンの小便を出すそうである。すごいといえばすごい、大したことないといえばたいしたことない数字ではある。ちなみに、主食のおコメの摂取量は、生涯6トンと試算されていた。(6/12 記)

 

 

 

● レンタ・カウ

 

 山口県名物の「レンタ・カウ(caw)」が、本年も6月11日から始まった。

 

 県の畜産試験場が所有する黒毛和種の繁殖牛を水田農家に貸したうえで、休耕地、耕作放棄地に放牧し、貸し手はエサ代の節約、借り手は除草費用の節約(1農家当たり年間数十万円)をしようとするものである。発案者である東大名誉教授「今村奈良臣さん」は、これを“牛の舌刈り”とシャレている。

 

 年間約60頭が貸し出されるが、おとなしい?老雌牛に限られるそうである。また、他にも大分県、京都府に同じ事例が見られる。

 

 

 

 余談になるが、はるか昔のアメリカでのこと、ボロ車でも構わない人のため「レンタ・レック(wreck)」、家事を頼みたい人に「レンタ・ワイフ(wife)」という商売があったが、いまはどうなっているだろうか。

 

   風に吹かれて(2013年7月号:近ごろ思うこと)

 

 

 

 安曇野から見る常念岳は、6月に入って「常念坊主」の雪形が消え、左隣には、「万能鍬」三つ又フォ-クの雪形が鮮明になりました。さらに中旬に近づけば蝶ケ岳肩の「蝶々」の雪形が明確になって、自宅の周囲は、「麦秋」の転作田とまだ弱々しいけれど苗の出揃った水田が同居しています。まさに日本の原風景、季節が夏へと移ろう、心穏やかな眺めです。

 

 

 

 梅雨の合間にはしばしば30℃以上になる当地ですが、空気は乾燥、常念山脈からの涼風もあり、暑さは気になりません。朝晩は温度が下がって、毛布ではちょっと寒いこともあるくらいです。

 

 目の前に広がる水田では、夕方から夜にかけてカエルが賑やか、朝は朝で、カッコウの呼声とトンビの<ピ-ヒョロロ>が目覚時計代わりになっています。

 

 

 

● 梅雨の「ズル休み」?

 

 梅雨入り宣言はしたものの、カラカラの晴天が続いたが、ようやくにして前線、台風の雨がもたらされ、さしものカラ梅雨も一服の気配。ただ、全国的には、まだ水不足、麦にはよいが水田はヒヤヒヤで、なかなか<いずれも丁度よし>とはいかない日が続いている。

 

 

 

 この晴天は、気象関係者にいわせると、<中休み>ではなく<ズル休み>なんだそうである。雨を降らせるという仕事の合間に起きるのが<中休み>で、仕事もせずにまず休んでしまうのは<ズル休み>だと「ラジオ深夜便」がいう。

 

 まあ、人間もまったく同様で、「やることやってから休めよ」であろうか。

 

 

 

● 年寄りは<半日仕事>

 

 80歳でエベレスト登頂に成功した三浦雄一郎さんが、5月31日朝のNHKテレビで話していた。「自分も年寄りなので、途中のキャンプ数は若い頃の2倍設置した。昔から<年寄りは半日仕事>といわれている。朝から晩まで目一杯働いてはいけないし、昼過ぎたら、景色でも見ながらのんびり過ごすのがよい」つまり、歳をとったら仕事量は2分の1に、時間は2倍かけてよいのだと。

 

 どこへ行くにも、足には錘りをつけ、背には10kgのザックを負って、鍛錬を怠らない三浦さんですらこうした考え方なのだから、<年寄りのヒヤ水>にはならないよう、われわれも気をつけたいものだ。

 

 

 

さて、思い出話になるが、かつて登山に向かう中央本線の中で、なんとなく爪先立った歩き方をしつつ車内を行ったり来たり、何度も繰り返している人を見かけた記憶があるが、どうやらそれは三浦さんであったようだ。

 

 なお、女性登山家の今井通子さんは、パ-テイ-の席などで見かけるときも、常に登山靴なので、多分、足には、錘りをつけてトレ-ニングを兼ねているのであろうと推察している。

 

 <努力は怠らず、実行は控えめに>、そして、年齢相応にと心得よう。

 

 

 

● <マッカ-サ-道路>貫通へ

 

 新橋と虎ノ門を結ぶバイパス、通称「マッカ-サ-道路」が、60年余の時を超えて開通が真近らしい。完成後の道路の名称は、検討の結果、始点=終点の名をつないで、わかりやすい「新虎通り」とするのだそうであるが(5月31日)、シャンゼリゼをお手本とするにもかかわらず、この名前では、どうも能がない。

 

 

 

 占領軍司令官の名を冠するのは屈辱的で面白くないという気持もわからないではないが、人名や地名には、歴史的背景がある。これを後世に伝えていくのも大事ではないか。すなわち、日本が敗戦で連合国軍隊の占領下におかれていたこと、また、俗説といわれようとも、アメリカ軍が占領地の日本で、在京大使館と東京港の桟橋を最短距離で結ぶ道路を建設したい意向を持っていたことは事実なので、それらのすべてを水に流し、消し去ってしまうこともない。

 

 

 

 何よりも、長らく「マッカ-サ-道路」の名で人口に膾炙してきたのだから、この際は、敗戦&占領の思いも込めて、せめて、「松毬(まつかさ)通り」とでも名づけることを提案したい。ちなみに、日本人は、過去にも、明治天皇の誕生日=「明治節」(11月3日)を祝日に残すため知恵を出し、新憲法の公布を遅らせて5月3日に、施行は半年後にして「文化の日」と騙ったこともある。

 

 

 

● 現代版の「二宮金次郎」が増殖中

 

 ちょっと前までは<歩きながら走りながらの「携帯電話」>が”危険だなあ”と思っていたが、最近ではもっぱら<歩きながら「スマホ」>の時代になった。

 

 こちらも甚だ危険で、ついこの間などは、東京メトロ有楽町線は市ヶ谷駅のエスカレ-タ-付近で、下向き歩きの乗換え客同士が衝突、しかも、不思議なことに、双方ともに痛いでもゴメンナサイでもない。ただ黙々と「歩きながらスマホ」を続けていた。こうした<言葉なき人種>もまた急速に増殖中である。

 

 

 

 さらに、これにつられてか、最近では、本を読みながら道を歩く人も増えてきたような気がする。これはスマホの書籍取込みと連動しているのだろうか。市ヶ谷-四ツ谷の土手上の毎朝の散歩道でも、漫画本あり文庫本あり、様々な読書家たちが黙々と下を向いて歩き、しばしば通行を阻害している。

 

 かくて、「上を向いて歩こう」は消え、「二宮金次郎」が華麗に復活中である。

 

 

 

● 中国の海洋制覇

 

 習近平の発言を待つまでもなく、現代中国の国家目標は「中華民族の復興が根本的で、そのためにも海洋大国になる必要がある」にあるといわれている。

 

<復興>の2字には、かつて世界の富の三分の一は中国に集中していた時代を再現したいとの思いが込められている。

 

 

 

 そういえば、はるかなはるかな昔から、大中国は地球の海の果てを目指した。

 

 BC221年、天下統一を成し遂げた「秦の始皇帝」(~BC210)は、その絶頂期に、絶対君主たるべき<封禅の儀式>を執り行い、次なる願望を、「不老不死の妙薬入手と海の果てを知ること」においた。

 

 これに乗じたのが稀代のペテン師「徐福」で、「海の果てにある蓬莱山に不老不死の妙薬を入手する」と称して、巨万の富を積んで船出する。当然に、二度と帰ることもなくトンズラをした徐福だが、日本の各地に残る伝説では、熊野や富士近辺の地に定住したともいわれている。つまり、日本は、古くから、あこがれの地であり、制服、支配したいところだったのではないだろうか。

 

 

 

 つぎに、中国では、7月11日を「航海の日」と定めている。1405年に、明の

 

太監「鄭和」が、27,000人を乗せた艦隊を従え、北アフリカへの大遠征に南京

 

付近の港を出立した日であり、鄭和が通過した国々は明への朝貢国となって、実質的な支配下に組み入れられた。(この部分は、海洋大「田中教授」による)

 

 

 

 この中国の姿勢は、いまも昔も変わらない。そういえば、戦艦定遠、鎮遠を中核として日清戦争を戦った李鴻章の「北洋艦隊」は、その当時、天下無比といわれていたのだから、<海洋大国の夢よいま一度>なのだろう。

 

 

 

(注)2007年5月、訪中のキ-テイング大平洋軍司令官に対し、中国の呉勝利海軍司令官が、「将来、太平洋のハワイ以東を米国、以西を中国が管理してはどうか」と提案したと報じられている。

 

 

 

● 東京中華學校「大運動会」

 

 6月8日(土)の午前9時、市ヶ谷の「東京中華學校」での運動会が、小学1年生から中学3年生まで400人弱の児童、生徒の入場行進で始まった。

 

 家内と散歩の途中であったが、どのような開会式になるか、足を止めてみた。校門入口には日の丸と青天白日旗、種々の役回りは保護者たちの分担である。

 

整理係は「秩序隊」、保護者会=PTAは「家長会」といずれも意味内容が明確でその表現ぶりも面白い。

 

 

 

 国歌演奏のうちに「国旗掲揚」となるが、みな姿勢を正し、敬意を払って国旗を見つめる。掲揚係は、敬礼で退席し、この国家、民族意識が羨ましい。続く来賓の祝辞では、生徒が中国語から日本語に通訳、この辺りに、異国での生活ぶりが窺われて興味深い。そして、準備運動は「ラジオ体操第一」だった。

 

 

 

 最初の種目は1年生の徒競走、4人での競争では、圧倒的に女子児童が強い。応援席では、「紅組加油(ガンバレ)!」とにぎやかだ。ゴ-ルインすれば、着順に沿って1~4位に分けられる。妙な悪平等だと日本で生きられない。

 

 

 

 台湾統治下の日本の風習を「是は是、非は非」とうまく取捨選択して伝える、久しぶりによい運動会だった。祖父母、父母世代の教育と台湾政府の立派さのみ際立って、ときに報道される日本の運動会の不出来加減を考えさせられた。

 

                                  (H25.6.21 記)

 

      風に吹かれて(思いつくまま)

 

● 読売新聞花粉情報 5月8日で終了

 

  今年は「花粉の飛散量」が例年の2倍と報道されたが、個人的には、確かに 量は多いものの苦しさはさほどでなかったため、「しめた、卒業間近か」と思い込んでしまった。ところが、桜の花が散っても症状は続く。どうやら、ヒノキ花粉にも影響されるようになったらしい。この25年の花粉歴で初めて花粉情報終了の記事に遭遇してしまう。まったく、油断はならないものである。

 

 ちなみに、世界には「四大花粉症」があるらしい。日本のスギ、アメリカの干草、欧州のブタクサ、そして、スカンジナビアでは白樺の花粉だという。

 

 

 

● 「一円玉天気」(5月8日のNHKラジオ第一放送から)

 

 「本日は日本国中、晴れの天気でしょう。これを気象予報者の仲間うちでは、<1円玉天気、つまり、崩れようがない>といいます」、ナルホド…。

 

 

 

● 5月12日の読売のUSO放送から

 

「沖縄は日本」  ・・・ 毛想です。 中国政府

 

この<時事問題の掛け言葉>は出色の出来で、背景はつぎのとおりである。

 

5月8日付「人民日報」が、沖縄県の帰属については「未解決」で、中国に領有権があると示唆する論文を掲載している。まさに<誇大妄想>そのものだ。

 

海洋覇権を目指すなか、尖閣諸島でのポジションを高めるためなのだろうが、このように姑息なやり方は、9日付けの時事通信で直ちにボロが出る。いわく、「中国外務省が、1964年、米国の施政下にあった沖縄の主権について、毛沢東主席の意向に沿い、<当然日本に返還さるべきだ>という外務次官談話を作成した上、世界各地の大使館などに電報で送り、外交官に指示を徹底させていたことがわかった」USO放送は<あれは毛沢東の妄想です>と皮肉ったのである。

 

 

 

● 長野新幹線の車窓に展開する「後立山連峰」(5月9日)

 

長野直前の川中島付近から、ほんの一瞬ではあるが、30km先、鹿島槍ヶ岳の猫の耳の山頂が展望できると述べたことがある。そのときは夕暮れで、赤黒い影だけであったのだが、9日は、初夏のお昼頃、白雪を頂いた山が複数見えた。

 

まずは五竜岳、すぐに右に吸い込まれて消え、鹿島槍ヶ岳の双耳峰、ついで、爺ケ岳が現れて去る。まさに、すばらしい<シネラマミックビュ->だった。

 

 

 

さて、篠ノ井線に乗り換えれば、なつかしい姨捨の棚田。本年は春が

 

遅く、ようやくにして水が張られ、日当たり、水の温みを見ながらボ

 

ツボツ田植えが始まった。そして、斜面にはリンゴの花の咲き始め、眼下には、千曲川が光る。

 

 

 

 

 

● “ま・めぞん”(5月11日)

 

 豊科駅前に、社会福祉法人による豆腐の加工場「ま・めぞん」が新設された。昨年秋までは見かけなかったから、今年に入って完成したものであろう。

 

 察するところ、何らかの障碍を持った方たちの雇用の場かと思うが、それにしても、豆腐で<まめ>、働く家で<めぞん>、両方を合わせて、まめに働く<ま・めぞん>とは洒落ているし、女性名詞の“maison”に、女性所有代名詞“ma”をかけて“ma maison”とはよい名称だ。(“まめ・ゾ-ン”とも読める)

 

そして、<ま>と<めぞん>の間には枝豆のロゴが描かれてあった。

 

 

 

● 川口頼子環境委員長の解任

 

 4月24日に帰国の予定を<中国の要人に会うためと称して25日まで国

 

会の許可なく滞在を延期した>として、川口委員長は参議院本会議で

 

解任された。

 

これに対して、参議院で多数を占める野党に、大人気ないとかケシカランという声が、マスコミも含めて多かったのだが、そうではないだろう。中国は、その辺りの力学を十分承知で、会談を25日に設定したと思う。基本的問題は、外交が政府の専権事項であるのにもかかわらず、立法府の人間が中国政府の

 

お情けにすがる形で、尻尾を振って会談に応じたところにあるのではないか。

 

 

 

● 飯島内閣参与が北朝鮮を電撃的に訪問(5.15)

 

 5月18日、飯島参与は、菅官房長官と会談し、北朝鮮の要人との一連

 

の会談では、「拉致被害者の即刻帰国、真相究明、実行犯の引渡しを

 

要求し、<懸案の解決がない限り、日本政府は動かない>と伝えた」

 

と報告した。

 

拉致問題は、ほかでもない日本国民の身の安全を守る、それが侵害された場合には、国が全力を挙げ回復するというものであり、アメリカや韓国がどうこういう、何かやってくれるものではない。非核化などの譲れない一線を維持している限りは、他国がとやかくいう筋合いではない。オバマ大統領が拉致に関心を示さなかったことも背景にあるかもしれないが、アメリカは、自国民のこととなれば、イラン大使館人質事件で機を見て武力行使したように、毅然と行動するのだから、それが当たり前の国際常識である。(5.21)

 

 

 

● 七不講(チ-ブジャン)(5月18日)

 

これは、産経新聞の報道を抜粋して記すことにする。中国の習近平       総書記は「中華民族の偉大な復興を果たすという中国の夢を実現しよう」と呼びかける。(だが、巷では)「習政権が七不講と言い出した」(七不講とは)「七つの言葉を使ってはならないとの党中央弁公庁の指示」で・・・(解読すれば、これは)・・・

 

 ① 人権侵害、②言論統制、③政治活動の制限、④国政選挙権の不

 

在、⑤(文化大革命や天安門事件等の)歴史的過ち、⑥特権層の権

 

益独占と腐敗、⑦党権力による司法の支配に触れてはならないとい

 

うことになるらしい。

 

 

 

● 鎌倉市が歴史的海岸の命名権を民間企業などに売却

 

 とんでもない話である。後から人工的に建設した建物などならとも

 

かくも、歴史的な成立ちのある自然の名称を市が勝手に売ってよいも

 

のか。

 

 幸い、あの「鳩サブレ-」が<由比ガ浜>の命名権を購入した上

 

で、勝手な名前は付けず、住民に命名を公募としたのだが、これとて

 

も本来はおかしい。

 

 そういえば、「井上ひさし」が「国語元年」という作品のなかで、

 

全国統一話し言葉を作るためにお国言葉を買い取って廃止(使用禁

 

止)する作業に対し、「言葉を売るということは、ふるさとを売るこ

 

と、自分を売ることだぞ」といわせていたのを思い出した。(5月19

 

日)                    (H25.5.28 記)

 

 風に吹かれて(平成25年6月号:ストレスのことなど)

 

 

 

 「ストレス」を溜めないようにするにはどうすればよいか、また、溜まってしまったらどう解消するか、4月下旬、NHKラジオ第一放送で「ストレス」に関する番組が放送された。この解説者は、順天堂大学の医学部総合診療学科の「小林教授」だったが、なにせ早朝5時のこととて、多少うろ覚えではあるが、なかなか面白い着眼点もあったのでご紹介したい。

 

 

 

ストレスとは

 

 ストレスは、「交感神経と副交感神経のバランス失墜」によって生じるという。車に例えれば、交感神経はアクセル、副交感神経はブレ-キ、そのバランスが大事なのであって、とくに、朝になってもアクセルが入らない、夜になってもブレ-キが働かないような状況は避けなければならない。さもないと、結果は、「血流の停滞」となって、心身に悪影響を及ぼすことになる。

 

 

 

回避するには

 

 さて、そうならないようにするのには、起床から就寝までの一日を通じて、ストレス回避に効果的なこと、つまり、①朝起きに1杯の水、②朝食は必須、③陽の光を浴びる、④歩いて身体を使う、⑤夕食、アルコ-ルは睡眠2時間前までに終わらせる、⑥風呂はぬる目、40°C程度のお湯に10~15分ほど入るなどを実行するという。ちなみに、「歩く」とは、ことさらに専門の時間帯を作らなくても、エレベ-タ、エスカレ-タに代えて階段を使うことで足りる。

 

これらは、みなよく知られた当たり前のことなのだが、なかで面白かったのは「タメ息は最良のストレス回避策」というくだりであった。<一度の吸気に対して2倍の呼気(タメ息)>が、血流をよくして、ストレスを解消する、まさに、<酒は涙かタメ息か、心の憂さの捨てどころ>とはよくいう、これはまことに理にかなっているのだ。この際、決定的なストレスに落ち込まないよう大いに?タメ息をつこうではないか。

 

 

 

 ついでながらもうひとつ、「徹夜明け異常な興奮」は、故障したブレ-キで、いわば、車が暴走状態にあるせいだというのである。男性諸君は、徹夜の麻雀などでみな経験があるのではないだろうか。こちらの方も<ナルホド>である。

 

 

 

解消するには

 

 それでは、ストレスの解消法だが、①まず、生じているストレスを紙に書く、②その対策を書く、③効果がなければ更なる対策を書く、これを続けているうちにバカバカしくなってストレスは飛んでいく。<こりゃホンマかいな>

 

 

 

超人たちの対処法

 

 さて、著名人は<ストレスをいかに解消しているか>についても述べよう。

 

ゴルフの殿堂入りを果たしているアメリカの女子プロゴルファ-のベッツイ・キング(Betty King)は、こういっている。<Making stress work for you>ショットをする瞬間、クラブは左へ、顔は右へと難しいフォ-ムができるほど強い意志を持った彼女ならではのセリフである。似たところで、国民栄誉賞の巨人軍名誉監督「長嶋茂雄さん」は、<ストレスを楽しまなくっちゃあ!>といとも簡単に片付ける。元横綱「隆の里関」は、糖尿病のせいもあったのだろうが、ひたすら歩く、それも猛スピ-ドで歩く。ゆっくりだと、あれこれと考え事をして、かえってストレスが溜まってしまうそうである。

 

 

 

 つぎに、わが敬愛する「小泉純一郎さん」はどうだろうか。「総理のストレス解消法はなんですか?」とお尋ねしたところ、「渡辺さん、新しいストレスを呼ぶんですよ。そうすれば、前のストレスは消えていきますから・・・」とのお答えが返ってきた。<さすが、さすがは>といわざるを得ない。

 

 

 

時がたてば状況は変わる?

 

 親しい友人の説によれば、「およそ、日本人は、<天孫(降臨)民族>ならぬ<テンション民族>である」よって、超人たちのように並外れた対応は、到底できず、ストレスの効果的解消はそもそも見つけ難くて、回復に時間もかかる。

 

 

 

かくいう筆者の場合でも、かつて、仕事と家族のストレスが重なったときに、「本来はストレス解消法の一つであるウオ-キング」の途中で、足が動かなくなったことがある。しかも、病院玄関の正面だったので、「ああ、これは警告の信号だな」と思い、そのまま病院に入った。医者に話を聞いてもらい、若干の薬を処方されて、その後は時の流れのなかで、いつか薄れて消えたことがある。

 

 

 

Life  marches  by ,… get  on  with  it.

 

はたして、時はすべてを解決するのか。それはともかく、映画「黄昏」でのキャサリ-ン・ヘップバ-ンのこのセリフは、なぜかいまでも気に入っている。

 

                     (H25.5.28 記)

 

風に吹かれて(平成25年5月号:あづみ野から)

 

 

 

 安曇野に春がやってきました。前常念岳の東面に「徳利を提げた常念坊」の 雪形が 認められるようになり、「田のあら起こし」も始まりました。男の子のいる家には、早々と鯉のぼりも上がっていますが、幟りに見える紋所の一つがなぜか「武田菱」とくると不思議な気がします。

 

 

 

 4月10日には満開だったソメイヨシノ、その同じ日、庭のウメも満開でした。 21日には、珍しく大雪が降って、山はふたたび雪化粧をしましたが、その後、日差しが回復して、いまは例年どおりの進度です。梅、桜、桃の三春も過ぎて、周りの緑は急速に濃くなります。ハナズオウ、ドウダンツツジなどが見ごろで、アジサイは葉が出始め、ヤマユリも伸び、シャクナゲの花芽は膨らんでいます。

 

 また、自宅近くの古い蕎麦屋(安留賀)では、タラの芽のてんぷらと並んで、「ワサビの花のおひたし」が特別メニュ-に登場しています。初夏に向かって、この地は、これからがもっとも過ごしやすく美しい季節です。

 

 

 

1 雪形あれこれ

 

 かつて紹介したように、「雪形」は、全国で300、北アルプスでは30ぐらいあるようですが、これら雪形の多くは農事暦や民話をもとにしたもので、ここ安曇野も例外ではありません。

 

 

 

 大糸線沿線の雪形の見ごろは、安曇野市役所のHPなどによれば、3月中旬~4月の五竜岳(武田菱)に始まって、常念岳(呑み助坊さん)、鹿島槍(鶴と獅子)、白馬岳(代掻き馬)、爺が岳(種まき爺さん)に至り、5月下旬~6月の蝶が岳(蝶々)で終止符を打つようです。なお、<蝶々雪形>ですが、いまはただ真っ白の雪の斜面で、全く形にはなっていません。また、穂高の「万水川」(よろずい)河畔にある田淵行男記念館では、「雪形写真展」も始まりました。

 

 

 

 蛇足になりますが、「ハクバダケ」といわれる「白馬岳」は、<代掻き馬>が語源なので<白>の意味はなく、また、駅名の「白馬」も、1968年(S43)に、スキ-や登山客を呼び込むため、もとの「信濃四谷」から改称されたものです。

 

 

 

2 八面大王と常念坊

 

 前常念岳の東面に現れる雪形の「常念坊」は、「八面大王」の子分だったそうです。鬼といわれる八面大王は、たぶん、中央政権に逆らった地元の豪族ではないでしょうか。坂上田村麻呂が大王退治に手こずって、いまは真言宗の名刹、「栗尾山満願寺」に願をかけ目的を達成したと説話に残ります。徳利を提げた小坊主<常念坊>は、大王の<使いっ走り>だったのかもしれません。なお、このお寺の場所は、穂高CCや安曇野CCの少し北側の山麓にあり、ツツジが見事な「栗尾山公園」になっています。

 

 

 

3 大糸線の沿革

 

 松本から大糸線に乗ると、西側のドアの上には3つの展望写真が掲げられています。これを手がかりにして、常念山脈、後立山連峰、白馬三山といずれも甲乙つけ難いすばらしい眺めを車窓から楽しむことができます。

 

 

 

 この大糸線105kmの沿革ですが、当初の3路線の統合で生まれたものです。最も古いのは、臼井吉見「安曇野」にもある①信濃鉄道(1915年 民営)で、松本-大町35km、駅間平均距離は1.8km、まあ、市電のようなものです。②大町-南小谷35kmは、国営の南大糸線(1929年)、駅間平均距離2.5km、そして、③南小谷-糸魚川35kmは、国営の北大糸線(1934年供用開始)で、駅間平均距離4.4kmです。なお、3線の統合は、1957年(S32)のことでした。

 

 

 

 歴史的背景のせいか、南小谷まではJR東の管轄で電化区間、南小谷からはJR西の管轄で非電化区間です。そしていま、北大糸線部分は、北陸新幹線の金沢延伸に関連してバス化または縮小と存続が危うい状況にあります。かつて山登りをしていた者にとっては、とてもさびしい思いがしています。

 

 

 

4 駅のホ-ムに忘れもの

 

 4月23日帰京の際、最寄駅「柏矢町」のホ-ムで妙な忘れものを見ました。かかとの高い黒スエ-ドの<ハイヒ-ル>が揃えて置かれていたのです。駅のホ-ムは低く、とても<飛び降り…>ができるようなところではありません。

 

 駅員、といっても委託を受けている市の職員を呼んで保管をさせたのですが、彼がいうには、「時々、わざと捨てていく輩がいるのですが、これは新しいし、きちんと揃えてあるから、多分、スニ-カ-に履き替えた際忘れたのでしょう」

 

 

 

 そこから、突然10年前のことを思い出しました。「関門海峡大橋」で眺めを楽しんでいると、駐車場から出ていったワゴン車のその後に子供の靴が揃えて置かれていたのです。車を大事にするあまり、汚さないようにと、<車内では素足またはスリッパに履き替えるのが原則>という人がいるのですが、まさに、それでした。子供は、ときとして履き替えた際に靴の回収を忘れるのだろうと、妙な連想には、われながら苦笑してしまったのです。                 (H25.4.25 記)

 

風に吹かれて(4月号:私のメモ帳・・・その2)

 

これらは、主として、1991年以降のメモ、コピ-から抜粋したものですが、 前号からの通し番号として、<15~27>と整理してあります。

 

 

 

15 趣味の三種類とは (市村操一:勝つためのゴルフ心理学)

 

① Pastime・・・努力を必要としない単なる気晴らし

 

② Hobby・・・ある程度の熱中と努力と時間をつぎ込んだもの

 

③ Avocation・・・深められ、技能はプロの水準だがアマにとどまっている。

 

 

 

 ① は、例えば、ごろ寝でTV野球観戦を「趣味は野球」といいコンポで 音楽を聴くだけなのに「趣味はクラシック音楽」というようなことである。

 

 また、③は、チャ-チルの絵画やヒュ-ム首相?の交響楽団指揮のようにプロでもおかしくないが、他の仕事が最優先でプロにならなかったというところか。

 

 

 

16 因果経(平家物語 巻10 小原御幸)

 

“欲知過去因 見其現在果、欲知未来果 見其現在因”

 

 「将来を考えたら、いまの一瞬々々を大事にすること」であろうか。

 

 

 

17 和敬清寂(千利休の教え by 15代家元「千宗室」)

 

① 和:和するという「平和」の思想

 

② 敬:お互い差別のない人間同士の触れ合い

 

③ 清:浄めるということ、心の汚れを取り静かな心を持つこと

 

④ 寂:どんなときにも動じない態度と心をもつこと

 

そういえば、神田川の関口近くに「和敬塾」という名称を見た記憶がある。

 

 

 

18 酒は燗・・・

 

 “酒は燗、肴は気取り、酌は髱(タボ=女の髪)”と、まことにごもっとも…。そのような至福のとき?をぜひ過ごしてみたいものだ。

 

さらに酒の俳句では、“湯どうふや 男の嘆き きくことも”(中村真砂女)が、気に入っている。立ち上る湯気に揺らいで、男と女の姿かたちが目に浮かぶ。

 

 また、“花は半開に看(み)、酒は微酔に飲む”(菜根譚)との境地もあるが…。

 

 

 

酒に続いて女となれば、ごく最近のメモには、“色は年増にとどめを刺す”

 

(鬼平犯科帳)もある。これを吉右衛門にいわれると、ただフムフム…か?

 

 

 

19 日本の戦争力(小川和久)

 

その主眼は、「対潜水艦作戦と防空能力を世界最高レベルに持っていくことで日米の同盟関係を維持する」ことにある。従って、「アメリカは、軍事戦略上日本に頭が上がらない」と説明する。

 

例えば、P-3Cの日本の保有は100機でアメリカの267機に次ぐ2位であり、AWACSは4機、空中給油機は4機とハイレベルの共同体制にある。さらに、海軍能力は152隻+205機、イ-ジス艦は、常時360度をとらえるレ-ダ-を持つが、これは日米だけのものである。空軍能力は、474機(うち要撃戦闘機373機と世界15位)と高いものでアメリカの戦争力をカバ-している、また、レ-ダ-・サイトは8ケ所、地対空ミサイルも高水準でイスラエル並みにある。

 

 

 

他方、増山栄太郎は、「駐留なき安保は不可能」という。

 

もし、仮に、実行するとすれば、つぎのような体制が必要になるとも。

 

(1) 米中の反対を押し切って、「日本独自の核武装化」を行う。

 

(2) 加えて、①原子力空母 1隻、②核巡航ミサイル搭載原潜 5隻、

 

③ F22クラス戦闘機 相当数、④空母護衛艦 7隻、⑤給油艦 1隻を常備することが必要で、これらの体制を維持しながらアメリカの第7艦隊と共同作戦をするのには、年間16兆円以上がかかる計算になる。

 

 

 

20 つもり違い10ケ条(高尾山薬王院の看板)

 

・高いつもりで低いのは教養 / 低いつもりで高いのは気位/

 

・深いつもりで浅いのは知識 / 浅いつもりで深いのは欲/

 

・厚いつもりで薄いのは人情 / 薄いつもりで厚いのは面の皮/

 

・強いつもりで弱いのは根性 / 弱いつもりで強いのは我/

 

・多いつもりで少ないのは分別 / 少ないつもりで多いのは無駄/

 

 

 

21 アクトン卿の言

 

「権力は必ず腐敗する。絶対的権力は“絶対的に腐敗する”」

 

そのとおりである。過去の歴史がこれを証明している。

 

 

 

22 神社の数

 

神社は、全国に10万はあるそうだ。

 

昔は、官幣大中小社と別格官幣社が121社、国幣大中小社は97社、その他が10万9,712社であったという。つまり、1自然村ごとに1神社である。

 

現在、農業集落の総数は、全国に13万5,000、おおむね神社の数に合う。

 

今回の東日本大震災で、神社の存在と配置がよくわかった。

 

 

 

23 “和を装う”(産経新聞)

 

 フランスの哲学者「アラン」は、<外形は内容を規定する>といったそうだ。つまり、身なりを正し、外形を整えると、その外形にふさわしい内容が伴ってくるというのである。

 

 そういえば、マルクスの言には「下部構造が上部構造を規定する」とあった。

 

 

 

24  ニホンカワウソ絶滅(コラム春秋)

 

遊び半分なのか、カワウソには、捕まえた魚を食べる前に並べておく習性がある。魚が祭りのお供えのように見えるので、これを獺祭(だっさい)とか獺祭魚といった。もとは中国の言葉らしい。ああ、山口の銘酒が懐かしい。

 

<獺(かわうそ)の祭り見て来よ瀬田の奥> 松尾芭蕉

 

ことのついでに、芭蕉は、「不易流行」のうち、<不易>は去来にあり、また、<流行=軽み>は凡兆にありと評した。

 

 

 

25 良寛さんの書簡から(1828年)

 

「災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候」

 

 何ともすごい表現であるが、<諦める>とは<明らめる>という仏教用語であり、それは、無常の現実を明らめることにほかならない(駒澤大:奈良康明)

 

そして、人は、しょせん、 “独生独死 独来独去”なのだろうか。

 

 

 

26 九曜星(平家物語 巻の二)

 

 九曜星は、日月火水木金土+羅ご&計都(架空の二星)からなる。

 

 唐の高僧「一行(いちぎょう)阿闍梨」は、讒言により玄宗皇帝の怒りに触れ、果羅国へ流された。天は、その無実の罪を憐れみ、「九曜」の形を現して「一行」の道行を守った。「一行」は、指を噛んだ血で九曜の形を写しとった。これが<九曜曼荼羅>の起源である。

 

 ちなみに、九曜星は、府立九中を引き継ぐ母校「北園高校」の校章でもある。

 

 

 

27 網野善彦講演録から

 

 ”「畠地」は、ハクといい、これが本来のハタケです。中世において、火偏の<畑>は、いわゆる「焼畑」で、ふつうは、この「畠」という字を使います。”

 

 

 

 網野善彦について、石原慎太郎は、「網野史学を評して、左翼的だというのは短絡的で… 皇室、武家中心のヒエラルキ-社会でも、多くの人々が、どんなエネルギ-をもって日本社会を支えていたかを描いていて、歴史が重層的なものであることを知る…」(’06.7文芸春秋)と珍しく好意的。            (H25.3.28 記)

 

        風に吹かれて(3月号:私のメモ帳・・・その1)

 

 

 

 朝の散歩道「四ツ谷への土手」の市ヶ谷方面入口には、児童公園があること

 

からか、つぎのような警告表示板がある。 ● とびだすな!車がきます

 

これを見ていて、「八島太郎」(プロレタリア画家、明治41年鹿児島県生まれ、昭和14年米国へ亡命)の言葉を思い出した。彼はいう、「全く逆だ。本来は、<飛び出すぞ!子供は急に止まれない>と、車の方に警告しなければならない」

 

 

 

 さて、このような洒落た文句や気に入った言葉、記事を目や耳にしたときは、小さな手帳に、メモしたり、コピ-を貼り付ける習慣を25年ほど続けている。

 

あの商社や銀行が年末に配る何の変哲もない手帳にである。1987年、1991年、2012年とメモ帳もすでに3冊になった。そこで、この際、自分でもとくに気に

 

入っている言葉や記事を、順にご紹介することにしよう。なお、これまでの

 

「日本橋人形町だより」に掲載し、紹介したものは省略した。

 

また、友人の近藤良捷さんには、「思い草、忘れ草に忘れな草をあなたに」が

 

あるが、到底それには及ばず、個人的な忘備録といったほどのものである。

 

 

 

1 “Youth”(by S・Ullman)

 

手帳の第一番目に貼り付けてあるコピ-は、サミュエル・ウルマンの言葉で、これは、マッカ-サ-元帥に贈られたともある。大意は、「若さとは、人生に

 

おける時間の経過の多少ではなく、心の持ちようだ。人は、年を重ねたから

 

老いるのではなく、理想や意欲が枯渇して老いるのだ」であろう。

 

なお、そのマッカ-サ-は、アメリカ議会における退任演説で、有名な

 

“Old  soldiers  never  die , just  fade  away. ”との言葉も残している。

 

蛇足になるが、中国の古いことわざに、「七十致仕」(70歳にして公的な仕事から身を引く)というのもあった。

 

 

 

2 爾俸爾禄 民膏民脂 下民易虐 上天難欺(二本松の戒石銘)

 

(なんじのほう・なんじのろくは、たみのこう・たみのしなり。

 

かみんはしいたげやすくも、じょうてんはあざむきがたし)

 

 寛延2年(1749年)、二本松藩第5代藩主の丹羽高寛が藩士への諫めとした

 

言葉で、<弱い人民を虐げたりすると天罰が下るぞ>というのである。(霞ケ城址)

 

 

 

3 “Change to remain the same”(映画「山猫」から)

 

バ-ト・ランカスタ-とアラン・ドロンが主演したイタリア映画で、女優は、

 

多分、クラウデイア・カルデイナ-レだと思うが、革命の嵐の中で旧貴族が

 

生き続けていくためには、自ら変わるしかないという感じのセリフだった。

 

しかし、これを小沢一郎が使うとき、どうにも似つかわしくないのである。

 

 

 

4 ボルテ-ル(仏哲学者)

 

「私はお前の言うことには反対だ。だが、お前がそれを言う権利を、私は

 

命をかけて守る」… ウ-ム、格好いいな、さすがは「ボルテ-ル」

 

 

 

5 キャセイ航空のいわれ(香港)

 

10世紀初め、モンゴルの地を支配した民族「契丹」は「キタイ」と呼ばれた。

 

あのタタ-ルも支配下におき、西方では、漠然と、全中国を指すこともあった。そのラテン語の複数形がCathayといわれる。(英和辞典ではCathay=China)

 

 

 

ちなみに、ガル-ダ航空(インドネシア)の語源は仏教にあるらしい。

 

京都「三十三間堂」にある「千手観音」には、眷属として二十八部衆が従っているが、その中のひとつに<迦桜羅>(カルラ)がある。インド出身の霊鳥で、仏教の守護神、日本でいう”鳳凰“のようなもので、カルラ→ガル-ダとなる。

 

 

 

6 “無信不立”(論語「顔淵第十二」)

 

孔子が、「政(まつりごと)とは何か」と問われて答えるに、「食料、軍備が

 

足り、民に信頼感を持たせること」としたところ、さらに「やむを得ず捨てるとすれば、その順番は?」と問われて、まずは軍備、それから食料だ。しかし、民衆は信頼感を持っていなければ、安心してやっていけない」という。

 

 日本の政治家が軽い気持でこの言葉を使うが、さて、覚悟はあるのだろうか。

 

 

 

7 “百姓至上”(ハルビン国際空港の電光広告)

 

ある旅行者がこれを見て、「なるほど中国は農民を大切にしているな」と思い、念のため、通訳の女性に聞いたならば、百姓とは一般市民全体を意味しており、    「人民は神様です」といったところでしょうかという返事だった。

 

わが恩師の網野善彦先生は、百姓=農民の思い違いをいわれたが、そのとおり。

 

 

 

8 明日のふるさと(昭和47.8 雑誌「故郷」発刊の辞by杜山悠)

 

「人がやがては人らしい本然の姿に立ち戻ることのできる日、自然と俱に

 

自然人らしく生きることが、誰が何といおうと仕合せだと分かった日、そう

 

いう時の故郷は、実は、回帰的な故郷ではなくて今の私たちの未来に位置する

 

故郷ではないか」・・・<明日のふるさと>をいま創るのが現世代の役割だ。

 

 

 

9 戦争もまた文化なり(梅棹忠夫)

 

日本国憲法の「前文」がいかにすばらしい理想主義的平和宣言であっても、それが他国の不都合となればあっさり蹂躙されかねない。少くとも尊重されるという保障はない。=“戦争もまた文化なり”

 

「自国の体系以外のものは認めないというのが文化だ。違うのはけしからんからお前を殺すというのが文化だ」

 

 

 

そのとおりで、文明は世界中のだれもが共有できるのであるが、文化とは、しょせん、相手は相手、自分は自分と互いに認め合って棲み分けるしかない。

 

 

 

10 老人の跋扈(住友本社の総理事「伊庭貞剛」)

 

 「事業の進歩発達に最も害をなすものは、青年の過失ではなくて、老人の

 

跋扈であり、老人は、小壮者の邪魔をしないようにすることが一番必要だ」

 

 

 

11 コンクリ-ト・マットレス(札幌農学校=北大「岡崎文吉」の発明)

 

岡崎は、1902年、コンクリ-ト・マットレスによる護岸技術を開発したが、

 

この改良型は、いまだにミシシッピ河で現地生産され、利用されている。

 

基本にあるのは、水はいかなる大河でも「蛇行」する。したがって、水流の当たる箇所のみの崩壊を防ぐマット(長方形のコンクリ-トを針金でつないで

 

スダレ状にしたもの)を垂らすのが有効。これによって、崩壊を防ぎ、同時にその水深=水路を確保する。自然、水に逆らわず、共生こそが大事だという。

 

 

 

12 上下不貫徹 前後不接連 左右不連携(汪兆銘)

 

あの傀儡政権といわれた汪兆銘は、日本を指してこういうが、当時の状況が

 

よくわかる。そして、論語にある「忠恕」についても、日中戦争時の中国人は、

 

“いまの日本人には「忠はあれど恕(思いやり)が全くない」”といったそうだ。

 

 

 

13 常盤木落葉(ときわぎおちば)

 

常緑広葉樹のシイ、カシ、クスなどは、新緑の時期に、新しい葉が盛んに

 

育ち古い葉が次々に枯れて落ちる。「ゆずりは(譲り葉)」なる言葉もある。

 

 

 

14 教育とは

 

ドイツ語で「教育」とは、“er-zie-hen”(エルツイ-エン)というそうで、

 

その語源は、「中から引っ張り出すこと」にあるらしい。

 

そういえば、ドイツ語で【価値実現】とは「販売」、【止揚】(アウフヘ-ベン)

 

とは、実は「棚上げ」のことらしく、ドイツ語は難しい。 (H25.2.26記)

 

 

 

  風に吹かれて(平成25年2月号「春は名のみの・・・」)

 

 

 

 <蛇年呈祥校運昌隆>自宅の近く、「東京中華学校」の教室の窓に「春節」の飾りつけが始まりました。そういえば、大寒も過ぎて2月4日は立春、10日が旧暦元旦と聞くと、春はそばまで来ているはずなのですが、まだまだ寒い日が続きます。また、本年は花粉飛散量が例年の2倍(昨年の5~6倍)と予想され、憂鬱な時期になりそうですが、それでも、明るく暖かい春の到来がしきりに

 

待たれます。

 

 さて、今月号では、近ごろ耳にしたいくつかのこぼれ話を集めました。

 

 

 

平和って?

 

暮れの29日は珍しく穏やかな日差しだったが、その日の10時ごろのこと、四番町から市ヶ谷駅に続く「帯坂」を下っていた。ここは、普段なら市ヶ谷駅から吐き出された勤め人などが、セカセカ、ギスギスした雰囲気で、なかには、

 

歩きタバコもあり、肩をぶつけんばかりの忙しない道なのである。ところが、

 

この日は、仕事納めも済んだせいか、年に幾日もないような静けさであった。

 

 

 

道をゆく小生の後方からは、小学校低学年と幼稚園と思われる幼い兄妹が、

 

ともに小さなザックを背負ってやや早足で降りてきた。その二人の会話である。

 

「お兄ちゃん、静かだねえ」

 

「ホントに静かだ(一呼吸おいて)、こういうのを平和っていうんだよなあ・・・」

 

「そうかあ-」

 

 

 

たったそれだけのことなのだが、これを聞いていて、なぜか胸の奥には、

 

野坂昭如「火垂るの墓」に登場する兄妹の姿、そして、孤児となり栄養失調で死んでいく妹が髪を編んでくれた兄に、「にいちゃん、おおきに」と伝えた言葉、あるいは、ジョ-・オダネルが被爆地の長崎で撮影した「焼き場に立つ少年」、死んだ妹を背負って火葬を待つ少年の写真が浮かんできてしまった。

 

<平和とは、飢餓も略奪も、死の恐怖もなく、穏やかで暖かい日差しのなかを兄妹が安心して歩けることなのか> 子どもの言葉は、真実を簡潔に語る。

 

 

 

ときには残酷

 

これも12月のある日に再放送された「戦艦大和の生存者」(約300名)に

 

NHKがインタビュ-したドキュメンタリ-番組の一部からだが、生存者の一人、和歌山の寺の住職となった方に対して、ある檀家の子どもがこういったそうだ。

 

「和尚はん、大和の乗組員の人たちは、みな死んだんちゃうんか?」きつい、残酷な言葉である。海軍側の発表は、「総員勇敢ニシテ壮絶ナル戦死ヲトゲタリ」と

 

なっていて生還者のあることは秘密にしていたのだから。

 

 

 

これ、あれ

 

 年寄り夫婦での年の暮れ、ある日の会話である。小生の後ろから家内がいう。

 

「お父さん、コレ、アレする時があったら、アレしてくれない?お願いよ」

 

 

 

 とり立てて二人の仲がいいわけではない。<加齢に伴うボキャブラリ-の

 

欠落>を、長年一緒に暮らしてきた経験が補って、連れ合いの思考方法、方向、行動様式が大体推察できて、おおむね外さないようになるものなのである。

 

 

 

それにしても今回は3ケ所すべてが抽象、指示代名詞だったので、いささか、<直ちに翻訳=即理解>とはいかなかった。「それだけじゃあ、わからないよ」、

 

振り向いた瞬間、家内が手にしているのは予て欲しがっていた健康商品の広告。「ドラッグストアにでも行くことがあったら、この商品を買ってきてほしい」という意味だと分かり、まだまだ修行が足りないと実感した。「以心伝心」とはいうが、皆さんにも似たようなことがあるのではないだろうか。

 

 

 

服装の「ハレ」と「ケ」

 

 12月13日、ブライダルデザイナ-「桂由美さん」の講演を聴く機会があった。

 

主題は、「男女が出合う機会を増やさなければ、少子化は解決しない」である。

 

 その中で紹介されたいくつかの話のうちから、興味深いものをご紹介する。

 

 

 

①  結婚式で新婦が用いるテイアラやロングドレスは、欧州革命前までは服装

 

規則によって、庶民には許されなかった。いまは解禁されているが、それは、あくまでも社交上のマナ-をきちんと守ることが前提である。

 

したがって、例えば、皇居での新年祝賀など正式の会で、わが国の女性皇族ご一同がテイアラとロングドレスの正装で臨まれるときには、招待された側の女性もこれに対応した正装が不可欠である。女性国会議員の中には、「腕ぐらい

 

見えていてもいいだろう」、「ロングスカ-トなら構わないだろう」などと甘い感覚が見受けられたが、これは礼儀に反し、言語道断である。

 

 

 

②  日本のクリスチャン数は2%ぐらいだと思われるが、結婚式では、65%が

 

キリスト教式なので、牧師の数は間に合わない。多くは俄か仕立てではないか。

 

なお、日本の結婚式のやり方が中国で流行ってきたが、新郎新婦が正装しているのに、客は、ジ-パン、普段着で参加するなど、服装はまだ遅れている。

 

 

 

③  神前結婚は大正天皇ご成婚のとき以来で、式次第はキリスト教式に近い。そもそも日本の結婚は自宅で挙げる習いであって、神式には例がなかった。

 

④  女性の職業進出などにより、活動的な服装が一般化してきた。そのこと

 

自体はよいのだが、ハレの場では、けじめをつけてしっかりドレスアップすることが肝要である。

 

いまの日本人には、TPOをわきまえようという自覚がまったくない。例えば

 

結婚式での新郎の服装は、あくまでも新婦を際立たせる地味な格好でなければならず、男性が目立つ服装などは論外である。

 

 

 

 私たちも、とくに歳をとるほどに、「礼装、略礼装、平服、カジュアルのちがい、

 

そしてTPO」 に十分意を用いて、次世代に伝えていくことが重要だと思う。

 

 

 

裸のワンちゃん

 

 服装ついでにもう一つ。内外を問わず、最近は、相当の割合で小型犬に服?を着せている人が多い。散歩途中の東郷元帥記念公園の近くでだが、ある婦人が

 

連れている犬も腹巻?のような服を着せられていた。

 

小生がこれを話題にすると、家内いわく、友人からの情報として、犬連れで入れる喫茶店に何人かが集まったとき1匹だけが服を着せられていなかった。すると周りの女性から、「アラいやだ、この子、裸だわ」と声が上がったそうである。

 

 それにしても、一体、何が常識なのかわからない時代になったものだ。

 

(H25.1.29 記)

 

 

 

 

 

  風に吹かれて(H25年新春号「食の東西・・・思いつくまま」)

 

 

 

 フォッサマグナ(中央地溝帯)は、その西縁が「糸魚川-静岡構造線」で、日本海から松本までは、「塩の道」千國街道と重なる。ちなみに、その東縁は、定説とはなっていないものの、ほぼ「柏崎-千葉構造線」だといわれている。

 

 

 

 食文化論を語る人々のなかには、<この西縁線あたりを境として西南日本と

 

東北日本とが分かれる>と主張する向きもある。たしかに、同じ長野県でも、お正月用の塩魚(年取り魚)について、東北信濃では「塩鮭」、他方、松本や

 

伊那、木曽地域では「塩ブリ」と好対照を示している。しかし、確たる実証はなく、加えて、食品加工、流通、貯蔵技術の変化とコ-ルドチェ-ンの発達のなかで、違いはさらに曖昧になってきていると思うのだがどうだろうか。

 

 

 

1 太平洋からの「塩の道」

 

 千國街道「塩の道」と並んで、信州へ塩を届ける代表的ル-トは、「三州街道」

 

である。「通し馬」による輸送であるところから、「中馬街道」とも称される。

 

 太平洋側の岡崎に上がった塩は、足助宿に至り、馬の負担を均等にするため

 

各地の塩をブレンドし(塩なおし)、包装を小口化、均一化する。そのうえで、最大の難所「伊勢神峠」を越えて武節へ、そして、伊那の飯田、塩尻へと辿る。

 

 

 

 飯田宿は、地域の拠点で、江戸時代には「入馬1000匹、出馬1000匹」とも例えられる賑わいであったそうである。また、ここには、信濃大町と同様に、

 

塩漬けの魚から塩を取り出し、魚は塩抜きして料理する「塩イカ文化」もある。

 

これで、日本海から太平洋への太い道が引けた。(BS-TBS、宮本常一:塩の道)

 

 

 

2 「飛騨ブリ」と「鰤街道」

 

 冬の富山湾、とくに、氷見の定置網で採れたブリは、「能登ブリ」「越中ブリ」

 

などと称され、古くから珍重されてきた。

 

 

 

また、1670年代(寛文年代)からは、塩ブリとして飛騨の高山にも送られ、その名も「飛騨ブリ」となって、その後さらに、標高1672mの野麦峠を越えて松本に、木曽、伊那に届けられるが、値段も1本=コメ1俵と浜の3倍になる。

 

「年取り魚」として「塩ブリ」は、江戸時代、正月には欠かせないものだった。

 

 余談だが、神戸在勤のとき年末になると、人々は、明石「魚の棚」(市場)に出かけて塩ブリを購入していた、東京ならば、さしずめ「アメ横」だろうか。

 

 

 

「塩ブリ」の富山湾から高山までの道は、現在の高山本線に沿って南下し、

 

途中で東西二つに分かれる道の東、現在の神岡鉄道に沿った「越中東街道」

 

(国道41号線)をボッカ(歩荷)に背負われて、17日程の旅をしたらしい。

 

 南北212kmと長い信州がブリとサケで二つの食習慣に分かれるのが面白い。

 

伊那、佐久、松本、善光寺とそれぞれ地域の独自性が強い長野県のことだし、明治4~9年の間は、飛騨と南中信が「筑摩県」を構成し、県庁所在地が松本であったのだから、違いがあっても不思議ではない。(臼井吉見「安曇野」ほか)

 

 

 

3 牛と馬、そして「肉じゃが」

 

 「北馬西牛」という言葉もある。輸送、荷役、耕作を牛によるか馬によるかを

 

いうものである。奥州の馬は、平安時代から京都に献上され、また、交易対象であった。関東以北には広大な牧が展開し、馬の放牧、飼育にはこと欠かない一方、西国ではその役割を牛が担ったという説である。明治期になり、西洋の食習慣として牛肉を食するようになったとき、関西では、廃牛が供給源として一般的になり、関東、東北では、その地位を新規導入の豚が担うことになった。

 

 

 

記憶によれば、牛肉消費量は、いまでも西と東で2~3倍と大きな差がある。

 

神戸の食肉店では、牛肉に大きなスペ-スが与えられ、豚のは狭い。かくして、

 

「肉じゃが」も、関西では「牛肉」、関東以北では「豚肉」が主力になった。

 

 

 

4 お正月の雑煮

 

 つぎは、しばしば取り上げられる「雑煮の違い」である。いわく、西では、①丸もち(茹でる)、②白味噌仕立て、③昆布ダシで、④具も賑やかなのに対し、東では、①角もち(焼く)、②醤油のすまし汁仕立て、③かつをダシで、④具の種類は比較的シンプルだという。しかし、関西や北陸、山陰にも、小豆汁や

 

赤味噌仕立ての地域があるように、整然と分かれるわけではない。ことに、

 

最近では、面倒な丸もちが、加工しやすい角もちに取って代わられつつある。

 

 

 

他方、ダシの違いは納得できる。北海道の昆布は、北前船で日本海を経由し、北陸、関西に運ばれ、かつをは、黒潮に乗って太平洋を上下するからである。

 

 

 

5 ブリとカブの飯寿司

 

 北陸の食文化の一つに「ブリ+カブ」の飯寿司がある。人々は、移住しても、ふるさとの料理を食べたいといろいろ工夫する。北海道には、「鮭とキャベツの

 

飯寿司」があり、秋田には、「ハタハタ+キャベツ」といった具合である。

 

 かつて、根室の漁師のお母さんから「鮭+キャベツ飯寿司」を頂戴したとき、「これはふるさとの味の伝承です」といわれて大層感激したことを思い出す。

 

 

 

6 思いつくまま

 

 関西「うどん」に対して、関東「そば」ともいう。しかし、これは正解ではないだろう。蕎麦屋の「砂場」は、大坂城の建設現場の「砂置き場」が発祥で、虎ノ門砂場の看板にも「おおざかや砂場」とある。

 

 山地、寒冷地の多い東北日本では、麦がうまく栽培できず、「ソバ」に拠ら

 

ざるを得なかった、江戸の調理法が「そばがき」から「そばきり」になって、人口増加と立食にマッチした、薄口醤油とうどんの組合わせ、濃口とそばつゆとの組合せがよかったという辺りがいい線ではないだろうか。

 

 

 

 このほか、「おでん」についても、野菜、豆腐、こんにゃく、牛すじが中心の

 

関西風と魚の練りものが中心の関東風というような違いがあるともいう。

 

 平河天満宮のおでんや「稲垣?」には、関東風、名古屋風、関西風と三種の鍋があり、具も醤油などのタレも違っていた。

 

 

 

 葉のくるみ方で桜餅の違いを強調する向きもあるが、これは、餅米粉の一種「道明寺粉」が先行し、後から向島で流行った「長命寺桜餅」が差別化のため考え出した<大きな葉でくるむ>手法から出た違いではないだろうか。

 

 

 

7 モグラとゴキブリ

 

(1) モグラ

 

 わが国は、長らく「アズマモグラ」の天下であった。戦後のこと、南洋種の「コウベモグラ」が九州に上陸して東征、瞬く間に勢力を伸ばす。富士川の線まで進出して東西の均衡がしばしの間は保たれていた。その理由は、高冷地、溶岩地には比較的弱いということにあったが、その後、富士山を北側から迂回、関東に達したようである。ちなみに、「コウベモグラ」といっても、発見地が

 

たまたま「神戸」だっただけで、もともとは南洋種なのである。

 

 

 

(2) ゴキブリ

 

 これも種類は多いが、象徴的なのは、「クロゴキブリ」と「チャバネゴキブリ」である。比較的寒さに弱い「チャバネ」だったが、耐寒性能のよい家屋の普及、橋、道路、鉄道、トンネルの発達で、列車、自動車に便乗した東進を招いたと考えている。

 

                                      (H24.12.24記)

 

「酒の極意は二合半?」

 熱燗を置くや 指先 耳に当て (吉屋信子)

 

 

 

 お寒くなってまいりました。そして、お酒が恋しい季節になりました。

 

 

 

「熱かん3杯まで」

 

 

 

 11月19日の読売新聞夕刊のコラム「しあわせ小箱」の記事である。

 

 あらすじは、横浜・野毛の居酒屋「武蔵屋」は、店主が木村喜久代さん(90)、店のルールは、<熱かんは3杯まで><父親が3杯で帰れば、家でも奥さんにお酌してもらえる>から。1919年創業のこの店は、「三杯屋」ともいわれる。

 

 お客は、酩酊などせず、ほろ酔い、酒の肴5品込み2,200円で暖簾をくぐる。

 

 

 

 そして、21日付けのでは、このように続けている。

 

<1杯目は一日の疲れを癒す。2杯目は明日への活力を培う。

 

3杯目は人生を楽しくさせる>

 

 

 

「二合半」

 

 

 

 一方で、「1合にして、人、酒を飲み、2合にして、酒、酒を飲む。3合にして、酒、人を飲む」ともいわれる。

 

 

 

 もう四半世紀も前の話であるが、北海道は札幌から岩見沢のほぼ中間の町、「南幌」に旅館を兼ねる居酒屋で「二合半」という店があった。ここの女将はなかなか気風のよい方で、店もかなり繁盛していたと記憶している。

 

 

 

 ある日、そこで夕飯を兼ねた一杯をやっていると、「ダメ、ダメ、これ以上はダメよ」との声がした。この店の名前のいわれである「徳利3本=2合半まで、それ以上飲みたいのなら、しばらく寒空に出て、改めて入り直せ」といっていたようだ。

 

 

 

 もっとも、よく聞いてみると、宿泊客にはこのルールが適用されないらしい。

 

 

 

 乱れない、酒は楽しく飲もう、酩酊などもってのほかなのであって、その点は、野毛の「武蔵屋」とも共通するものがある。

 

 過去形で書いてしまったが、「二合半」がいまも営業中だったら失礼。

 

 

 

「マイ徳利」

 

 

 

 最近、自由が許される親しい仲間の飲み会では、徳利を自分の目の前に置き、マイペースで飲むようにしているのだが、酒がおいしくなったせいか、ときに、興が乗ってくるとなかなかこの原則を守れない。まさに、酒は魔物である。

 

 

 

 そういえば、総理大臣時代の「小泉純一郎さん」の酒の飲み方は、決して、度を超さず、また、人に酌をさせることがなかった。

 

 

 

 熱燗や いつも無口な 一人客 (真砂女)

 

 

 

 お酒は、みんなで楽しくやるもよし、また、ひとり静かにやるもよしである。

 

 とにかく、「美味しいうちが華」といきたいものだ。        (H24.11.25 記)

風に吹かれて( H28年2月号:スリッパ履いて宮中へ)

  あづみ野は、「冬の間も雪はあまり降らず、猛烈に寒い」と聞いていましたが、この2年ほどは、思わぬ豪雪に見舞われています。1月下旬には、30cmもの積雪があり、また、最低気温も<氷点下15℃>といった状況です。大雪で中央本線がストップしたとき、除雪に行こうとして、地元の人から止められました。光り輝く白銀の山々の展望は捨てがたいのですが、しばしの我慢、3月中旬のワサビの花が咲くころまで待ちたいと思います。

 

 

 

ところで、軽井沢のバス転落事故や<ダイコ-~みのりフ-ズ>の廃棄食品の横流し事件などは、決して一過性のものではなく、経済社会の基本構造が劣化してきているところにその根源があると考えます。廃棄物処理の最終責任は、処理を委託した排出者(ビ-フカツのケ-スではCoCo壱番屋)にあります。食品企業の場合、横流しで事故が起きれば信用失墜になりますから、横流しが不可能なように一次処理をしてから委託するか、あるいは、最終処分の現場に立ち会って確認するのが基本で、心ある企業はそうしています。CoCo壱番屋の親会社=ハウス食品の信用にも関わります。この原則に立ち戻れないのならば、法律改正をして、「立会努力」を「立会義務」にせざるを得なくなるでしょう。

 

 

 

● 北部式の雪吊り

 

 二七通り沿いの九段南に「富士植木」がある。ここでは、季節にちなんだ樹木や庭園関係の実物展示が行われていて、目下は、<雪吊り>である。

 

 雪吊りにはいくつかのやり方があるらしいが、展示されているのは「北部式」である。①木の枝を吊るのが「兼六園式」、②円形のブチ(裾回し)を芯柱からシュロ縄で吊り下げるのが「南部式」、そして、③ブチを割竹で吊り下げるのが「北部式」と説明されていた。雪のない地方でも、冬の風物詩として飾るのが最近の流行(はやり)だそうである。

 

 

 

 

 

「二七通り」とは、内堀通りと日テレ通りを結ぶ間道で、かつて、2の日と7の日に市が立ち、二七不動尊も祀られていたことから命名されたらしいが、現在は、商店街からマンション通りへと急速に変わりつつあり、その面影はない。また、不動尊も、何年か前に火事にあって以来、独立した庵を持っていない。

 

 

 

ついでのことに、1月末の札幌で見かけた「滑止め砂袋」の写真をご披露して

 

 

 

おきたい。朝日新聞と「ホテル・ニュ-オ-タニ・札幌」の交差点のもので北国の風物詩の一つであり、興味深く、立ち止まって撮影する人も。見かけた

 

 

 

 

 

● スリッパ履いて宮中へ

 

 昨年の秋、叙勲の栄に浴することができた。しかも、宮中に参内の上、安倍総理から授与、天皇陛下の拝謁の手順での受章であったから、誠に名誉である。

 

他方、10月初旬の打診から11月5日の授与までの道行きは、バラエテイに冨み、かつ、スリリングなものだった。ここに、その経緯をご紹介したい。

 

 

 

 

 

 「ハイヤ-はどこにするか」「手慣れている日本交通に頼もう」「令夫人着用衣服はどれにするか、和か洋か」、家内は大ケガをしてから、整形外科医に「足がフリ-になるミニが一番」といわれていただけに和服かロングドレスか決めかねていた。そこで、両方引っ張り出して着てみることにした。まずは、ロングドレス。十数年も前の参内時に誂えたのにもかかわらずス-っと入り、「ウエストも下腹も、ホラ、ピッタリ!」、と本人は自慢げだ。次いで、礼装用の布のパンプスに足を入れて、一歩目<痛い!>、二歩目<痛ツ!>、三歩目は足が出ず。薄色の普通のパンプスにするにしても5cmのヒ-ルがあり、このところ杖を使用してヒ-ルの低い靴しか履かない身にはやや不安。次は和服。色留袖は昔地味めに作ってあったので歳相応で問題なしだが、草履の鼻緒が固くなっていて痛いという。神楽坂の<助六>で柔らかい鼻緒にすげ替えた。和洋どちらにするかは、当日の天気予報が出てから決めることになった。

 

 

 

ここまでは、ほかの受章者宅でも、車や妻が着るものをどうするか、似たような様子かもしれない。しかし、順調に進んでいたのはここまでだった。

 

 

 

 

 

 宮中への参内が近づいたある夜のこと。家内が風呂場で左足の第2指を骨折、翌日の九段坂病院で医師いわく、「第2指では草履は履けませんね。パンプスは立つどころか、足を入れるのも難しいでしょう。11月5日までにはとても間に合いません」とのご託宣、舞台は一気に暗転。「う-ム、参内は無理か?」

 

 

 

 

 

 しかし、それからが、<羽柴秀吉の中国大返しもかくや>の巻返しである。

 

 

 

「これが最後の参内になるから、必ず行く」と固い決意の家内の工夫が始まった。あれこれと工夫は続き、ついに、「これなら大丈夫」。固定した足指にドレスと似た色のスリッパを探し出してきて足にかぶせ、スリッパが絶対にぬげないようにスリッパごと包帯でグルグル巻きにしてそのまま歩くという。左足はよしとして、さて右は?となる。まさか右足もスリッパに包帯というわけにはいかない。やはり、右は靴を履いて安定させた方がよい。しかし、左足に合う丁度の靴が手持ちにない。と家内が諦めかけたとき、「確か、あづみ野(別宅)にアイボリ-の革製タウン・シュ-ズをもっていたよね」、この一言に家内の目が光った。「あっ、そうだわ。お父さん取ってきてツ」と予想外の大転回。「よし!」(これ以外の返事はあり得なかった)。仕事の合間を縫ってあづみ野の家に入り、下駄箱からくだんの靴を取り出し、玄関にカギをかけた。この間はほんの数十秒。目星をつけての素早い仕事は、さながら空き巣にでも入ったような気分であった。

 

 

 

 

 

 それからの毎日、左右の足先がドレスの裾からわずかにしか見えないように歩く練習を重ねる。その甲斐あって無事に参内を終えたのである。写真撮影の後は、車をごく近くまで誘導するなど、宮内庁の方々にも親切にしていただいた。

 

 

 

一生に一度しかない慶事を夫婦2人で滞りなく終えて感謝、感激である。

 

 

 

 

 

蛇足にはなるが、幕末の大儒家「佐藤一齋」の言葉に、<少(わか)くして学べば壮にして為すあり。壮にして学べば老いて衰えず。老いて学べば死して朽ちず>とある。残る人生を悔いのないように過ごしたいものと思っている。(H28.2.1記)

 

        (追伸)添付写真「水素ステ-ション」の様子は、次号でご紹介する予定です。

................................................................................................................................................................................................................................................................

風に吹かれて( H28年新春号 “一陽来復”)

 

 

12月も中旬を過ぎると日の暮れは次第に遅くなり、空の明るさが戻り始めて、なんとなく春への兆しが感じられるようになります。

 

 

 

そして、それは、山岳展望のシ-ズン到来でもあります。新宿発の中央本線特急「あずさ号」の車窓からは、甲府に近くなると盆地の向こうには白根三山、左手南方に赤石連山が、小淵沢では鳳凰三山とアサヨ峰の間に日本第二の山頂「北岳」の三角帽子が顔を出します。茅野は八ヶ岳、塩尻からは縦長の穂高の山塊、松本に至れば乗鞍の遠望と光輝く山々の神々しさが胸を打ちます。雪の少ないこの冬は、高山と中低山とがクッキリ分かれ、「山座同定」に最適です。

 

 

 

 

 

 

 

あづみ野のわが家からも、西側の窓には、蝶が岳~常念岳の山脈が展開し、北には、燕岳、蓮華岳、爺岳、鹿島槍ケ岳、五竜岳などの後立山連峰、遠くには白馬の白い山々が美しく望めるようになりました。

 

 

 

それにしても、あづみ野の冬は身体の芯から冷え上がる寒さです。したがって、この時期には、暖い列車の旅の方がお奨めで、遙かな山々の景色を肴に信濃の銘酒をチビチビとやり、ときにウトウトと眠るのが無上の幸せといえましょう。

 

 

 

 

 

 

 

(北アルプスの例年の積雪を想像していただくため、最近の写真とともに、親しい友人が昨シ-ズン撮影した「八方尾根からの五龍岳」を添付しました)

 

 

 

 

 

  ● 衆参同時選挙がキナ臭い

 

 通常国会の召集は、1月4日と例年になく早い。「会期は6月1日までで延長なし」と考えるとあまり多くの法案は提出・審議できない。TPP協定批准の審議はどうなるか、行くか待つかは米国の様子見といったところだろう。

 

 

 

 さて、今後の政局を占ってみると、主要素は4つ考えられる。

 

①平成29年4月に予定される消費税10%への引上げとの間隔は極力開ける

 

②野党共闘・再編の勢力が固まるのはブロックしたい

 

③参議院議員の任期切れからのタイミングを計算する

 

④世論を考え、18歳からの選挙権行使は実施させる

 

この「針の穴」を貫くには、6月1日衆議院解散、7月10日「衆参同時選挙」の日程になる。総理は否定をしますが、なんとなく可能性は高い。これならば「大阪維新の会」の数も計算に入れ、かねて安倍総理の悲願「憲法改正の発議」もできようというものだ。ただ、世の中、そううまくいくか難しいところである。

 

 

 

  小泉元総理にいわせれば、「この世に坂が3つある。上り坂、下り坂、そして、もう一つはまさか!だ」そうである。新しい年は、政界から目が離せない。

 

 

 

 

 

 ● 軽減税率の議論が矮小化されていないか

 

 8%から10%への消費税引上げに伴う2%分の軽減対象を「財源が4,000億円しかないから生鮮食料品に限る」とする財務省・自民党と「それは約束が違う、酒を除く食料品のすべてだ」とする公明党の駆け引きは、結局、総理の裁断により、<生鮮食料品+加工食品-外食・アルコ-ル飲料+新聞>に落ち着いた。

 

 

 

 しかし、よく考えると、双方の主張とも技術論やごく目の前の人気取りなど問題を矮小化しており、少々「セコい?」気もする。この際は、徹底的に、

 

① 真に軽減とすべき消費者や必需品とはなにか、

 

② 2%などというレベルで軽減といえるか、

 

③(軽減に充てる当面の)財源がないのが理由になるのか、

 

④ 社会保障上の必要額なら、将来ともに10%のレベルで足りるのか、

 

① ~④を議論して、長期にわたる王道の国家設計をして然かるべきであろう。

 

 

 

 加えて、「企業の手間が大変だ。益税が生じてもインボイスはやりたくない」などとはトンでもない。西欧諸国は、ごくごく零細を除いてみな導入している。

 

 

 

 かくして、個人的な提案ではあるが、「低所得層のため真に不可欠な物資は」というなら、コメ、みそ、醤油、乳児用粉乳、乳児用・介護用オムツ、これに限定して、かつ、その消費税は無税とし、社会保障に必要な財源や国家財政のプライマリ-・バランスの回復が不可避というならいずれは欧米に倣って消費税は15~20%にもっていく」のはどうか。政治家には、そうした国家観での議論が求めらよう。

 

 

 

  ● ロシアとトルコの争いは“DNA”のなせる業?

 

  プ-チン大統領とエルドアン大統領が「お前は辞めろ」「お前こそ辞めろ」と激しくやり合っている。復習を兼ねて<世界史年表・地図>を開いてみると、第一次大戦前まで、ロシア帝国とトルコ帝国は、大国として対立し、しのぎを削ってきた。トルコがきわめて親日的なのも、1890年のエルトウ-ル号の海難救助への感謝にとどまらない。真の理由は、自らの敵国である「ロシア」を日本が1904-05年の「日露戦争」で破ったからである。

 

 現在のトルコでも、「日本には二度助けられた」としばしばいわれるらしい。

 

 

 

  オスマン・トルコが敗退した後、その地は、イラク、シリア、イスラエル、トルコ(共和国)、エジプト、セルビア、ブルガリア、ギリシア、アルバニア、ル-マニアに分割された、その原因を作ったのは、オスマン帝国との戦争にアラブを駆り出そうとした身勝手な英仏露の3大国、とくにイギリスである。

 

①将来のアラブの独立を約束する<フサイン・マクマホン書簡>

 

(アラビアのロレンスはこの片棒を担いでしまった)

 

② イギリスがフランス、ロシアと結んだ<サイクス・ピコ密約>

 

(戦後の中東地域を分割するとの密約を締結する)

 

③ユダヤ人に対し国民・国家の建設を約束した<バルフォア宣言>

 

 

 

 このイギリスが行なった「三枚舌の外交」が今日の混乱をもたらしたともいえるのである。恨みは消せない、トルコには、歴史のDNAが色濃く刷り込まれている。従って、NATOやEUとの関係も決して穏やかなものものではない。つくづく、イギリスとは、とんでもない、したたかな国である。                           (H27.12.28記)

................................................................................................................................................................................................................................................................

「風に吹かれて」(別冊)・・・2015年<書きとどめた言葉>から

 

 

既刊の「風に吹かれて」に掲載、引用したものを除き、‘15年1~12月の間に、手帳にメモやコピ-の貼り付けなどをしてきた<気になる、心に残る言葉と文章>を順に記しておきました。

 

 

 

かつて紹介したこともある近藤さんの著作「思い草、わすれ草に忘れな草をあなたに」 に倣ったもので、年賀状代わりにでもお納めいただければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

       ① 西ドイツのエアハルト首相

 

    金がなくなっても何もなくならない

 

    やる気がなくなったら多くがなくなる

 

    誇りがなくなったら全てがなくなる

 

 

 

   ・・・北園高校の12年先輩:貝原元兵庫県知事が最後のエッセイで引用

 

 

 

 

 

 

 

         ② インド思想における“人生の四季”

 

    春は学生期(季)=学ぶ

 

    夏は家住期=働く

 

    秋は林住期=仕事から離れて楽しむ

 

    冬は遊行期=巡礼の旅に

 

   *ときには、この季節から季節を旅(往復)することもある。

 

    ・・・人生の四季に見合った住まい(過ごし方)が大事だと桐島洋子が引用

 

 

 

   ③ フォッサ・マグナ

 

   大地溝帯の西縁は安曇野のわが家も立地する有名な「糸魚川-静岡構造線」であるが、

 

   東縁は?と論争があった。どうやら、<北部は諸説あるようだが、南部は“銚子に至る

 

    利根川沿い断層“>で決着が付きそうだという。(信濃毎日)

 

 

 

   ④ ケロリン桶

 

   全国の銭湯で使われてきた「プラスチック製の黄色いケロリン桶」が初めて木製になった。

 

   富山の内外薬品が、北陸新幹線の開通に合わせて、長野県とタッグ・マッチ、南木曾の

 

   サワラを使って作った。実物はまことによいが、

 

   1個4,320円はどんなものだろうか・・・。(銀座NAGANOに実物展示もある)

 

 

 

   ⑤ 中国共産党の”ないない尽くし“

 

     習近平の(腐敗摘発)政策で・・・いま中国(共産党)の一般幹部はどういう

 

   心情なのか。賄賂も取れない、(公金での)飲み食いもできない、人生の楽しみが何一つない、

 

    だから仕事をする気にもならない。

 

   8時に出勤した地方幹部たちは、人民日報を最初から最後まで読む、1日潰るが、

 

   誰にも咎められない。

 

   ・・・石平氏の日本工業倶楽部での講演(6/19)から

 

 

 

   ⑥ ヒトラ-とチャ-チル

 

      H・グラ-ザ-著の「ヒトラ-とナチス・第三帝国の思想と行動」には、

 

   演説の練習をするヒトラ-の多数の写真が掲載されている。ちょうどその頃、

 

   イギリスでは、チャ-チルも、鏡に向かって演説の練習をしていたと聞く。

 

 

 

   ⑦ 食い物の恨みは怖い?

 

   ソウルでの日韓首脳会議、昼時ではあったが、会談終了後の昼食はなかった。

 

   「これからどうされますか?」と朴大統領から声を掛けられた安倍総理は、

 

   「近くの店で焼き肉を食べて帰ります」と応じた。この賓客をもてなさなかった

 

   朴さんに対し、韓国の名物を気軽に街中で食べることで応酬したのだ。

 

   <怒って和食を食べに行った>ではないところに安倍さんの作戦勝ちがある。

 

   ・・・知恵者は一体だれだ? 産経新聞のコラムに賛成!

 

 

 

   ⑧ パスカル

 

   “正義なき力は暴力であり、力なき正義は無力である”(雑誌から)

 

 

 

   ⑨ 「洋画」の字幕スーパーと吹き替え

 

   外国映画の字幕ス-パ-は、昭和6年(1931年)封切りのパラマウント映画「モロッコ」で

 

   始まった。あまり知られていないが、(20世紀)フォックス社は、

 

   これに対抗して、同じ年の映画「再生の港」を<吹き替え方式>により日本に

 

   送り込んだ。しかし、これは大失敗で、以来、テレビを除く日本の劇場映画は、

 

     “Superimposed titles”が主流となっている。

 

   フォックス社の失敗理由は、「カリフォルニア在住の日本人たちにセリフを

 

   しゃべらせたため、同地に広島出身の移住者の多かったことから、あこがれの外国俳優、

 

    女優たちがみな「広島弁」をしゃべることとなり、失笑を買ってしまったのである。

 

   字幕ならば、本来の出演者の声、抑揚などが実感できて、また、文字は観客の想像の世界を

 

   広げることもできる。

 

     ・・・清水俊二「字幕は翻訳ではない」(早川書房)を再読して

 

 

 

       ⑩ 均一化と多様性

 

   “ある程度の規模と財力を持つ地方都市は、みんな街の景色が似てくる。

 

   その土地らしさは、生活の細部――食べ物とか地酒とか生活習慣とかにまで

 

   踏み込まないと、なかなか感じ取れなくなる。豊かになると、生活の基礎

 

   部分が均一化されるからである。“

 

   ・・・宮部みゆき「悲嘆の門」(毎日新聞社)下巻から

 

 

 

   ⑪ ホ-ムからの転落防止 発想の転換

 

     全国では3,000人以上がホ-ムから転落しているが、その6割は酔客だ。

 

     ただし、<千鳥足でホ-ムの端を歩いていて踏み外す>というパタ-ンは

 

     少なく、「ホ-ムのベンチから突然立ち上がってまっすぐ歩き、そのまま数秒で転落」

 

  という突撃型が過半だという。JR西日本の調査で判明した。

 

  そこで、同社は新大阪や広島など71の駅でベンチを線路平行型から垂直型へ切り変えたところ、

 

  その効果が表れた。客観的な映像での調査と発想の転換、

 

  一度、新大阪駅の辺りで見てこよう か。

 

  ・・・日経新聞のコラム“春秋”2015.12.5から

................................................................................................................................................................................................................................................................

風に吹かれて( H27年12月号:ようようお寒くなりました)

 今年は、11月24日になってようやく冬型の気圧配置になり、本格的寒さの

 

到来です。北海道では、「ササラ電車」も活動し始めました。「木枯し一番」は、先月の24日でしたから、その後、約1か月間も暖かさが続いたことになります。

 

 

 

あづみ野では、11月の初めに降雪があって、尾根筋がほんの少しばかり白くなりましたが、すぐに消え、常念山脈は、枯木林の向こうに黒々としています。軒に吊した干し柿が、「いつまでも温いので、カビてしまった」などという声もあちこちで聞きます。他方、「野沢菜(御菜)」の方は成長が順調なようで、

 

これに寒さが加われば、味の方は保証つきとなるでしょう。一方、地域経済

 

との関係は、11月23日に白馬村で「雪乞い神事」 が行われたほど深刻です。

 

 

 

 さて、全くの個人的感想になりますが、「大阪ダブル選挙」で、自民党の推薦候補を共産党が公然と支援し、結局は大差で敗れる結果となりました。<こういうのあり?>と思ってしまいます。<抱きつき戦術>は失敗がほとんどで、かつて、学生のころに、大学に「羽仁五郎」が現れて、「諸君、今回の選挙では、主義主張を超え社会党候補に一本化しよう」とアジったことを思い出します。国共合作でもあるまいに、「敵の敵は味方」とは、いまどき流行らない。まあ、前原さんの<共産党シロアリ発言>もセンスの落ちるひどいものですが・・・。

 

 

● JR大糸線内での会話

 

 それでは、まず地域の話題から始めたい。11月末の3連休のことである。

 

松本から穂高へ、中国からの女性観光客3人が大糸線に乗車し、日本人観光客との会話が始まった。「どちらから来られましたか?」「タ-リ-です」「ああ、台湾ですか?」「いえ、違います」、ちょっと離れた席で聞いていた当方には、

 

てっきり<大連>の聞き違いかと思ったところ、さらに重ねて、「台湾は香港の東、タ-リ-は雲南省、ビルマのそばです」と念押しして来た。

 

 

 

 改めて地図帳を調べれば、雲南省昆明の西方、ミャンマ-寄りに<大理>がある。もう一つ、雲南省では、<ミャンマ-でなく、いまなおビルマ> なのかと驚く。

 

 中国女性たちは、ワサビ好きで「穂高大王ワサビ農場」を見に来たというから、和食の普及にこちらもビックリ・ポンである。

 

 

● “江戸の大関より故郷(くに)の三段目”

 

 相撲界では有名なことわざだそうである。久しぶりの長野県出身力士「御嶽海」の勝越しに、なんと、信濃毎日新聞は、1面左トップ記事の扱いであった。 当方の実感では、「信毎(しんまい)」は、かの朝日新聞より左に位置する。だが、こと地元のニュ-スに関しては全く別で、主義主張に関係なく最優先だ。このことわざ、場所前の松本巡業で大声援を受けたときの描写に用いられた。

 

 ●  信毎社説の憂鬱

 

  悩みは深そうだ。23日付の社説 「朴教授起訴は韓国の名誉を傷つける」 では、

 

<韓国社会が学問の自由に理解が薄い表れと受け止められる>と韓国政府を

 

批判しつつ、返す刀で、<教授の本がこんな形で問題になるのも、日韓両国の隔たりが依然大きいからで、・・当事者は高齢化している。・・韓国側との対話を急げ、・・当事者、支援者、識者などによる「協議体」を造り、半年~1年の期間を区切って問題解決に向けた話し合いに入るべき>と日本政府も批判する。

 

 

 

  本来、この種の問題は、話合いや妥協ではなく、事実関係と日韓条約という

 

国際約束の履行に関わることなのを曖昧にしているので、韓国の応援団だった

 

はずの信毎の戸惑い困惑する姿が目に見えるようだ。

 

 

●   モ-リン・オハラ 逝く

 

  10月24日、米女優の「モ-リン・オハラ」が老衰のため亡くなった。95歳であった。AP→共同の配信だったが、産経新聞だけが、大事な部分、つまり、「アイルランドが舞台で、自分が主演した<静かなる男 ‘52年>のサウンド・トラックを聴きながら、静かに息を引き取った」旨を報じている。

 

 ノ-トルダムのせむし男(’39年)、わが谷は緑なりき(‘41年)、34丁目の奇跡(’47年)、静かなる男、スペンサ-の山(‘63年)など他にも傑作はあるであろうに、なぜ「静かなる男」の音楽を選んだか。死を悟ったとき、「この曲を流して欲しい」とあらかじめ伝えていたはずであるから、その理由を知りたいところだ。ジョン・フォ-ドの監督、ジョン・ウエインとの共演、その辺りにカギがあるのではなかろうか。

 

(文芸春秋編の「洋画ベスト150」では、「わが谷は緑なりき」が75位、この「静かなる男」は167位)

 

  また、われわれは「モ-リン・オハラ」と平板に発音するが、英語の綴りはMaureen O’Haraだから、正しくは<モッ・リ-ン、 オッ・ハ-ラ>なのか。

 

 

 

 なお、文藝春秋が1990年に出版の<女優ベスト150>では、彼女は135位にノミネ-トされる。洋画女優ベスト5位は、①フランソワ-ズ・アルヌ-ル、②オ-ドリ-・ヘップバ-ン、③コリンヌ・ルシェ-ル、④イングリッド・バ-グマン、⑤アナ・ベラであり、邦画女優では、①久我美子、②高峰秀子、③吉永小百合、④原節子*、⑤桂木洋子となっていて、ちょっと意外な気もする。

 

     *今朝のニュ-スでは、奇しくも、原節子が9月初めに95歳で亡くなっていたと伝えている。

 

● ふるさときゃらばん

 

    訃報をもう一つ、<ふるさときゃらばん>の「石塚克彦さん」が亡くなった。知る人ぞ知るだが、日本の田舎を舞台にした「農村ミュ-ジカル」を主催し、風前の灯のようになっていた日本の原風景である「棚田」の維持、研究のために、1994年に第1回全国棚田サミットをプロデユ-ス、‘99年には「棚田学会」を設立、貢献してこられた方である。享年78歳、まことに惜しまれる。(H27.11.26記)

................................................................................................................................................................................................................................................................

風に吹かれて( H27年11月号:つれづれなるままに)

 

 

 

もうまもなく初冠雪のたよりが聞こえるでしょう。白馬連峰から、後立山、燕岳へ、そして、常念山脈へと周囲の山が順に白くなるのが待どおしいです。晴れた日の朝早くに起き出せば、まわりは一面の朝霧で、目の前の田んぼは霜に覆われています。やがて、東山が朝日に染まってくると、朝霧は晴れて、振り返る西山は、尾根筋が光り輝いて神々しく、一瞬、寒さも忘れるほどです。

 

 

 

庭の柿の木は、3本のうち2本が豊作で、木々の葉が落ちるのを待ちながら、収穫を始めました。柿には、甘柿、不完全甘柿、渋柿とあるそうで、わが家の不完全甘柿は、収穫後しばらくおいて熟させ、渋柿は、干し柿にします。

 

これからしばらく、毎週のように、柿の収穫・加工作業です。1/3ほどは鳥にやりましょう。夏には青かったナツメの実もすっかり赤くなりました。

 

 

 

それにしても、「一億総活躍」とは何か胡散臭いですね。目指すGDP600兆円、出生率向上、介護待機ゼロなどの中身はよしとしても、その名称がよくない。

 

年齢のせいか、一億玉砕、②一億総懺悔 ③国家総動員、③(中国)大躍進といったことを思い出してしまいます。それから、新設される「国民会議」は、なんだか「大政翼賛会」を連想させますし、<総・活躍>でなく<総活・躍>と切れば、1億人が<総括>されそうです。言葉は大事にしたいものです。

 

 

● 大糸線開業100周年

 

 

 かつて本誌で大糸線の沿革について触れたことがある。糸魚川‐南小谷‐大町‐信濃常盤‐北松本‐松本といくつかの鉄道(国鉄、私鉄)がつながって今日の大糸線がある。そのうち最も古い北松本‐信濃常盤部分(信濃鉄道)がこの11月2日に開設100周年を迎える。1915年(大正4年)のことであった。

 

 

 奇しくも北陸新幹線が金沢まで延伸開通し、毎年のように災害にさらされる南小谷‐糸魚川(JR西)の廃止、バス交通への転換が議論されている。たった1両のかわいいジ-ゼルカ-が姫川の谷間の千國街道「塩の道」を縫って走る。旅情は捨てがたいが、これもご時世だろうか。

 

 

 

● 塩尻駅のブドウ棚

 

   10月の初め、中央本線塩尻駅3、4番ホ-ムにあるブドウ棚で、幼稚園児が収穫祭をした。全国で唯一の<駅ホ-ムでのブドウ栽培>は、1988年の開園で、長さは48m、食用(ナイアガラ)とワイン用(メルロ-)だそうである。

   中央本線を利用する際は、駅のホ-ムにぜひ注目して欲しい。春~秋がよい。

 

 ●  フランス語、ワカリマセン

 

  外国の方がカタコトの日本語を話していても、先入観のせいか、こちらには

 

日本語でなく、外国語で話していると聞こえてしまうことがある。

 

 その代表的な例として、しばしば、「アザ-ブ、ジュバン?」 が挙げられている。

道を尋ねる外国人が<麻布十番?>といっても、フランス語としか思えない。

 

 

 

読売新聞(10/1)のコラムでは、その延長上の例として、<銭形平次と女房お静がフランス語を話す?>が掲載されていた。おまえさん、大切な商売道具は持ったでしょうね。「ジュテ・モタカ?」 「マダモ・トラン」 という具合である。

 

 

 

 思い込みは日本語にもあり、外国人から、「ワタシハ・ゴシュジン(ご主人)」、実は<豪州人>もそうだし、「ゴウシュウマイ」を豪州米と聞いたところ、それは、滋賀の<江州米>だったという例もあって、罪なき誤解はまことに楽しい。

 

 

 

● こよなく美わしき国

 

 シリアなどの中東から大量の難民が中欧経由で西欧を目指し故国を脱出している。<平和ボケ>している日本人にとって、国が失われる、国を出るなどということは思いもよらないが、現実には起こるのだと知らされた。そのようなとき、民族を束ねるものとはなにか、長きにわたり国土をもたず流浪を続けたユダヤ民族は宗教をもって旗印としてきたが、それもない日本人には、なにをして国家、民族の基とするのかを問われているともいえよう。ユダヤ人の場合、いま国土はないが、聖書の”約束の地カナン“に思いを託し「いつの日にか」 が宗教とともに国家、民族の基、アイデンテテイになっていたのだろう。

 

 

 

ちなみに、ベトナム戦争では80万人超が、6ケ国に分かれたユ-ゴ内戦時には3,000万人が難民となった。OECDは、中東難民数を当面100万人超と推計する。

 

 ただ、いま押しかけている中東難民の人々は、多少なりとも仲介業者に払う金があり、あるいは西欧に親類、縁者がいる者に限られている。そのどちらもない人々は、戦禍に曝された現地に残るしかない。世の中は実に不公平である。

 

 この事態に日本がどのような貢献、寄与できるかを考える時期に来たようだ。

 

 

 

“こよなく美わしき我らの国、どこよりも広く美わしき国、この国で我らは出会った、

 

菩提樹の下で日が暮れる頃に。今宵も神様は見守っておられる、空から見守っておられる。優しい目で我らを見守っておられる。その思慮深い心で。アウフビーダーゼン”

 

(ドイツ映画「続族菩提樹」のラストシーンから)

 

 

● 24人目のノーベル賞

 

 戦後70年、日本人(外国籍を含む)の受賞者が24人に達した。他方、聞くところでは、韓国人の受賞は、平和賞の金大中のみだそうだ。いつまでも「恨」に拘泥し、先のことを考えない、過去をのみ向いて思考停止、さらには、強いもの、流行のものにはなびくとも思えるお国柄のせいだろうか。

 

  また、TPPが大筋決着し、韓国が外れた途端、<韓中だ、韓中だ>と騒いでいた韓国マスコミが、こぞって、「これでは、日本に後れを取ってしまう。どうして乗らなかったのだ」と大変な騒ぎのようだ。日本のマスコミ以上に、また、旧社会党のように、「何でも反対、リスクはとらない、悪いのは日本だ、国だ」(クニガ・クニガ病)では、当然ながら、今後の発展はない。(H27.10.29記)

 

 

................................................................................................................................................................................................................................................................

風に吹かれて(H27年10月号 : あづみ野に秋深し)

 

 

 

稲刈りも終わり、9月22、23日は伊勢神宮の末社に当たる「矢原神明宮」の秋祭です。海人族の流れを汲む当地では、船(山車)宮入りがクライマックス、神事では優雅な浦安が舞われます。朝晩は冷え込み、秋も深くなりました。

 

この時期になると思い出すのは、大学4年秋の涸沢、前穂北尾根の登攀で、青空、新雪、紅葉の三段染めが見事でした。常念山脈はまだ黒々していますが、紅葉に覆われる日も近いでしょう。あづみ野が最も美しい季節の一つです。

 

 

 

 話は変わって、NHKの「ぶらタモリ」がとても面白かったので、9月のある日、地下鉄の東銀座駅と歌舞伎座の地下を結ぶ「防災広場」に行ってきました。

 

テレビ放送のとおりで、楽しい歌舞伎グッズを売るマルシェの屋台にはすべてキャスタ-がついていて、夜間やいざのときには簡単に移動・収納でき、また、周囲の壁面は災害時の食料、水、毛布などが備蓄されたクロゼットでした。

 

 銀座周辺で大地震などに出会ったら、あわてずに東銀座駅に向かいましょう。

 

 

 

● 中国の令計画5兄弟

 

 8月10日付け産経新聞の報道は、たわいもないことだが、誠に楽しかった。

 

逮捕され有罪とされた胡錦濤前国家主席の最側近「令計画氏5兄弟」の名前だ。

 

令計画氏は4男、長男は事故死したのだが、上から順に、令<路線><政策>

 

<方針><計画><完成>と名づけられたそうで、この5男「令完成氏」が、中国共産党の致命的情報をもってアメリカに亡命申請中とのこと、スノ-ドン事件の中国版である。引渡しを要求しているが、素直に引き渡すはずがない。

 

 

 

 さて、話は飛ぶが、噂になっている中国映画の「カイロ宣言」も面白そうだ。

 

史実では延安に追い込められ、かつ内部抗争で1万人の粛清の真っ最中だった毛沢東、参加してもいなかったスタ-リンが主役になっているという。

 

歴史の改竄、デッチ上げも極まった感がある。中国国内の批判も当然だろう。

 

 

 

 ちなみに、軍事上などの理由から、公開される地図上で「存在するものを消す」

 

「存在しないものを書き加える」ことを<改描>という。

 

わが母校の北園高校では、講堂の塀に「存在しない」戦車の絵が描かれていた。50年も昔のことである、空襲する米軍機への目くらましのつもりだったろうか。

 

 

● 「捨て足軽」

 

売れっ子の歴史研究家「磯田道史」の最新作に「天災から日本史を読み直す」

 

(中公新書)がある。なかでも興味深かったのは、P.124にある“「捨て足軽」

 

という自爆部隊“の下りである。

 

 

 

要約をすれば、<江戸時代、長崎湾を外国船から防衛する任務を負わされていた佐賀藩、福岡藩には、とてもかなわぬ西洋軍艦と戦うため「捨て足軽」なる特攻隊が用意されていた。福岡藩では、総勢80人、めいめいが火薬を小樽に

 

詰めて肌身に着け、いざのときには火を付ける用意をして外国船に乗り込む、旧日本軍の特攻やイスラムの自爆とも共通するものだった>というのである。

 

 これは、両藩だけのことではなく、英国フェ-トン号事件の交渉役の「長崎の町年寄・高島茂紀」の場合も同じで、人質解放が拒否されたら自爆によって

 

船もろとも爆破する覚悟で80ポンドの爆薬を隠し持って臨んだと記録される。

 

 イスラムの場合もそうであるが、後に残されたものには十分な手当をするというのが大前提ではあるのだが、いずれにしても切ない話だ。

 

売れっ子の歴史研究家「磯田道史」の最新作に「天災から日本史を読み直す」

 

 

● 発車オーライ!

 

新宿発18:00の「ス-パ-あずさ」でのことである。ホ-ムの先端に立つ

 

青年の挙動ががなんとなく珍だ。それとなく観察していると、発車時刻には、折り畳み傘をマイクに見立てて、唇の動きは、「ス-パ-あずさ号は、新宿を

 

出ますと停車駅はア-、立川、八王子、甲府、茅野…大月、小淵沢には停まりませんン-。間もなく発車ア-。右よし、左よし、発車ア-」といっている。 鉄道マニアというか、鉄道オタクというか、わざわざ新宿まで来てアナウンス、好きで好きでたまらないのであろう。こちらも思わず、微笑んでしまった。

 

 大宮の鉄道博物館(テッパク)は大盛況だし、梅小路の機関区には、新たに

 

「京都鉄道博物館」が誕生するらしい。さぞ流行るだろう。鉄道は永遠なりイ。

 

 

 

 さて個人的なことだが、JR東日本の「ジパング倶楽部」に入って3割引きの恩恵を受けている。東海道新幹線の場合、「のぞみ」には適用がなく、「ひかり」だけだが、急ぐ旅でもなくこれで十分。「のぞみ」と「ひかり」の大きな違いは、

 

「ひかり」は、われらと同年代も多く、京都ではどっと降りるが、「のぞみ」の乗客は静かにパソコンを操作している。<ゆっくり旅><ビジネス>、これが大きな違いである。もうひとつ余談だが、「次の停車駅」の英語のアナウンス、東では「Next stop」、西では「Next station」と違っている。(H27.9.28記)

 

 

 

 

................................................................................................................................................................................................................................................................

等々力陣屋

「一揆の爪痕」は、江戸時代の末期、穂高の大庄家「等々力陣屋(とどりき)」を                                百姓一揆が襲ったときに長屋門の柱につけられたものだそうです。

 

風に吹かれて(H27年初秋号 : されど歴史は進みゆく)

 

 

 

大王わさび園の花火とともに夏も終わり、あづみ野の小中学校は新学期です。

 

日中でも室温が25℃を超えることはなく、朝晩は20℃以下と涼しくなりました。

 

この季節、自分の歳と同じだけ<戦後>が進むのですが、ことに「戦後70年」、胸はふさがり、様々のことを思い起こすこのごろです。歴史の進展と世の中の変化には抗しようもないのでしょうが、せめて<よりよい方向>へと応援することが歳を経た者たちの役割かとあらめて強く感じています。

 

 

●  高尾駅の銃痕と「湯の花トンネル列車銃撃事件」

 

 先月号で、高尾駅1~2番ホ-ムの鉄柱に残る「米軍艦載機の銃痕」の写真について触れたところ、地元に住む知人などから、当時の詳しい事情が分った。

 

 

 

高尾(浅川)には、大正天皇陵もあり、太平洋戦争末期には、国民の戦意を喪失させるためか、頻繁に米軍の空襲や銃撃があった。防空体制は貧弱であり、「我がもの顔」という状況だったらしい。浅川、八王子地域では、昭和20年

 

7月8日の銃撃に引き続き、8月2日には焼夷弾1000発の広域の空襲、加えて、5日に起こったのが西2km「湯の花トンネル」付近での列車銃撃事件である。

 

新宿発10:10の長野行き419列車は、満員の乗客を乗せて浅川駅に到着する。

 

すでに空襲警報が発せられていたが、列車交換などに手間取り、約1時間遅れ12:15の出発になって、艦載機の襲撃にぶつかる。艦載機P-51(ムスタング)4機の襲来を受けた運転士は、やむを得ず、湯ノ花トンネルへと逃げ込むのだが、8輌編成の列車は短いトンネルには隠れられず、西側出口で停車した機関車と

 

客車の計2輌以外の6輌は銃撃の前に丸裸でさらされる結果となる。52名死亡、133名が負傷という大惨事になった。軍人が乗車(19人)していたとはいえ、ほとんどが民間人の列車を銃撃するのは、戦争法規上も決して許されない。

 

一方、停車位置については、<虎の子の電気機関車を守るため、機関車は

 

走り抜けを選ばず、トンネルの先頭部手前で敢えて停車させた>との説もある。

 

 

 

 さて、「高尾駅1~2番ホ-ムの銃痕鉄柱」だが、これは、7月8日の艦載機に

 

よる浅川駅銃撃でホ-ムから跳ね返った銃弾の痕跡らしく、労働組合の要請もあって、敢えて塗装せずに残したものというのが真相らしい。

 

(7/31の日経では、艦載機による民間人・施設への銃撃は各地であったらしい)

 

 

 

● 勝負用語の日常化

 

 近ごろ感じることに、碁や将棋あるいは博打に使われる用語が、時代の変遷とともに、一般化、日常化していくことが多くなった。

 

 「古典おもしろ語典」(金田一春彦ほか、大和出版)には、遊技に語源を持つ言葉として、持ち駒、成り金、高飛車、出たとこ勝負、はったり、切り札、

 

エ-ス、振り出し、序盤・中盤・終盤、先手・後手、終局、一目置く、布石、

 

捨て石、定石通りなどが挙げられている。

 

ただ、世の中の認知度のせいか、程度の高さからか、麻雀用語は登場しない。

 

 

 

 さて、7月20日の日経朝刊の記事を見てちょっと落ち着かない感じがした。

 

<・・・金融ミュ-ジアムが開設されるのは、三井住友銀行本店の対面で、22日

 

オ-プンの東館2階・・・>という文章があったからだ。対面は、たぶん麻雀用語

 

「トイメン」で、本来ならば、「真向かい」または「向かい側」と書くべきものだろう。

 

 記者が麻雀好きなのか、あるいは、この言葉が予想以上に一般化したのか、また、デスクやキャップのチェックがどうだったのかを知りたいところである。

 

 この調子では、やがて、「○○会社では、現社長の連荘(レンチャン)が決まったものの、スタッフの配牌(ハイパイ)に恵まれてるとはいえないので…」といった

 

記事を書く輩も出てくるのではなかろうか。

 

 

 

 古い話になるが、日米間で牛肉・オレンジ交渉をしていたときに、日本側の代表が、初日の交渉後の記者会見で「布石は打たれました」と語ったところ、

 

「どのような布陣で、どの地を狙うのですか?」との質問があって、その代表は、

 

「こちらの最初の主張をしたということです」と答え、両者かみ合わなかったことを思い出した。記者には囲碁の知識があり、代表にはなかったのだろう。

 

<言葉は大事だ>と野坂昭如がいったが、そのとおりで、十分わかった上で効果的に使わなければならないと思う。

 

 

 

● 演繹論的 「ご都合主義」

 

ここが日本人の最大の欠点である。元共産党ナンバ-4の「筆坂秀世」の

 

最近作では、「はず」が「である」に転じ、さらに「都合の悪い事実はなかったことにする」プロセスが、ある学者の理論を引用した形で指摘されている。

 

 日本共産党にとどまらず、日本国中のあらゆる組織に共通する、弱点、欠点であろう。<机上演習でも都合が悪い結果が出れば「敵弾は命中せず、当方の

 

大砲は全弾命中」「アメリカ国民は腰抜けだから、一発初戦を叩けば戦意喪失」

 

「経済力の差は精神力でカバ-できる」>などとして、戦争を始めてしまった。

 

その精神、思考構造はいまでも変わらない。“もって瞑すべし”であろう。

 

 

 

●  英語になった日本語

 

大学の同窓会報に藤原保明筑波大名誉教授の公開講座(H27.6.20)からの

 

要約が掲載されていたが、興味深いので、その「サワリ」をピックアップした。

 

 オックスフォ-ド英語辞典に登場する<英語になった日本語>は、600年で177語、例えば、「ハラキリ」「ゲイシャ」「ツナミ」などは相当古いようだ。

 

食べものでは、「sake」(酒)、「soy」(醤油)は1680~90年代に登場し、「miso」(味噌)は1720年代だそうだから、予想以上に古くから日本語が英語としても使われている。これらの語数はいまもなお増加しつつあるらしく、最も新しい

 

ものとしては、「ヒキコモリ」「カワイイ」「ケイタイ」が挙げられていた。

 

 

 

さて、最近10年の新規参入を食品、料理の分野に限って見ると、「ベントウ」

 

「カイセキ」「タタキ」「トロ」などがあり、とくに傑作なのは、「ワギュー」と

 

「ウ・マ-・ミ-」である。和食文化がかなりの国際化を見せている証左であろう。

 

ちなみに、「スシ」は1890年代、「スキヤキ」と「テンプラ」は1920年代、

 

「シャブシャブ」は1960~85年代に登載と解説されていた。 (H27.8.25記)

 

 

 

................................................................................................................................................................................................................................................................

写真は、高尾駅の1~2番ホーム鉄柱に残る米軍艦載機の銃撃の痕跡です。知人の話では、昭和20年7月8日のことだったそうです。

................................................................................................................................................................................................................................................................

風に吹かれて(平成27年盛夏 : 近ごろちょっと落ち着かない)

 

 

 

 長かった梅雨も明け、学校も夏休みに入りました。当方でも、これからはしばらくあづみ野暮らしで、用事のあるときのみ上京することにいたします。

 

 

● 善光寺御開帳の経済効果

 

7月3日の発表では、過去最大の707万人が訪れ、その経済効果は、総額で1,137億円に達したそうである。主たるものは、宿泊268億円、土産物226億円、飲食費202億円などであるが、最大の貢献者は、グッド・タイミングで開業をした「北陸新幹線」であることはいうまでもない。

 

 

現実にも軽井沢などは銀座並みの混雑で、東西からの客がホ-ムにもアウトレットにもあふれ返っている。また、新幹線E7系列車では、グラン・クラス→グリ-ン→普通車の順に座席が埋まるというから、古都「金沢」と結ばれた交通網の影響力の大きさをあらためて痛感する。

 

 

 

● 地震とエレベ-タ-

 

去る5月28日夜、小笠原諸島を震源とする大きな地震が発生し、日本各地が広範囲にわたって揺れた。東京23区も震度4とかなりのものだった。たまたま自宅マンションのエレベ-タ-内にいたので、「これは閉じこめられたか」とヒヤリだったが、緊急の表示が「ドアが開いたら外に出よ」と点灯し、運よく直近の1階で脱出できた。閉所恐怖症気味の身には、間一髪の思いである。

 

当時、首都圏では約2万基のエレベ-タ-が止まり、しばし閉じこめられた人々もいたそうで、本格的な直下型大地震のときにはどうなることかと非常に心配だ。エレベ-タ-・システムの改修が急がれる。

 

 

 

それにつけても思い出すのは、「東日本大震災」ときのこと、日本橋の職場にいたのだが、ホ-ルにあった高さ2mぐらいの置時計が、地震の揺れで室内をゴロゴロと動き回り、いつガラスが割れるかと気が気ではなかった。そこで、柱に手を回し、もう一方の腕では置時計を抱いて揺れの収まるのを待っていた。

 

日本橋川では、小さなさざ波が上流へと遡上する「ポロロッカ現象」、これはたぶん津波の余波であったのだろう。

 

 

 

● ギリシャの「デフォルト危機」はなお続く?

 

ユ-ロ圏およびEUからの離脱は、とりあえず避けられた。長い海岸線を持つギリシャは、EUにとって地政学的には相当な意味を持つものであるから、その点をギリシャ政府も十分に読んでいたと見え、したたかな交渉ぶりである。

 

ある新聞を読んでいたら、ドイツでは、「貸したものは返せ」 が大多数で、ギリシャでは、「貸した方にも責任がある」という声が多いそうである。かつて、こういう論理も聞いたことがある。「返せるくらいなら借りるものか」 と。もっとも、ドイツは、2009年には、「どうも怪しいぞ」と感づいていたらしく、ギリシャはギリシャで、EU加盟時の統計トリック、その後の<粉飾決算報告>を、国家挙げて行ってきた経緯があるのだから、どちらもどちらであろう。

 

 

なお、ドイツ国内でも、経済、金融の中心地フランクフルトには、「まあ、ギリシャにはずいぶん儲けさせてもらったし、そこそこの取扱いにしてもいいのではないか」という意見もあるようだから、政と経とは別物なのか。

 

 

 

さて、第四帝国化したドイツ(*)は、子分格のフランスを伴って、事態を建前と本音、面子と実質をうまく使い分けながら収拾に当たった。「国家資産(国営企業資産)の売却民営化」という東独統合時の手法が再び使われるとは思いもつかなかった。しかし、ギリシャのことだ、「ハイ、よく分かりました。しかし、そのとおりにはできませんでしたよ」が待っているのかもしれない。

 

どう事態を克服するのか興味は尽きない。

 

それにしても、最近は、「有事の円買い」だそうで、世界一の借金大国への海外からの信頼度がこれほど高いとは、実に不思議な<買い被り?>である。

 

*<「ドイツ帝国」が世界を破滅させる>(E・トッド:文春新書)に詳しい。

 

 

 

 EU側が<ユ-ロ>の供給を止めた場合のことを考えてみた。まず、代わりの通貨が必要になってくる。ギリシャ旧通貨「ドラクマ」の印刷機は、加盟時に壊しているので、さらに、通貨の代理となるものが必要になる。

 

日本では、かつて、域内流通に限定した<藩札>があり、松本清張で有名な<西郷札>や陸海軍が用いた<軍票>、さらには、通貨不足下の満州で、商人たちが発行する<県流通券=買物券>もあった。高インフレにはなるだろうが、踏み切れば、また、腹をくくってしまえば、交換手段には事欠くまい。

 

 ギリシャの主要産業は、観光とオリ-ブ輸出、新通貨の対ユ-ロ価値下落は、その振興上プラスだと、そこまで見通しているとすれば、これまた凄腕だ。

 

 

 

● 「集団安保国会」では、冷静、客観的議論を!

 

衆議院から参議院へと論戦の舞台は移るが、視野広く、長く、日本の将来をじっくり考えて、地に足のついた冷静、沈着な議論を願いたいものである。

 

これまでの100時間を超える国会での議論を見ても、質疑応答がかみ合っているとは到底思えない。なぜそうなのか。国会に招かれた3人の憲法学者が「違憲立法」で揃踏みしたところに遡る。野党は、その時点で「完全に思考停止」してしまい、その先の「では、複雑化する国際社会で日本の安全保障をどうするのか」の議論に進まない、的確な答弁を引き出せていない。つまり、<鬼の首を取った状態>だ。また、場外では、いまにも徴兵制が敷かれ戦争が始まるような<感情的パフォ-マンス>に傾斜しているのは寂しい限りである。

 

 

<時代の変化と集団的自衛権>についての憲法と国内法、国際法の整合性に議論を進めていってほしい。とくに説明が足らないのは、国連憲章との関係である。日本国憲法98条には、「国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と定められている。他方、国連憲章では、「個別的、集団的自衛権は固有の権利」とされているのだから、憲法を守る者は国連憲章も守らなければならない論理になるのだから、そこをもっと議論してほしいと痛切に感じる。

 

「現代とは、発展し続ける歴史の一過程である」という。(P・スイ-ジ-)日本の将来に向け、真正面から議論し、結論を出すときである。                             (H27.7.23記)

 

 

 

................................................................................................................................................................................................................................................................

風に吹かれて(H27年7月号 : あづみ野スイート)

 

あづみ野の「麦秋」は、梅雨と競争です。大麦はしっかり実ってはいますが、雨雲が低く重く垂れ込めて、刈取りには慎重なタイミングが必要です。しかし、ときには、雲が途切れて陽が射し、常念岳が見える日もあります。そんなときには、車で山の高みを目指したり、展望の効くカフェ-のデッキへ繰り出して、コ-ヒ-を飲みながら、遠くの景色を楽しむことにしています。

 

朝夕には、カッコウの声も聞こえ始めて、水田の稲はだいぶ成長し、周囲は、青々としたよい眺めになりました。

 

 

 

● 新宿中村屋

 

 あづみ野と「パン」といえば、相馬愛藏・黒光(良)夫妻の「新宿中村屋」が有名である。愛藏は、穂高町(現「安曇野市穂高」)の出身で、1901年(明治34年)に本郷でパン屋を買い取って開業、その後の1904年に新宿に移転して、今日に至っている。中村屋をベ-スとした芸術家、革命家たちの広範な交流・支援関係は有名だが、これには妻の黒光の力も預かっていたといわれている。ちなみに、この経緯は、臼井吉見の大作「安曇野」に詳しく書かれている。

 

 なお、あの懐かしい「クリ-ム・パン」は、この店の発明とのことである。

 

 

 

● あづみ野スイ-ト

 

 わが家の近く(穂高矢原)に、中村屋に劣らない美味しいパンとコ-ヒ-の店がある。西側のデッキにはテ-ブルが並べられて、常念山脈を眺めながら、そこで購入したパンやスイ-ツをフリ-のコ-ヒ-とともに堪能できる。

 

  名前は「あづみ野スイ-ト」であるが、壁のプレ-トでその由来を見ると、<創始者は穂高人

 

 「渡邊宗七郎」で、1913年、修業の末シアトルで開業してその店の名を「開運スヰ-ト」という。

 

  1924年(大正13年)には松本に開店、2年前のあづみ野での開店は、ふるさとに100年ぶりの悲願

 

 であった>とある。

 

  愛藏・黒光に遅れること約10年ではあるが、あづみ野穂高はハイカラなのだ。

 

 

 

● 知る人ぞ知る曲?

 

「あづみ野スイ-ト」でのこぼれ話。ある梅雨の合間、デッキのテ-ブルで早い昼食をとっていた。この店では、いつも、小さな音でBGMが流れている。主にデキシ-やスタンダ-ドだが、このときは、男性にとって甘くセクシ-で懐かしい、かつての浅草や日劇を思い起こさせる曲が聞こえてきた。

 

 すると、隣席の3歳くらいの女の子が食事を中断、曲に合わせて踊り出した。側にいたお母さん

 

の顔色が変わり、「人前で踊るんじゃありません!」と一喝。

 

  お母さんが、その曲の持つ<一般的イメ-ジ>を心得ていて叱ったのかどうか保証の限りではな

 

 いが、こちらは、ついニヤッとしてしまった。

 

 

 

● 信濃大町と齋藤茂吉

 

 大町市の古民家を改造した料理店「わちがい」は、店頭に湧く名水「男清水」、「女清水」でもよく知られているが、歌人「斎藤茂吉」の書も自慢である。

 

  <山深き木崎の湖(うみ)に住むものの いのち長きを我は喜ぶ 茂吉>であろうか。

 

  相当にクセがある字だが、味もある。(木崎湖、中綱湖、青木湖で仁科三湖))

 

 

 

  この日の「わちがい」でのメニュ-には、地元の山菜や信州サ-モンのほか、はるばる日本海か

 

 ら旅をしてきた<塩イカ>や<エゴノリ>を用いた料理で、まこと、千國街道の拠点にふさわしい

 

 ものであった。

 

 

 

● 貸し自転車、往きて戻らず

 

 大糸線の穂高駅前では、貸し自転車屋がとても流行っている。大王ワサビ園、早春賦の丘、碌山

 

美術館、穂高神社など観光スポットが半径10km以内に集中しているから大繁盛なのだ。また、最

 

近では、「電動アシスト付き」も好評で、熟年のご婦人方が農道に列をなして走り回っているよう

 

な状況である。1時間で幾らという料金設定であるし、一通り観光が終われば再び列車に乗るのだ

 

から貸し自転車がいつまでも戻らないということはない。

 

 

 一方、高崎では、「高チャリ号」なる貸し自転車を駅前などに150台設置、100円のファンド料金で住民に便利さを提供している。夜10時までに返すとのル-ルだが、実際には10台程度しか戻らない。その回収の手間は大変らしい。

 

 東京では、三鷹駅を利用するサラリ-マンと杏林大学生が、朝晩と日中とで貸し自転車をシェア

 

ーする実験事業が始まるようだが、ぜひ成功をと願いたい。

 

  それにしても、日本人のマナ-、常識も地に落ちたものだ。石原慎太郎なら、さしずめ「これも

 

 我欲のなせる業」と一蹴されそうである。

 

 

 

● 「近ごろの若い者は・・・」 に <4000年の歴史>あり?

 

 6/1の産経新聞コラム「鈍機翁」に、柳田国男のエッセイが引用されていた。

 

 <4000年も前のエジプト中期王朝の遺跡に記されたこととして、このごろの若い者は、才知にまかせて軽佻の風を悦び、古人の質実剛健なる流儀を、ないがしろにする・・・これと全然同じ事を四千年後の先輩もまだ言っている>というのである。

 

 

 

4000年後の老人、すなわち我々も同様、また、この後も言い続けるのだろう。いつの世も「若者がいて、老人がいて」この繰り返しである。

 

 

 

● フランスの食物廃棄量

 

 これは聞いた話であるが、フランスの食物廃棄は700万トン(家庭分?)に及ぶという。人口一人当たり20~30kgに相当するが、家庭からの廃棄は7割といわれるから、総廃棄量では1000万トン。なお、未然防止のために、最近、法律が制定され、寄付、飼料、肥料への利用などが義務づけられたらしい。

 

 

企業や家庭での「安全面では問題ないが廃棄せざるを得ない食品」は、フ-ド・バンクを通じて福 祉施設などに提供すればいいし(セカンド・ハ-ベスト)、外食で最も効果的なのは「持ち帰り」、<ドッギ-・バッグ>の推奨である。

 

ちなみに、日本では、家庭から1000万トン、事業者から800万トンの合計で1800万トン(一説では1940万トン、一人150kg)が廃棄されるとといわれ、WFPの世界援助総量の470万トンを遙かに上回る。

 

                                 (H27.6.29 記)

................................................................................................................................................................................................................................................................

風に吹かれて(H27年6月号:あづみ野の初夏)

 

よい季節になりました。「善光寺ご開帳」も5月いっぱいで終了、700万もの善男善女が、前立本尊と結ばれた回向柱に触れるため全国から集まったといいますから驚きです。「北陸新幹線効果」でしょう。7年に一度のご開帳ですから、つぎは、われらが喜寿のときに当たります。ぜひ元気で参拝したいものです。

 

 

 

さて、あづみ野では、5月16、17日の土日が田植えのピ-クでした。どの家でも、一家総出で大わらわの様子です。そして、夜は、水が張られた田んぼにカエルの声が賑やかで、真夜中まで続きます。その一方、5月20日には、沖縄石垣島で稲刈りが始まったとも報じられます。いま当地は花々のオンパレ-ド、ツツジ、ボタン、シャクナゲ、テッセンと日替わり状態で、まもなく、バラ、カキ、アジサイ、ヤマユリにも花が咲くでしょう。遠くの山々に目をやれば、山脈の雪形も、常念岳の<呑み助坊主>から左隣の<万能鍬>のフォ-ク形に移り、蝶が岳の<蝶々>もくっきり。稜線近くのお花畑が思い出されます。

 

 

 

● あずさ2号

 

 ラジオ深夜便「懐かしの和製ポップス」を聴いていたら、「狩人」(デユオ)の「あずさ2号」が流れてきた。昭和52年のこの曲では、<信濃路を目指し・・・8時ちょうどのあずさ2号で、私はあなたから旅立ちます>となっている。だが、待てよ、偶数の特急番号は東京への上り列車ではないのか?と戸惑いを感じた。

 

 さすが「ウイキペデイア」である。答えは明確、昭和53年のダイヤ大改正で、それまでの<上下それぞれの通し番号制>が<下り=奇数、上り=偶数>に変わったという。

 

ちなみに、現在の「新宿発8時のあずさ号」は、<ス-パ-あずさ5号>で松本止まり、かつてのように大糸線に入って北上し南小谷へとはいかない。

 

 

● 100歳アイドル

 

 先月号で、93歳のマスタ-ズ・スイ-マ-を紹介したが、上には上がいる。5月初めに立ち読みした「ダイヤモンド」誌によれば、茨城の「筑波カントリ-」には、100歳の女性プレ-ヤ-がいて、いまでも、年間100ラウンド回るそうである。つまり、3日に1度はやってきて、100ヤ-ドをまっすぐに飛ばして、ときにはバ-デイ-もとる。48歳でゴルフを始めて半世紀、いまでも電車で通うそうだ。その女性の名は「北村正子さん」<100歳アイドル>と呼ばれている。

 

 

 わが先輩のなかにも、80歳、90歳でゴルフをする人たちがいるが、日頃は、ここが痛い、あそこが悪いといいながら、ゴルフをしたいがために、せっせとプ-ルに通い、嬉々としてゴルフ場にやってこられる。そういう先輩を捕まえて、「末永くプレ-してくださいよ。先輩がゴルフを止めたその日から、こちらはまだ10年以上プレ-できる計算になるのですから」と軽口をいうこの頃である。

 

 

● ロシア、中国、韓国のことなど

 

プ-チン大統領が「手動タイプライタ-」を復活 ハッカ-、サイバ-・テロがなかなか防げない国際情勢のなかで、ロシアのプ-チン大統領は、一見先祖返りの秘密防衛策に出たらしい。超「重要情報」は「手動タイプライタ-でやれ」というのである。なるほどこれなら空中を飛ばない。さすがはKGB出身であるが、ちょっとした盲点でもある。

 

 そのうち、手書きに行き着くかもしれない。悪筆の人はどうするのだろう。

 

かつての英会話教室で、“His hand-writing is awful”というフレ-ズが例示されてたことを思い出した。

 

 

太平洋を2大国で アメリカのケリ-国務長官が中国を訪れて周近平国家主席と会談した際に、周主席は、「太平洋には中国、米国という2つの大国の利益を受け入れる余地がある」と伝えた。NHKは持論といい、産経はかねての主張と報じたが、<本気の本音>が正しいだろう。

 

 

日本風のもの? テレビのインタビュ-で中国人観光客が旅行の目的を問われ、「おいしいものが食べたい。例えば、ラ-メンなど日本風のものを」と答えていたが、喜んでいいのか悪いのか複雑な気持ちだ。

 

 

 

どんなに謝っても納得しない? アメリカの元駐日大使「シ-ファ-」が、米議会での安倍総理演説や戦後70年談話に触れて、「中韓両国は日本がどんなに謝罪しても納得しないだろう。しかし、他のアジア諸国はいま日本に対する態度を明らかに変え、納得した」といっていた。バンドン会議、中国周辺諸国訪問、太平洋諸国訪問、TPP交渉、いずれも戦略的には優れているとの評価に近い。

 

 天皇陛下のパラオ訪問も、結果的に大事なポイントになっているように思う。

 

 

 

● 進化する「義肢装具」

 

4月上旬、新潟医療福祉大の医療技術学部・義肢装具自立支援学科を訪れた。この分野では日本でもベスト3に入るトップレベルの実務教育の現場である。

 

 

 

 いまや義肢装具は格段の進歩を遂げ、身体に優しく高い機能を実現しているのだが、初めて知って驚いたのは、スポ-ツ用の義足。パラリンピックなどで、たとえば100mを11秒台で走れる義足は車両のバネのように装具は、たわむが、決して柔らかくはない。また、小さな子どもができるだけ自由度を持って使える義肢、工夫もされてかわいらしいが、涙が出てくる。

 

 装具製造・調整の工房は、各種のヤスリで本体を削るため騒音と粉塵防止のため強力な集塵機が備えられていた。そういえば、アメリカの穀物サイロでは、30~40年前までは、ときとして粉塵爆発が起きていた。

 

 

 

 そして、進化著しいのは、コンピュ-タによる三次元映像解析である。床に設置された6~8枚の踏板と多くの角度から歩行の様子を撮影する沢山のカメラ、これらをコンピュ-タに取り込んで健常人の歩行の動きにより近くなれる義肢、装具を開発する。学部の3年生を指導する大学院生の穏やかな表情もよかった。

 

 アラブやアフリカで戦禍に巻き込まれた人々にも希望を与えることができる義肢、装具作りは、日本人の「モノづくり」にふさわしい。                (H27.5.29 記)

................................................................................................................................................................................................................................................................

風に吹かれて(H27年5月号:鮮やかな緑のなかで)

 

西山の雪形(常念坊主、蝶々)がはっきりして、村では代掻きが始まります。鯉幟りも翻って、これからのあづみ野は百花繚乱、本格的な観光シ-ズンです。その一方、標高1000mの穂高ビュ-ホテルやゴルフ場付近では、いまようやく春が訪れたところ。芽吹きのカラマツと青空を背景に、サクラが真っ盛りです。

 

 

 

● 議会質問 「売ります」 「買います」

 

 4月の初め、「産経新聞」に、<議会での質問をアドバイスする議員向けの有料サ-ビスが登場>と報道された。その年会費は定例会4回分で97,200円、論評は、「号泣の県会議員(兵庫の野村議員)に見られるように、このところの地方議員の資質・レベルの低下を物語るものだ」と締めくくっている。

 

一方、サ-ビス会社のダイレクトメ-ルの見出しは、<らくらく質問会員><そのまま質問文お届け>と軽い調子で、まったくあきれた世の中になった。

 

念のためであるが、国政レベルでも、与党質問を官庁側が手助けし、野党の場合には、国会の衆参両院に設置されている「調査室」が資料集めをしたり、ときには、政策コンサル会社が「質問のサポ-ト」を請負うケ-スがあったが、これほど、「商売ベ-スでの堂々たる丸投げ」は珍しい。政務調査費は返還だ。

 

 

 

話は変わって霞ヶ関での経験である。食管制度下で生産者米価決定が華やかなりしころ、米価を審議する「米価審議会」と「自民党農林部会」への対応として、食糧庁の担当では、質問に備えて、あらかじめ、1000問近くのあらゆる想定問答を作成していた。

 

笑い話になるが、その中には、①米価を上げる理由、②米価を据え置く理由、③米価を下げる理由と、いかなる決定になろうとも説明ができるように、全くベクトルが異なる想定質問項目が含まれていて、これらを積み上げると1000問近くになる。当然、答弁も作るのだから、ストレスがたまることこの上ない。

 

 

 

 さて、最近発売された浜矩子さんの「もうエコノミストに騙されないために」(毎日新聞社)には、著名な経済学者でケンブリッジ大学の「「ジョ-ン・V・ロビンソン教授」の言葉が引用されている。

 

“Any damn fool can answer a question. The important thing is to ask one.”

 

(どんなバカでも質問に答えることができる。重要なのは、質問を発することである)がそれだが、ナルホド、産経の記事と照らし合わせても納得である。

 

 

 

● 「なか・いま」を一所懸命に生きる

 

石清水八幡宮の「田中宮司」の言葉である。

 

現在とは、それ単独で存在するのではなく、過去や未来と連続している。

 

過去から未来への中間に位置する現在を懸命に生きることで、過去に感謝し、未来に貢献できる。そのことで、人としての存在価値があり、救われる。紀元860年に奈良の仏教寺院によって創建されたこの八幡宮(神社)は、その精神をもって、いまも、「神仏習合の信仰の場」として続いている。

 

この考え方は、平家物語に登場する因果経(小原御幸)の“欲知過去因-見其現在果、欲知未来果-見其現在因“とも共通する伝統的「真理」であろう。

 

それにしても、<廃仏毀釈>とは、一体なんだったんだろうか。

 

 

 

● 全力疾走600m

 

以下は、大宮にある「鉄道博物館」で聞いた話である。

 

運行中の列車が停止するためには600mの距離が必要であるという。また、車掌には、「列車の事故への対応任務」が課されている。従って、その昔には、脱線や人身事故が生じた場合に、車掌は、発煙筒を持って線路上を600mも全力疾走し、後続列車にブレ-キを掛けさせる地点まで達して発煙筒を焚く。この距離感は身体で覚えねばならず、車掌としての必須要件だったそうである。

 

 日ごろは、夜の貨物列車の車掌は、「ただ寝ているだけ」が仕事と皮肉られていたようであるが、いざ事故が起きたら大変だった。1人乗務に代わったが、かつてはそうでなく、大きな責任を担わされていたのである。もう50年以上も前のことであるが、乗り合わせた東武東上線の列車が

 

もちろん、いまでは、ATSや無線があって、貨物列車などは運転士のみの人身事故を起こして急停車した。その直後、線路沿いを前方へと全力疾走する車掌の姿が目撃される。そのときの引きつった顔が忘れられない。

 

 

● こぼれ話、あれこれ

 

小学校の統合 文部科学省の小学校統合への考え方が変わり、児童数の少ないところは積極的に統合させるらしい。山の小学校の児童数が基準を下回る場合、通学時間が1時間以内であれば山の小学校は廃止し、町に統合する。

 

このことと関連して、平岡豊さんが興味深い主張をしている。山の小学校の校舎や校庭は残しつつ、山の子どもに週5日の毎日1時間を通学させるのではなく、逆に、町の子どもにも週の何日か山に通学させて、そこの暮らしを体験させる、これが真の教育だというのである。

 

明治の学制が功を奏し、教育の一般化が進んだのは、地元の人々が、敷地を寄付し、山から木を切って校舎を建てたからだ。効率だけを考えてはいけない。

 

 

100歳のスウィ-マ- 4月の「日本マスタ-ズ」で、100歳の長岡三重子さんが女子1500m自由形を完泳し、いずれは世界記録に認定されるそうだ。背泳での記録だというが、お見事!といわざるを得ない。

 

思い出すのは、高1のクラス対抗戦。1500m自由形の出場者がなく、あわや棄権のとき、Hくんが名乗りを上げ、初めクロ-ルで、やがて平泳ぎで完泳した。

 

 

 

中国の国防予算 国際平和研究所の推定では、米国のトップは変わらないが、伸び率はマイナスへ、第2位の中国は、10年間で170%増加の約2200億ドル(26兆円)、やや不思議なのは、第3位のロシアが約850億ドル(10兆円)で、差が大きい。ル-ブル価値の50%下落によるものであり、実質的には、中国と同等かと思われる。また、ロシアは、核装備の充実で攻撃・防衛能力を確保し、時代遅れの通常兵器は他国に売却(中国には航空母艦)といったところか。

 

なお、日本は、インド、ドイツを下回る第9位だそうだが、ドル建ての表示、装備内容の違いなど、この実力比較も案外あてにはならない。           (H27.4.28記)

................................................................................................................................................................................................................................................................

風に吹かれて(H27年4月号 : 近ごろ思うこと)

 

 

 

 花と山岳展望の季節になりました。「あずさ号」に乗れば、4、5月は、残雪を頂く遠くの山々を背景に、モモ、サクラ、ナシ、リンゴなど花々を愛でながら、松本までの3時間は、あっという間に過ぎていきます。

 

 

 

あづみ野で真っ先に春を告げるのはワサビの花です。温かい風が吹いた3月17日、最高気温も21度まで上って、大王わさび園でにワサビの白い花が一斉に咲き出したと知らせも来ました。当地でのサクラの開花は4月中旬です。まだまだ時間はかかりますが、それでも、春は着実に進んでいます。

 

 

 

 3月14日に北陸新幹線が金沢まで延伸されましたが、このあおりを食って、大糸線のうち、南小谷―糸魚川間が風前の灯です。ここはJR西日本の管轄で、災害に弱いことから、バス輸送に振り替えるのではともささやかれています。

 

かつては花形であった中央本線にも影響があり、本数、時間、乗り心地ともに劣るため、年々利用客が減っています。中央本線は、長らく日本経済を支えた生糸の輸出のための輸送路として、名古屋から八王子まで完成したのが1912年(明治44年)のこと、横浜港へのショ-トカットは八王子から横浜線でした。

 

 

 

そして、生糸輸送の分岐点、八王子からの道は、こうした事情から、「日本のシルクロード」と呼ばれることがあります。そこで、八王子の異称は「桑都」といいます。よく似た「桑港」は、サン・フランシスコの漢字名で、耳で聞く音の「ソーホー・シスコ」の「ソー」+「港」が語源だといわれます。

 

 

 

 

● Five ones(毎日5つの1を!)

 

 3月のある会合での話題に、充実した“健康寿命”を過ごすには「5つの1」を、毎日、心がけるとよいとの指摘があった。すなわち、

 

① 10,000歩を歩く、②1,000字の文章を書く(原稿用紙2.5枚分)、③100回の腹式呼吸をする、

 

④10人の人と話をする、そして、⑤1回は大笑いをする

 

どうであろうか、その気になれば、さほど難しくはなさそうだが・・・。

 

 

 

● 唐土のうわさ諸々

 

長らく中国と商取引をしたり、教えてきた人たちからの話を集めた。ただし、真偽のほどは保証の

 

限りではない。

 

 

 

 領収書屋:上海には、お客の注文に応じて、あらゆる言語、あらゆる形式での領収書を作ってくれる(偽造してくれる)店が白昼堂々と営業しているそうで、現地の日本企業でもよく利用していたらしい。

 

 

 

 税務署と還付金:外国人、企業にとって、過剰徴収された税金の還付は死活問題である。ただし、請求する場合、還付条件に適合し数字が合っていても、なかなか応じてもらえないことが多いという。だが、還付額の1割相当を担当官に事前納付?するとスム-ズに行くらしい。日本風にいえば「呼び水」か。

 

 

 

 軍隊経営:国軍と銘打ってはいるが、重要な武器以外の必要経費は自賄いが原則であるという。その結果、かがわしいホテルまで経営し、資金確保に努力する。

 

地方に割拠した軍閥は、いまも変わらない。兵を養うとは大変なことだ。

 

 

 

 資金の海外逃避:74兆円が毎年海外へ流出している。日本の国家予算の半分にもなる膨大な数字だ。その多くは、将来の失脚に備えた共産党幹部の対応策で、資金源は汚職を通じた金らしく、預金残高いかんで永住を認める国への対応だ。

 

 

 

 軍への信頼喪失:あの天安門事件で、なぜ学生たちがあれほど頑張ったのか、それは、いずれ広東軍は味方し、助けてくれると信じていたからであるという。ところが、その広東軍が弾圧に回った。以来、国民は、国軍を信じなくなった。

 

 

 

 学生デモ:中国の学生デモが大規模になるのはなぜか。それは、学生管理のためみな大学構内に寮を設け宿泊させているから、そして、全ての学生の携帯電話番号(+パソコン・アドレス)が当局に掌握されているからである。

 

 

 

 公職にある者の汚職5万人:これは、ダントツの世界一、どれほど大きな人数か想像もできない。そのとき、長嶋一茂いわく、「東京ド-ムは満員だ」こういうところは、父親の茂雄さんそっくり、飛んでる発想にはビックリだ。

 

 

 

 そんな地図の1枚や2枚:日本外務省が「中国の20世紀の公式地図に尖閣諸島の記述がある」としてHPに掲載したところ、中国からは、表題のような発表がなされた。日本側は1枚しか指摘していないが、多分、複数存在するのだろう。

 

追加コメントとして、「そうでない地図は100枚でも1000枚でも(作る?)」らしいから、屁理屈もここまで来ると、開き直っていてまた笑ってしまう。

 

 

 

 余談になるが、水産庁勤務のころ、ソウルで、北方4島がロシア領となっている地図が複数販売されていたことがある。韓国政府への抗議を外務省経由で頼んだのだが、外務省のアクションが鈍かったことを思い出す。

 

 

 

 ● 人間は足元から (日本農業新聞のコラム 3/15)

 

羽田空港の靴磨き職人から聞いた話として、

 

<私が靴磨きを始めてからもう45年ですが、最近の若い娘は足元を気にしなくなったね。顔はあんなに気にするのに。足元見られるっていうけど、よくまあだらしない靴で接客出来ると思うよ。部屋も見てみたいね> ナルホド・・・

 

 

 

 ● フライング

 

3月24日の小さな報道である。

 

奈良県立橿原考古学研究所は、先の発表で「秋津遺跡出土の玄米は弥生時代のもの」との結果を「同位体炭素での分析により1955年以降の混入」と訂正した。

 

なぜ、分析・検証してから発表しなかったのか、不思議だ。       (H27.3.30記)

................................................................................................................................................................................................................................................................

風に吹かれて(平成27年3月号 : 三寒四温でだんだんに)

 

 

 

● つかの間の春

 

春の歌は数多くあるが、とりわけ、その名のとおり、「春の唄」がよい。

 

“ラララ 赤い花束 車に積んで 春が来た来た 丘から町へ

 

 すみれ買いましょ あの花売の かわい瞳に 春の夢“

 

・・・ 以下、村から町へ 朝の買物 あの新妻の

 

      森から町へ 姉と妹の あの小鳥屋の

 

       町から町へ ビルの窓々 みな開かれて と続く。

 

(作詞:喜志邦三、作曲:内田元、唄:月山光子)

 

 

 

これは、昭和12年(1937年)3月、NHK大阪放送局(JOBK)の「国民歌謡」で放送された。当初はJOBKが企画し、後にJOAK(東京放送局)も加わった「国民歌謡」は、この時期(‘36年4月~37年3月)、<誰でも朗らかに歌える歌>を放送していた。ほかにも、「心のふるさと」、「朝」、「倻の実」、「ふるさとのむかしの仲間」などがある。(ソプラノ歌手:藍川由美さんのCDから)

 

 なぜ、この時期に、このように明るい歌が流されたのであろうか。

 

 

 

1931年の満州事変から’45年の太平洋戦争の敗戦までを<戦争が連続した>「15年戦争」ととらえる向きもあるが、満州国建国(‘34年)からの3年間、’37年7月の「盧溝橋事件」までの時期は、大規模な戦闘もなく、日中間には、つかの間の平穏があった。著名人たちも、こぞって年頭所感に、(いまのように)「戦争がない1年でありますように」という言葉を残している。

 

歌の世界、流行歌でも、淡谷のり子がタンゴのリズムに乗せて「ポエマ」を<涙ぐみ 君がみ名を呼ぶのよ>と歌い(‘35年)、また、いまも歌われている「雨に咲く花」もこの年に発表された。軟弱ともいえるの風潮である。(なお、この曲は、’38年、検閲によって、歌詞と名称が改変させられることになった)

 

 

「陸海軍大臣現役制」や「日独伊防共協定」など最悪の政策を実行して、暗い道筋を招いた広田弘毅内閣の後継となる「林銑十郎内閣」は、わずか4ヶ月であったが、<平和交渉>を模索して、国民の間には一瞬の安堵があったという。‘37年2月の文化勲章制定、3月の株取引最高数、4月の衆院選で「無産政党」当選者過去最大、6月のラジオ契約数300万などが社会の空気を示している。

 

 

 

やがて、7月7日には「盧溝橋事件」が勃発し、「国民政府を相手にせず」と外交政策で最大の愚策を実行する「近衛文麿内閣」に至って、状況は一変する。

 

国民歌謡も、盧溝橋事件を経た10月には、あの「海ゆかば」となり、続いて、「露営の歌」、「愛国行進曲」へ、戦火の拡大に連れて戦意高揚、戦時一色に染まっていく。「愛国行進曲」の歌詞募集には、57,578編の応募があったという。

 

 

まさに、「歌は世につれ、世は歌につれ」とはよくいったものであるが、このつかの間の春がもたらした名曲は、いまでも引き継がれ歌われているのである。

 

 

 

● 他人のそら似?

 

2月のある朝5時前のこと、ウトウトしながらNHKラジオを聞いていると、とても懐かしい曲が流れてきた。解説では、ナナ・ムスク-リの「プレジ-ル・ダム-ル」(愛の喜び)という。それが懐かしかった理由は、イントロ部分がプレスリ-の“Can’t Help Falling in Love”ソックリだったからである。

 

 他にもソックリ同士がある。山の歌「いつかある日」は、モ-ツアルトの“クラリネット協奏曲”に、「知床旅情」は、“春は名のみ”によく似ている。

 

 

そして、3月スタ-トの北陸新幹線「金沢駅」の発着のメロデイは、どこかで聞いたような和風の曲で、琴の調べが続くような印象を与実務目的の範囲内の作曲らしいのだ。える。古都の「金沢」らしく、かつ、年寄りの苦手な高周波と雑踏に紛れる低周波帯は避けるという実務目的の範囲内の作曲らしいのだ。

 

 

● 80歳エベレスト登頂とその秘密

 

ある勉強会でのスピ-チがとても面白かったので、個人的なつまみ食いにはなるが紹介したい。ちなみに、講師は、あの三浦雄一郎氏のご子息「三浦豪太氏」(医学博士、プロスキ-ヤ-)である。

 

 エベレストの高所では空気が平地の1/3で、滞在するだけでも体力を失なう。

 

従って、一般の登頂では、8000m付近から日帰りアタックをし、体力の低下と集中力の喪失を回避する。とくに下山のとき、多くの登山家が命を失っている。

 

 80歳の雄一郎は、筋肉量、背筋力、脚筋パワ-こそ人並外れた強さを持っているが、70歳以降に心房細動(不整脈)手術を4回受けるなど持久力(有酸素運動)はダメであった。そこで考えられたのが、「年寄りは半日仕事作戦」である。

 

 

つまり、BCから8000mのサウスコルまで5日間かける。頂上のアタックも8000m→8300m(泊)、8300m→頂上往復で8300m(泊)→8000m(泊)→下山というゆっくり登山になるが、酸素が超希薄のデス・ゾ-ンでの長時間滞在になり、遭難のリスクも大きい。それへの対応策として、医療、輸送、補給など強力・万全のサポ-ト体制を組むことにした。とくに、体調面では、定期的に数値を測定して、BCの山岳医の判断、助言を求めた。システムの成果である。

 

 

 

現実には、8000m付近で極度の疲労に達し、危険な宿泊の追加になるのかと思われたが、振り返れば、雄一郎は、赤飯、カップヌ-ドル、高カロリ-食をムシャムシャ。休憩の後、無事に下山できた。登山では、いかなるときにでも、「食う、出す、眠る」ができないと「デス・ゾ-ン」からは切り抜けられない。

 

 

 

 80歳のエベレスト挑戦を医師に打診して「禁止」といわれたときに、「では、賛成してくれる医者を捜そう」が反応だったそうだから、つくづく、楽観主義、好奇心旺盛、常に将来目標の見上げた人物といわなければならない。日ごろの鍛錬はいうまでもない。そして締めくくりは、「今回の80歳エベレスト登頂は、希望の軌跡、高齢化社会の指標、そして、人類の可能性をもたらした」 であった。

 

                                    (H27.3.3 記)

................................................................................................................................................................................................................................................................

風に吹かれて(H27年2月号:寒夜のたはごと)

 

 もうすぐ立春なのに寒さが続きます。それでも旧正月(2月20日)に向かい、気温も日差しも少しづつ戻ってくる気配です。各地からは、フキノトウの便り、ツバキやウメの開花も伝えられるようになりました。あづみ野でも、まだまだ遠くの山々は雪景色ですが、目の前の有明山(有明富士)には霞がかかって、春の近いことを表現しています。さて、このところ、何となくだが、「月齢」を基礎にした旧暦の方が生活実感に合う感じがしてきました。確かに、曽我兄弟2人の仇討は28日の闇夜ですし、赤穂浪士の吉良邸への討入りは14日、満月が近い夜でした。旧暦を意識しながら、スロ-・ライフを楽しみたいと考えます。

 

 

● 「日本マクドナルド」の不祥事

 

次々と大きなニュ-スが飛び込んで、それ以前の報道は忘れ去られてしまう。

 

あの大逆風にさらされた「日本マクドナルド」にとってはよかったのかどうか。それにしても、マスコミは無責任なものである。大事なことは、<原因究明→再発防止>へのフォロ-であるはずが、うまく通り抜けたような感じである。

 

 

ふたたび「日本マクドナルド」に戻れば、「対応に誠意がない」ということで、バッシングになっているのだが、食品安全問題でのネタ切れだった社会部には、「血祭りに上げろ」とのやり方に近いものがなかったかやや気になるところだ。

 

そもそも、10万件に1回くらいの割合で、異物混入はあり得ることであって、リスク・ゼロは無いものねだりだ。しかし、やはり、対応はお粗末に過ぎる。

 

 マスコミは、社長が自ら会見しないことをとやかくいうが、マクドナルドにしてみれば「リスクを測った結果、社長はいない方がよい」となったのだろう。

 

 「中国産の腐った肉の混入」で「私たちも被害者だ」と発言した社長が会見に臨めば傷を深くする、よって、コンプライアンス担当役員と顧問弁護士とで「社長はいない方がいい、傷は浅い」と判断したのだろう。つまり、社長は、海外出張で物理的に出られないのではなく、<幸い、出張中だし、出られても出ない方がいい><出張していたのではなく、出張させられていた>と考える。

 

 これは、真の意味でのコンプライアンス対応策ではなく、会社経営上の「危機対応」の優先というテクニカルなものだったのだろう。波静かになったのだから、いよいよ、しっかり、今後の対応策を考えて欲しい。

 

 

● アナグマ先生の南方従軍記

 

戦前から戦後にかけて、長く母校北園の教師を務めた「川上弘見先生」の遺作「アナグマ先生の南方従軍記」を読み返しての感想である。

 

 つくづく軍隊は多様な人の集まり、兵隊さんたちの総合商社のようなものと思う。農業経験者が多いなか、収容所での生活向上のために、乏しい食べ物のうちから栽培できそうな植物の種子を採取、持参する。娯楽のために、将棋、囲碁、花札などを自作する。なかには麻雀まで作り上げた例もあるらしい。

 

 

ドイツの兵隊は捕虜になると寿命が縮むが、日本人は、すぐに、生き延びること、やること、楽しむことを見つけて、ストレスを発散し、永らえる。

 

 高齢化世代のわれわれの学ぶことは、現役引退後も家庭にじっとしていてはいけない。以前にも書いたが、「きょう・よう」と「きょう・いく」、つまり、「きょう、用事をつくり」、「きょう、行くところを見つける」のだ。これで、連合いにも嫌われず、健康寿命にもよいというものである。

 

 

● 暴走老人とフィットネスクラブ

 

1月8日のテレビ・ニュ-スである。あるフィットネスクラブのロッカ-で、78歳の男性会員が71歳の会員と乱闘になり、相手の耳を食いちぎったという。

 

 身体はよいとして心の方も同時に鍛えて欲しいものだ。肉体ばかりだと、そのうち起こるのは、女性の取りあいでのケンカか、暴走老人では様にならない。

 

 

 

経済産業省の’14年調査では、フィットネスクラブの会員は、60歳以上が30%を超えるらしい。健康寿命が長くなっているなかで、もう10年もすれば、65歳以上が50%を超えるだろう。そのとき、都会は、立派な「限界集落」だ。

 

 

● “僕が64のとき”

 

NHKのラジオ深夜便を聞いていたら、明け方の対談で、アンカ-が、「それでは年齢にちなんで、<ビ-トルズの“僕が64のとき”をお送りします>と紹介していた。「ビ-トルズに昔を回顧する曲があったかなあ?」と思ったら、とんだ感違いで、原作を確かめると、1967年に、30年後の自分たちを想像して作った曲だった。自らも70歳、古希を迎えるようになり、とかく過去のことを考えがちだが、若く、将来の夢を思う気持ちがうらやましくなってしまった。

 

 ちなみに、英語の曲名は、“When I’m sixty-four”リフレインの部分は、“Will you still need me,will you still feed me,When I’m sixty-four?”である。(ジョン・レノン&ポ-ル・マッカ-トニ-)

 

 

 これを、あとから考えるに、フォスタ-の名曲「マギ-若き日の歌を」に引っ張られていたのかも知れない。

 

“Let us sing of the days that are gone,Maggie, when you and I were young”

 

 

 

● 中国の経済成長率

 

 1月20日(火)、中国国家統計局より、2014年の経済成長率の発表があった。

 

目標の7.5%をわずかに下回る実績7.4%の数字である。さらに、統計局長は、「2015年は、目標を達成できるよう努力する」と述べている。このことは、「2014年の数字は、随分と加工・修正努力したが、0.1%及ばなかった。2015年には、あらゆる技術を行使して数字のつじつまを合わせるよう頑張ります」といっているように思える。

 

 

 

政府発表の7%台の成長数値に対し、これは真実ではなく、実質経済成長率は、電力の消費成長率の4%台が正しいとする意見があるが、これは納得できる。

 

 成長を続けてきた中国経済だが、そろそろ減速・失速が近いのではないか。これは、日本を含めたどこの国にも避けられないプロセスで、質やストックを重視する方向に舵を切り替えるときが来ている。                                 (H27.2.2記)

................................................................................................................................................................................................................................................................

風に吹かれて(平成27年1月号 : 往く年来る年)

 

 

 

明けましておめでとうございます。本年も引き続きのご愛読をよろしくお願いいたします。

 

 

さて、12月の総選挙の結果は、「形の上では」 自公連立政権に圧倒的な支持を与えることになりました。野党第一党である民主党は、選挙の終盤戦に至って、「自公政権に2/3以上をとらせてはいけない」などとPRし、負け方を気にしているようでは先が知れていました。<常在戦場>の心構えのない政党に未来はありません。この1年、政界再編の動きは必至であろうと考えます。

 

 

 

この際、総理には、大勝に慢心することなく、根本に立ち返ってマックス・ウエ-バ-の「職業としての政治」に登場する「三原則」のように、自己を磨き、行動して欲しいのです。つまり、<「政治」とは、国家の指導、その指導に影響を与えようとする行為である。・・・政治的人間の必須要素とは、①情熱(仕事、課題への情熱的献身)、②判断力=目測能力(事物と人間に対して距離を置いて見る能力)、③責任感(結果への責任を痛切に感じる行動)>なのです。

 

 

(注)安倍総理のスピ-チを聴いていると、ライタ-が小手先の軽いノリで過去の名言を引用している気がします。「この道しかない」などは、サッチャ-首相の“<TINA>=There is no alternative”のコピ-でしょうか。

 

 

 

● あづみ野の冬支度

 

(1) 鐘の鳴る丘 : 11月末のこと、雨のなかを「12時の鐘」を待っていたが時間になっても鳴らない。

 

近くにいた足立ナンバ-の乗用車は、12:05には引き上げてしまった。「こちらもそろそろ引上げか

 

なあ」と思っていたところ、12:07には、“みっどり-の、おっかの-、あっかい--やね-”と始

 

まった。地元の人に聞いたら、ただの「タイマ-の遅れなのでは」と素っ気ない。

 

 雨が上がって、有明山が見えてきた。山の頂上部分が白い。

 

 

 

(2) そばの食べ比べ: 12月の初め、信濃大町で「新たな工夫をした蕎麦」の試食会(食べ比べ)に参加する機会があった。

 

① 本年産の新そば、②雪室に丸1年寝かせ熟成させた前年産のそば、③新たに開発された「翡翠そ

 

ば」の三種である。①は新しい香り、②は落ち着いた香り+コシ、③はグリ-ンの色つやに特徴が感

 

じられた。

 

 まあ、当たってよかった。とくに、②の「雪室熟成そば」は、来年の6~8月、端境期のころが楽し

 

みだ。

 

 

(3) 御菜(おな) : 12月10日、お隣のHさんの畑で、この地域としては最後の「野沢菜」の収穫と「御菜洗い」が始まった。1軒で50kgも漬け込むらしい。

 

そういえば、野沢地方では、温泉のお湯で洗っていたように思う。

 

 

 

● 職業人の誇り

 

後立山連峰が真っ白、12月の豪雪で、裏側の黒部ダムもきっと雪景色だろう。

 

この際、黒部の高熱隧道と破砕帯を貫く黒部の二つのトンネルについての思い出を書いておきたい。

 

まず、昭和63年ごろのことである。富山県での建設関係者との懇談会の席上、名刺を添えて自己紹介された方から、「俺たちは笹島組、トンネル屋です」という言葉が出た。どうやら、映画「黒部の太陽」で、裕次郎や慎吾さんが演じたモデルらしい会社であろう。

 

 

つぎに平成9年ごろのことだが、「高熱隧道」を「黒四ダム」に抜けたとき、祖父と孫のカップルと座席が近くなって、それとなく聞いていると、こちらは「佐藤工業」のOB、お孫さんに向かって、「この辺のトンネルはお爺ちゃんたちが掘った」といっている。「ものづくり」=仕事に対する誇りが満ちあふれていた。

 

 

 

翻って、農業の世界では、「厳しい、子どもにはとても継がせられない」という人が多いが、農政当事者がこうした台詞を発するのは、いわば予算を取るための方便であり、<子は親の背中を見て育つ>、弱音を吐いてはいけない。

 

 

● 安曇野の「コイカツ」

 

もう一つ小話を追加したい。昨年の初夏のことである。庭の草むしりをしていると、玄関先に人の声がするので、出てみると、「私は、○○郵便局長をしていたXXと申しますが、いま<仲人活動>をしています。お宅に未婚のお子様はいらっしゃいませんか?40歳ぐらいまでならOKなのですが・・・」

 

 

 

 お節介なおじさん、おばさんのお蔭であろうか、安曇野市(10万人)では、2人以上の子どもを持つ若夫婦を多く見かける。近くのパン屋兼カフェでは、昼時などは、パンがおいしいしコ-ヒ-無料でおかわり自由ときているから、常念山脈の眺めが美しい店先のベンチには子どもが鈴なりだ。

 

 

 ちなみに、そのころ、あちこちに「コイカツ」(恋活動?)のパンフが公然と置かれてあって、その内容は、<5月25日(日)、「大王わさび農場」で男女各20名まで、茶話会や川下りを行います。詳しくは・・・>であった。

 

 成果のほどはどうか知らないが、NPOがこうした仲介をするのもいい。

 

 

 

● 和食文化は旨味から

 

一般的に、味覚の5感は、①塩味、②甘味、③酸味、④苦味であるが、和食文化の普及に伴って、⑤「旨味」がクロ-ズアップされている。昨年末に見たテレビ番組(大使の食卓)では、アメリカ100人のシェフの1人が、「この5年、アメリカでは、旨味が普及、重要視されてきている」と語っていた。

 

 

 

このことと関連するが、昨年夏に訪れた京都市の“京の食文化ミュ-ジアム「食あじわい館」”には、深い感銘を受けた。日常食のおかず(おばんざい)、行事食、儀礼食の食文化の紹介、京野菜、京料理(有職、本膳、精進、懐石料理)の展示と並び、小学生から大学生までの料理教室の開催なども行われ、これらには、筋の通った一定の哲学があったからである。

 

 

 そこで、とくに感心したのは、和食、京料理の基礎としての「旨味」を実感してもらう工夫だった。カツオ、コンブ、煮干し、シイタケ、化学調味料などポットにはいくつかの「だし汁」が入れられており、小さなコップに注いで味を実感できる。聞くところでは、小学生でもその風味の違いを当てることができて、好きな味を覚えていくというから素晴らしい「食育」である。

 

 

ユネスコの世界遺産として登録されたのは「和食文化」、その基本中の基本が「旨味」であろう。いまや、英語でも「ウ-、マ-、ミ-」と定着している。京都市の努力と誇りに心から敬意を表したい。

 

 

● 中国産食材は基本的に使用いたしません

 

「食」に触れたので、もののついでに、「食材」の話もしよう。

 

東郷坂を下り靖国通りに面した中華料理店で見た掲示である。その店の名を「上海ブギ」とい

 

う。東京と近郊に8つのチェ-ン店を持ち、市ヶ谷店は全席85で結構流行っている。掲示は、続けて「中国産食材は、国産の1/3のコストだが、安心・安全のため国産を使っている。中国も日本を見習って、安心して使えるような農業になって欲しい」であった。ああ事態は底まできているか。

 

 

 かつて、ニンニク、ショウガが安値で輸入され、国産を脅かした時期があり、その際、「幾らまでなら国産を選択するか?」とのアンケ-トをとったことがあるが、答は「3割高までなら」であった。しかし、その後も<毒野菜>などが問題となり、現在の国産品の相場は、ニンニクで3~4倍、ワカメ(大連産)で2倍になっている。「上海ブギ」が国産は3倍というのも根拠のない話ではない。

 

 <日暮れてなお道は遠し、100年河清を待つ>が実感である。

 

 

 

● 「100均の店」は戦前から

 

井上寿一さんの最近作に「戦前の昭和」がある。現代社会の風潮を戦前の昭和時代に写して、共通点を描いている。

 

そのなかでとても面白いと思ったことの一つに、「どんな商品でも均一の価格で提供」という仕組みが、戦前すでに導入されていたことがある。

 

 

三越に次いで日本橋に開店した高島屋は、「違った持ち味を」目指して、<10銭、20銭均一の売場>と<イベント・コ-ナ->を設けた(大阪 ’26年、東京 ‘29年)また、店舗もチェ-ン展開で、’32年(昭7)には51店舗で同様の商売を展開した。他の百貨店からクレ-ムにより、ついに自粛に至る。

 

 

まさに、今日の「ダイソ-」の戦前版、現代商法と思われていた「100均」はこれが原点であったのだ。                              (H27.1.5 記)

................................................................................................................................................................................................................................................................

風に吹かれて(H26年12月号:あづみ野に冬の到来)

 

 

 

 12月14日に総選挙とは、歳末と重なって、せわしないことです。安倍内閣のやり方に不満で「解散して民意を問え!」と迫るのは野党のはずなのですが、油断があり、不意を突かれて「先手を取られ解散」となってしまいました。

 

いずれにしても、今回は、安倍さんの「中間テスト」で、消費税は3党合意の範囲内ですから、アベノミクスといっても、集団的自衛権、原発再稼働なども含めた政策全体のパッケ-ジの是非が争点なのかもしれません。

 

 

 

 さて、当地では、常念山脈が白くなり、山麓は木々の葉が落ちて黒々としてきました。ただひたすらに寒く、気温は、朝晩が氷点下、日中でも5℃を下回るような日が続きます。来春に備え、庭木の枝を思い切り刈り込み、水道は外の不凍栓を閉め、蛇口は開放して、これで店仕舞い、寒さに弱いイチジクには、大量の稲わらで冬囲いをしました。これからは、月に一度、風通しと見回りに戻るだけになります。そして、2月のような大雪がないようにと祈るばかりです。

 

 

もう一つのお水取り

 

奈良は「東大寺二月堂」のお水取りがよく知られている。春まだ浅い時期に行われ、芭蕉の句 <水とりや 氷の(籠もり)の僧の沓の音> でも有名だ。

 

一方、あづみ野にも、同じ名前を持つ行事がある。季節は秋深いころだが、市内を流れる高瀬川、穂高川、犀川の合流地点で「お水取りの儀」が行われ、翌日は、上高地の穂高神社奥宮での神事の後に、源流部である明神池へ船から

 

翌日は、上高地の穂高神社奥宮での神事の後に、源流部である明神池へ船から「お水返しの儀」を行う。本年は、10月19日、20日であった。さすがは安曇族、「海人」の末裔と名乗るだけあって、水への思い入れは深い。

 

 

クマ避けの鈴

 

本年は、大町や安曇野など中部信州にも多数のクマが出没していると書いた。

 

そのため、町のホ-ムセンタ-などでは、店先に大量のクマ避けグッズが陳列されている。豊科「カインズ」、穂高「デ-ツ-」では、鈴2つとホイッスルをセットにした商品が1000円で売られ人気もある。事態はそれほど深刻なのだ。

 

 

 

 ちなみに、標高1000mの「穂高ビュ-ホテル」では、谷川沿いの散策路に出かけるお客のため「鈴つきの杖」を貸し出している。われわれ夫婦も借りて歩いたが、途中で出会ったのは、栗の実を落とす猿だった。

 

 

 

私服の県立高校ふたたび

 

信濃毎日によれば、県立高校で制服がないのは、83校中41校であるようだ。

 

また、制服が指定されているのは36校、「式典用の標準服」をもつのは6校という。つまり、制服と私服の比率はほぼ半々である。

 

そして、この記事のポイントは、「近年、卒業の際に振袖、袴が多くなって、保護者の負担が大変だ、賃料に5万円もかけていいのだろうか」であった。

 

確かに、わが母校の北園でも、本年3月の卒業式、女子の2/3、100人ほどが振袖に袴の姿だったから、総費用は多額に上っただろう。では、どうすればよいのか、的確な処方箋はまだ見つからない。

 

 

 

雪室熟成そば、冷凍そば

 

新そばの季節になった。もりの最初のひと手繰りを「つゆなし」で食べると特有の香りが醸し出され、幸せな気分に浸れる。

 

 

 一方、夏場でも新そば並みの味と香りをと大変な苦労、工夫がなされている。

 

白馬山麓では、雪を積み上げて室をつくり、玄そばを寝かせて、熟成させるエコなやり方が本年ようやく軌道に乗った。また、安曇野では、「松本大学」と組んで、マグロの冷凍庫(-60℃)にそば粉を保存、風味を保って夏場に出す。

 

 いずれもすばらしい工夫だが、なかには、「変わらない、何で100円高いのか」というお客、「香りがいい」と喜んで3杯食べた方もいて、人は様々のようだ。

 

 

 

地鎮祭は宗教行事にあらず

 

紀尾井町の閑静なところに長らく放置されていた土地があるのたが、そこにいよいよ建物が建つ。バングラデイッシュの大使館兼レジデンスらしい。

 

 施工業者は「松本建設」と旗が揚って、11月7日は地鎮祭。様子を見た人によれば、その日は、紅白の幔幕がめぐらされたところ、2人の神官がタクシ-で到着されたという。おそらく、行事は粛々と進んだのだろう。

 

 

 

宗教上の問題はないのかとも思っていたが、これは、どうやら杞憂であった。

 

日ごろはとかく無信心な日本人、とくにマスコミが、公式参拝とか私的とか、政経分離などと靖国のことになると騒がしいのがアホらしく見えてくる。

 

 

 

ユリカモメの先遣隊

 

 毎年、冬が近づくと、東京湾や隅田川にいたユリカモメが、千鳥ヶ淵などに移動してくる。今年も11月9日に、市ヶ谷の堀で2~3羽を見かけた。最初は何故か偵察の少数部隊、しばらくすると20~30羽の軍団に増える。こうなると,さしものカラスもお手上げで、片隅に引き下がって静かにしている。

 

 この日はゴルフで浅草から出かけたが、隅田川には多数の本隊が残っていた。

 

 

 

 動物のテリトリ-や棲分けはハッキリしていて、あづみ野でもトンビの領域には、カラスやスズメは決して近づかない。自然界はうまくできている。

 

 

電話はゆっくり大きな声でお願い

 

 歳をとると相手の言葉が聞き取りにくく、とくに携帯電話でその傾向が強い。

 

 

 

先日も、若いころならあり得ない「珍問答」をしてしまった。「いまどこ?」「信州(シンシュウ)なんだけど」「ええっ、スイス?」…「いやいや、安曇野(アヅミノ)ですよ」「よく聞き取れない、アフリカ?」…「長野ですよ」ともいい直そうと思ったが、これだと「名古屋(ナゴヤ)?」と聞き返されそうで止めてしまい、会話はフリ-ズ。実に情けない次第であった。

 

                                  (H26.11.27記)

................................................................................................................................................................................................................................................................

風に吹かれて(H26年11月号:ちょっと小耳に ― その2)

 

 

 

大きな傷跡を残した台風が過ぎ去り、全国各地から秋の便りが続々とやってきます。10月は、東京とあづみ野を3往復、お蔭で、沿線の秋景色を堪能することができました。善光寺平には、特産のリンゴ、シナノ・ゴ-ルドの黄色い実がたわわに下がり、あづみ野から遠望する白馬連峰には新雪が輝いています。また、常念山脈は山麓が色づき始め、夜明けの朝霧が晩秋の好天を告げます。

 

困ったことに、今年は山の木の実が不作(マイマイ蛾の影響)、冬眠前のクマが市街地にも出没し、大町マラソンでは、1900個ものクマ避けの鈴を配りました。

 

 

 

それにしても、産経ソウル支局長の起訴は、憤りを通り越し、「情けない」の一語です。韓国の「民主体制」がエセであると世界中に知れわたりました。輪をかけだらしないのが韓国のマスコミです。「明日はわが身」になるでしょう。

 

 

 

● 松本市の公立高校には制服がない (一部再掲)

 

 信濃毎日の投書欄に、17歳の女子高校生が、つぎのように書いていた。

 

“松本市の公立高校には制服がない。昔はあったらしいが、先輩たちが自由を求めて運動した結果、現在に至っている。先輩たちの気持ちを大事にしたい”

 

 

 

投書では松本市と長野県が混在してわかりにくい部分もあるが、少なくとも、松本の高校では、わが母校「北園」と同様に制服のないことが分かる。当時のわが担任は、「制服なんぞはドイツ19世紀の遺物です」 と身も蓋もなかった。

 

 

● 柿の渋抜き

 

庭の渋柿を東京に持ち帰り、インタ-ネット検索の方法で渋抜きを試した。

 

“収穫した渋柿のヘタの部分をたっぷりの焼酎(35度)に2~3回浸す。その際、皮がシミにならないようにテイシュ-でそっと拭いておく。ビニ-ル袋の底に古てぬぐいを敷き、柿を並べ、その上にも古てぬぐいを乗せ吸湿させる。口をしっかり縛って密封する。ダンボ-ル箱などに入れて暗くし、20度ぐらいのところで 7~10日ほど熟成させる。途中、7日目に一度点検する“

 

 9月30日に仕込んで、10月8日に点検、まずまずの成功であった。

 

 

 

● 災害と地名

 

このところ、日本人の地名に対する鈍感さが気になっている。平成の市町村大合併でも、深く考えずに、類似の名称(伊豆が3ヶ所)や旧町村の頭文字をとって安直に繋いだものなど、地理、歴史も文化も壊しているケ-スが多い。

 

 

 

いま読み返している「地名に隠された東京津波」(谷川彰英:講談社+α新書)には、江戸・東京の危険地名、谷底地名が数多く登場している。たとえば、「日比谷」、<ヒビ>は海苔ヒビ、<ヤ>は谷ではなく低湿地で、谷津、谷戸が語源、家康江戸入府以前から存在する。ついで「溜池」、かつて、ここには幅が45m~200m、長さが1500m、ひょうたん型の池があり、江戸市民の水がめであったという。明治に入って、6本の橋を持つ川にし、その周辺を埋め立てた。「渋谷」「千駄ヶ谷」、いずれも谷底で、標高は7~10m、津波には弱いところだ。

 

 今回の台風でも、湛水して、自動車が立ち往生する光景が見られている。

 

 

 標高が低いにもかかわらず、不動産売買の都合上で、○○台、△△丘などと人目を引く名前を付けてはいけない。また、購入する方も、その土地がかつてどう呼ばれていたかを調べる必要がありそうだ。昔の名前は大切にしたい。

 

 ちなみに、酷い土砂災害にあった広島の「安佐南区八木地区」の旧地名は、産経抄によると「八木蛇落地悪谷」 (ヤギ・ジャラク・ジアシ)だとも報じられている。

 

 

 

● 「台北」の呼び方

 

9月30日夜のNHKラジオで、ニュ-スを読むアナウンサ-が「先ほどはタイホク(台北)をタイペイと誤ってお伝えしました。訂正します」といった。ちょっと不思議な気がするが、NHKは一般的に知れ渡っている「タイホク」を、民放は「タイペイ」を使うらしい。しかし、訂正するほどのことなのだろうか?

 

 

● 李香蘭の中国観

 

山口淑子(李香蘭)が亡くなった。湯浅博さんがエッセイにこう書いている。

 

彼女は、中国人しか入学が許されない北京の高等女学校に入るため、便宜的に父の友人である中国人の養女になった。興味深いのは、(中国人の)養母から「あなたはすぐにお辞儀する」と叱られ、他方、休暇で実家に帰れば、実母からは「お辞儀もしないで生意気になったね」とたしなめられたそうである。

 

 そして、「一衣帯水なんてウソですね」 という。いまもその関係は全く同じだ。

 

 

● 出世魚

 

 成長につれて呼び名が変わるブリは出世魚の代表といわれる。ちなみに、関東では、ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリの4段階で、ハマチは「養殖ブリ」、汚名を着せられ、出世街道には存在しない。

 

 一方、本家の北陸では、6つの発展段階があり、ハマチもブリになる2つ前で、本流の名称である。<ツバイソ→コズクラ→フクラギ→ハマチ→ガンド→ブリ>ブリへの思入れは尋常ではなく、さすがは「鰤文化圏」といわざるを得ない。

 

 さて、ずいぶん昔のことになるが、中川昭一農林水産大臣に、冗談めかして、「アユも出世魚です。アユ(愛)→コイ(恋)→キス(kiss)→ニシン(妊娠)→タイ(めでタイ)です」といったところ、ひとしきりに笑って、北海道らしく、「じゃあ、子持コンブも加えてよ」と切り返されたことを思い出す。

 

 

● 「孔子平和賞」の行方

 

 中国の民主化活動家「劉暁波氏」のノ-ベル平和賞受賞決定(2011年)を受けて急きょ作られたこの賞は、本年も候補者選びに入っているそうである。

 

 名前が挙がっているのは、①鳩山由紀夫、②朴槿恵、③スノ-デン(元CIA)、④アサド(シリア)というから、これはブラックユ-モアか、孔子様もきっと嘆いていることだろう。

 

                                 (H26.10.28記)

................................................................................................................................................................................................................................................................

風に吹かれて(H26年10月号 : ちょっと小耳に・・・)

 

 

 

 稲刈りが終わり、お彼岸も過ぎて、あづみ野はすっかり秋らしくなりました。

 

遠くの山々も展望が効くようになり、シュウメイギク、ホトトギス、茶の花が咲き始めました。ソバの花も真っ盛りで、青空に映えます。秋のハイライトはなんといっても穂高神社の「お船祭」で、各地の末社の集大成、9月27日は、海人族にふさわしい「船形の山車」が、神楽殿前で激突と勇壮なものでした。今年の人形は、NHKドラマから、山崎の合戦、黒田官兵衛、高松城水攻めです。秋の虫の音も賑やかになってきて、常念岳に雪が来る日も近いことでしょう。(27日の御嶽山の噴火・遭難で、当地は大変、信濃毎日は号外を出しました)

 

 

 

さて、来年4~5月は善光寺の御開帳です。松代町の中村神社境内にあった樹齢220年の大杉(30m)が、23日に伐採され、準備の態勢に入ったそうです。300年もの間、松代藩が奉納するしきたりで、本堂前に立てられる高さ10m、40cm角の回向柱に加工されると報じれらました。来年の参拝が楽しみです。

 

 

● 北佐久郡にも江戸下町方言が

 

佐久市を含む北佐久郡一帯には、発音上で、「ひ」と「し」の混同が見られるそうである。具体的な語例には、髭→シゲ、紐→シボ、百姓→シャクショウ、ヒュ-ズ→シュ-ズなどがある。<ひ・し混同>は、遠く離れた「江戸っ子」言葉の特徴としても知られ、古典落語にもしばしば現れる。(信濃毎日から)

 

 

 そういえば、松本清張の推理小説「砂の器」で、捜査当局が島根雲伯地方の方言にある「いわゆるズ-ズ-弁」を知らずに、「犯人は東北地方の出身だ」と決めつけて、はるか遠回りをするという設定があった。

 

 

 

● もう一つ信州の話題

 

 長野県の公立小中高校のうち88%の校歌の歌詞に「山」が登場するそうだ。

 

そのトップは「アルプス」(88校)、次いで「浅間山」(59校)、「八ヶ岳」(50校)、「駒ヶ岳」(50校)となるが、駒ケ岳は、甲斐駒と木曽駒のどちらの方が多いか、それは報じられていない。(松本平タウン情報から)

 

 

● 山形の芋煮

 

9月の連休中に開催される恒例の「山形市の大芋煮会」、特大の鍋に原材料を入れて、クレ-ンで撹拌するあの大イベントである。

 

ところで、このクレ-ンの潤滑油だが、やはり、食べ物ということで、食用植物油を使っているらしい。(9/5)

 

 

 

● ニッコウキスゲの復元

 

霧ケ峰高原でニッコウキスゲの種とりが始まった。シカの食害で無残な姿になった一帯を人間の手で蘇らせようというものである。

 

 一花に10粒の種、これを地元の小中学校に配り、苗を育ててもらい、高原に返すとの息の長い作業である。本年の採取数は3,700粒とか。確かに、車山の近辺では、植栽+電気柵+立入り禁止で、大分復元したようにも見える。(9/16)

 

 

 

● 誤報・ねつ造の朝日:定番の言い訳

 

① 「問題は、個別、具体にあるのではなく普遍的なところにある」

 

<軍による強制連行の有無>という事実が具体として問われているのに、<当人の意志に反していたことが・・・>として、すり替える。

 

② 「言論の多様性を重んじる朝日であるにも拘わらず、池上さんのコラムの朝日紙面への掲載を拒否したことは遺憾…」として、

 

<そもそも存在しない多様性>なる冠を勝手につけて本体への傷を遮断する。

 

③ 「現場記者の思い込み、編集のチェックの甘さ」として、上層部の責任を下にかぶせる。(各紙を読んで)

 

 

 

 さて、不祥事による危機が訪れたときには、<しゃちょう、げんかいでしょ>の5原則で対応すべきことが不可欠であるといわれている。すなわち、<謝>罪、徹底<調>査、<原>因究明、<改>善策、厳正<処>分、このパッケ-ジをすべて行うことを明確に意志表明し、小出しにしない、さあ、朝日はどうか?

 

 

 

● ベトナム人は政府を信用しない?

 

「ハリケ-ン・カトリ-ナ」により甚大な被害を受けたニュ-オルリンズのうち、ベトナム難民地区(クリスチャン・コミュニテイ)の復興は早かった。

 

 NHKテレビが、「東日本大震災・津波では、復興が遅れているが、何故だと思うか」と質問したところ、リ-ダ-(神父)が、「日本人は政府を信頼しているのではないか。ベトナム人は政府を信頼していません」と答えていたのが印象的だった。<自助→共助→公助>、信頼が「依存」になってはいけない。

 

 

● ソマリア三国志

 

<アフリカの角>といわれる旧ソマリア(~1991年)は、現在、「ソマリランド」(西)、「南ソマリア」、「プントランド」(北東)の3地域に分かれて、混乱の中に、それぞれの道を歩んでいる。

 

 なかでもユニ-クなのは、アデン湾の入口を扼して、海賊の根拠地でもある「プントランド」である。たいした産業もなく、国家収入は、どうやら、海外居住者からの送金と「海賊が身柄を拘束した船の乗組員の身代金」にある。

 

 欧米の政府は、<海賊との直接交渉はリスクが大きく、約束の完全履行のため「プントランド政府」の仲立ち>を求める。また、仲立料として、かなりのピンハネが行われるため、配分を巡ってよく揉めるそうだ。

 

瀬戸内の海賊と倭寇を足したような商売が、いまも現実に行われている。

 

 

 

 余談になるが、商船を護衛する外国軍・警察が捕らえた海賊は、船籍国に送られて裁判にかけられるが、本国よりずっと居心地のよい拘置所の生活に満足し、判決が下りても、<国へ帰ると処刑される>と称して亡命し、幸せな一生をその外国で送るらしい。日本にもいる4人の海賊の将来が気にかかる。

 

(「謎の独立国家・ソマリランド」高野秀行より)       (H26.9.29記)

 

................................................................................................................................................................................................................................................................

風に吹かれて(H26年9月号:夏の備忘録)

 

 

 

 あづみ野では、小中学校の新学期が、東京より10日ほど早く始まりました。朝晩の気温は20℃を下回り、稲穂も重くなってきて秋の気配が濃厚です。

 

この夏は、2つの台風や前線の影響で天候はやや不順、柿の枝が折れたり、また、珍しいことに、エアコンを入れるような暑い日もありました。

 

 

 

晴れた日は、涼しいうちに庭の雑草取りに精を出し、午後は、烏川緑地へと足を延ばして、木蔭の散歩や渓流に遊ぶ子供を眺めて楽しみ、自然に囲まれた快適な日々を過ごしています。

 

低地では、万水川(ヨロズイ)にカヌ-やラフトを浮かべ「わさび園」まで約4kmの川下りを楽しむ家族連れの姿も見られました。

 

そして、お盆の夜には、少し離れた湧水地に花火が揚がるのを、2階の窓から老夫婦二人で眺めていると、時間がなんだかゆっくり流れるような気がします。

 

 

 

 近くの若い農家の方と話をしているときに感じたのですが、最近、自然食、スロ-フ-ドが広がっているようです。その方は、無肥料、無農薬でトマトを栽培し、しかも連作OKだそうですから、旧来の常識を超えています。全国展開するネットの自然食店やソ-ス工場が欲しがるともいっておりました。

 

 

 

 さて、夏山シ-ズンもそろそろ終わりです。今年は、穂高神社の宮司さんが、奥宮の祠を、これまでの穂高岳山荘(2996m)から、3190mの奥穂高岳頂上へヘリで移動させたという話を聞きました。また、23、24日は、涸沢のカ-ルで、19回目の音楽祭が行われ、フィナ-レの曲は「穂高よさらば」だったそうです。

 

 

 

富士山の世界遺産登録

 

 8月11日のNHKテレビで、登山家の野口健さんがいいことをいっていた。富士山のUNESCO世界遺産登録は早過ぎたというのである。彼は、富士山の現状を見れば、一度は登録を却下されて、日本全体が「なぜ拒否されるのか、ゴミか、景観か、人が多すぎるのかなどを考え直し、それを自覚、修正して堂々と登録されれば真の意味での世界遺産になる」ともいう。入山料問題も高いか安いかではなく、何のために徴収するのかが伴わないと意味はない。

 

 UNESCOの登録には条件がついていて、それが実行されなければ登録取消しだというが、自覚がないまま時が経てばその可能性も高いだろう。今回の登録は決してゴ-ルではなく、スタ-トなのである。

 野口さんに関連して、思い出すのは、10年以上昔に橋本龍太郎さんをお訪ねした時のことである。事務所の応接室には、登山家、写真家の元総理らしく、ヒマラヤの山々やネパールの集落の自作の写真が何枚も飾られていた。それに加えて、ソファーのすぐそばに古い登山用の酸素ボンベが置かれていたので、「これは何でしょうか?」とお聞きしたところ、つぎの答えがかえってきた。「これは、野口君が持ってきてくれた。僕たちの登山隊がヒマラヤに放置してきたものだ。彼は、わざわざ持ち帰り、日本の登山隊はヒマラヤを汚しているといい、それを聞いて僕は一言もなかった。率直で、実行力のある青年だ」

 

 

 

 

富士には月見草がよく似合う

 

 ご存じ「太宰治」が御坂山付近で発した名セリフだが、裏話では、「なんだか風呂屋のペンキ絵みたいだ」といったとも伝えられている。そして、このとき、宿泊していた「天下茶屋」であの山梨の名物料理をふるまわれて、「うまいな、これはなんという料理なのか?」と尋ねたらしい。

 

 店の者が「ホウトウです」と答えたところ、実に嫌な顔をしたそうだ。女や薬に浸っていた生活振り=放蕩を連想したらしい。(文教堂書店での立ち読み)

 

「お父さん犬」が脱税

 

 ソフトバンクのCMで有名な「お父さん犬」など、タレント動物を貸し出している会社(プロダクション)が1億円の脱税により4000万円の重加算税を徴収されたとか。

 

 でも、コマ-シャルの方は止めないでほしい。むしろ、これを逆手にとって、「おい、息子!税金はちゃんと申告しなくちゃダメだぞ。ワン!」といきたい。

 

 

犬は人を見る

 

 あづみ野の自宅近くのT家に「ポチ」という犬が飼われている。相当な歳だ。その家のお母さんは足が悪いので、仲良しのH家のお母さんが散歩に付き合い、Tさんは歩行補助車で犬の傍をゆっくり歩く。そのような状況なので、犬の方も、かなりいい加減な、好き勝手なダラダラ散歩である。

 

 ところが、ある日、驚いた。農道の向こうから、眼光鋭く、尻尾もきりりと巻いて、緊張の面持ちの凛々しい犬が中年の男性(T家の若主人)に引かれて足取り爽やかにやってくる。

 

 家内と私は、「なんだかどこかで見た犬だねえ」と話し、「あっ、ポチだ」と気づいた。誰がその家の主人か、犬はハッキリ認識している。お聞きすれば、お母さんがデイケアで出かけていたために、散歩の役をご主人が代わったのだ。それにしても、極端な変身ぶり、ナルホド、「犬は人を見る」

 

 

人生もう一つの大仕事

 

 隠居後に(とはいっても50歳)天文学を習得し、日本沿岸全土を徒歩で測量、正確な日本地図を作った「伊能忠敬」(73歳没)、さらには、源平の戦乱で焼け落ちた東大寺の南大門の再建のため、60歳を過ぎてから全国の勧進を行なってこれを実現させた鎌倉時代の「重源禅師」、いずれも、第一の仕事をやり遂げたその後に、もう一つの大仕事を成した人々である。

 

 

 先ごろのマスコミで、シベリア抑留者の名簿を一人でコツコツと採集して、46,300人分を整理した「村山常雄さん」の貴重な資料が、大阪経済法科大学(港区のサテライト?)に寄贈、保管、公開されることが報じられていた。

 

 始めたのが71歳のとき、亡くなられたのが88歳、名簿づくりに込められた思い、歴史を消されてたまるかという気持ちが風化されないでよかった。

 

57万人が抑留され、不法、不当に重労働を強制されて、1割もの方々が故国を思いながら亡くなられた。8月9日を、また、終戦の日を迎えて、ソ連の残虐な行為を決して忘れてはならないと強く思った。      (H26.8.29 記)

................................................................................................................................................................................................................................................................

風に吹かれて(H26.8月号 ① つゆ雨明けも近い)

 

 

 

 

 

 常念山脈を包み、低く垂れ込めた雨雲の下で、庭木の剪定や雑草取りに精を出していると、思わぬ発見をすることもある。

 

いま真っ盛りのマリ-ゴ-ルドの花の中に、なぜか「ミニトマト」が伸びて実がつき始めた。これは、ハトかトンビのプレゼント(糞)であろう。また、2月の大雪に痛めつけられたイチジクを移し替えたところ、葉の下でカエルが雨宿り、雑草に隠れていたホトトギスの群落は、昨年よりぐっと広がり、この秋が楽しみだ。そして、隣には、ホウズキが5本も出て、青い実をつけている。そして、桑の木の枝を払えば、懐かしい、黒く小さなクワの実も見つかった。

 

7月の安曇野は、降ったり晴れたり、20日過ぎのつゆ明けが待ち遠しい。

 

 

 

 

 

フィッシング・メールふたたび

 

 例のフィッシング・メ-ルが、性懲りもなく再開されている。6月18日の昼ごろのこと、パソコンのメ-ルボックスを開くと、「りそな銀行」を騙った配信がある。その手口は、前回の「三菱東京UFJ銀行」と同様で、いくつかのクリック・プロセスを経てネット・バンキングの「暗証番号」などを引き出させようとするものだった。

 

 

 

しかし、おそらく、今回は、これに引っかかるケ-スはゼロだろうと思う。

 

なぜなら、見出しが「そな銀行の本人認証サ-ビス」、ついで、「そな銀行」の「安全性が更新されたため」「アカウントが凍結?休眠されないように」などと、銀行名も日本語の文章もまったくの間違い、あるいは理解不能だからである。

 

 

 

 

 

2匹目のドジョウ狙いなのだろうが、拙劣きわまりない。また、ごく最近は、「三井住友銀行+案内文なし+アカウント・クリック」 のみのインチキ・メ-ルも入り出した。このところ、とみに中国人の悪業が目立ち、実に腹立たしい。

 

 

 

 

 

クリミアの稲作

 

 ウクライナ・ロシアの紛争は、クリミア農業にも影響を及ぼしている。6月23日付の読売新聞は、「ウクライナが4月にクリミアへの農業用水供給を止めたため稲作がストップ。北部イシュニ村の米作農家ワジムさんは<トウモロコシ栽培を始めたが、収入は減る>と話した」と伝えている。

 

 

 

 

 

 ウクライナで稲作とは、うかつにも初耳であった。エジプトなど中東の一部、イタリア、スペインなど南欧ぐらいまでの稲作は知っていたが、クリミアの名前は思い浮かばない。そこで、モスクワ駐在農務官の経験者に聞いてみると、クリミア全体で、年間約6万トン(新潟県の1/10相当)、単収はもみベ-スで500kg/10aとのことであり、大いに勉強になる。もっとも、数字は、アメリカ農務省のデ-タであるから、おそらく、サテライトによるものであろう。

 

 

 

 

 

コメの国際価格がトウモロコシより高いのは国際常識だから、水を止められ稲作ができないということになれば、本当に困るだろう。

 

 稲作には「水」が不可欠であり、日本の稲作も、水路の開発、ネットワ-クの整備があってこそで発展してきた。わが国の農業用水路の総延長は約40万km、そのうち基幹水路だけでも4万9,000kmと地球1周分に相当する。

 

(基幹水路は、農林水産省のHPによれば、受益面積が日比谷公園の6~7倍の100ha以上のものを指している)

 

 

 

 

 

「セクハラおやじ」は自民都議?

 

 またまた、聞き違い、読み違いの話である。6月24日の朝刊を見て驚いた。

 

それにしても「セクハラおやじ」とは思い切った見出しではないかと。だが、社会面を詳細に見ると、「おやじ」ではなく、「ヤジ」であったのだ。正しくは、<セクハラやじは自民都議>、カタカナか漢字で書いてよ!といいたくなった。まあ、思い込んだこちらが悪い。この大田区選出の自民党鈴木議員と都議会の対処の仕方は、終わり方がどうにも歯切れが悪い。会期末のどさくさを使った幕引きに見えて、抜本改革にはほど遠い。選挙は3年後だからなどと甘く見ていると、強烈なしっぺ返しが来るに違いない。滋賀県知事選挙を見るとよい。

 

 

 

 

 

 そもそも、この手の不規則発言(議会用語)に対しては、議長や質問者の所属する党の議事運営担当が議事の中断→注意喚起その他の処置をするのが普通である。まさか?ではあるが、議長もみんなの党のメンバ-も程度の軽い野次と見ていたのだとすれば、そちらの方が大問題である。

 

 

 

敢えていえば、「野次は議会の華」とは称されるが、それには、センスと教養、そして、節度が不可欠である。ダルマ宰相といわれた「高橋是清」の財政演説のなかで<陸軍は10年、海軍は8年…>という発言が出ると、すかさず議場から、<ダルマは9年!>と野次が飛ぶ。これなどは、「達磨面壁九年」の故事が身についていないと出ない、タイミングもよい野次であろう。

 

 

 

 

 

女は強し、母はなお強し

 

 「女は弱し、されど母は強し」とはよくいわれるところだが、6月25日の各紙の報道は楽しかった。

 

 6月15日に、タケノコ採りのため青森・秋田県境の田代岳に入山した親子が行方不明となり、捜索も打ち切られた10日後の25日、青森側の林道で母親が発見された。幸い2人とも生命に別状はなかったというものである。

 

 

 

母親は77歳、息子は57歳である。山菜と沢水で命をつないでいたところ、息子の体調が悪化したため母親が助けを求めて来たらしい。77歳の母が57歳の子を守るための果敢な行動、強烈なことではあるが、この息子、生涯、母親に頭が上がらないだろうな。

 

 

 

 

 

  風に吹かれて(H26.8月号 ② 朝鮮半島情勢)

 

 

 

 

 

恐怖の殺人スズメバチ上陸

 

 「原産は中国、遺伝子は韓国という凶暴な昆虫が日本に侵入、深刻な問題になりつつある」と「夕刊フジ」(6/21)が伝えている。体調は最大3cm、雑食で繁殖力が強く、巣を刺激すれば人間をも追尾する。韓国を経て、長崎県対馬に侵入し定着した。殺人バチは、その名も「ツマアカスズメバチ」という。

 

対馬では、すでに50~60の巣が確認されているが、何分5mの高所なので駆除がしにくいうえ、高品質の蜂蜜を作る「ニホンミツバチ」を好んでエサにするそうだから、全く困ったものである。

 

 韓国資本によって多くの土地が買収されている対馬、国土安全が脅かされている状況に加えて「泣きっ面に蜂」。まったく、笑いごとではない。

 

 

 

 

 

「米軍」 慰安婦

 

 例の「河野官房長官談話」に至る外交調整プロセスを日本側が検証・公表したことで、韓国が相当に焦っているのは事実だろう。相も変わぬやり方で、アメリカに出かけていいつけ、泣き言をいう。竹島近海では、これ見よがしの軍事演習をするのはその証拠である。

 

 そんな最中、6月27日の読売の報道では、「在韓米軍の元慰安婦」122名が、<国が米軍のために特定地域を設置し、慰安婦の勧誘、管理も行っていた>と見て、韓国政府に真相究明と謝罪、損害賠償の訴訟を起こしたというのである。

 

 その真の意図、波及効果、、日本のいわゆる「従軍慰安婦問題」への影響は不明であるが、なんとなく物事が動き出したような気がしている。いままでは、あまりにも事なかれ、穏便に、「さわらぬ神に何とやら」で過ごしてきたのだが、動いてよかったのかどうかも、ほどなく分かるだろう。

 

 

 

 

 

韓国の朴政権も、首相人事の失敗などで、そろそろレイムダック化の方向へ滑り出したかもしれない。最もおかしいのは、日本の「集団的自衛権問題」で、安倍総理が「朝鮮半島有事の際、日本の米軍基地から海兵隊が朝鮮半島に出撃する場合、日本の承認を要する」と答えたところ、韓国のマスコミが猛反対をしたことである。日-韓に「安保条約」がない以上当たり前のことなのに・・・。

 

 

 

 

 

朝鮮半島のパワーバランスに変化

 

 北朝鮮が、わが国に対して変化球を投げてきている。最高幹部の指揮の下で、拉致被害者、行方不明者などの本格調査をすると約束した。

 

 国内には、依然として深刻な食糧危機が続くものの、金正恩の目指す方向は、「経済成長」のようだ。「中国と組んで」という夢はNo.2の失脚によって崩れ、また、韓国が中国と親密度を増してきている以上、投資への期待は、必然的に日本へと向かわざるを得ない。<中国・北朝鮮> vs <日米韓>という構図が、目下、<中韓> vs <日本・北朝鮮>に変わって、米国は、韓国を中国から引きはがして、バランスを回復する努力中といったところのようである。

 

 ひょっとして、北朝鮮は、「安倍政権は長期に及ぶ」と見ているのだろうか。

................................................................................................................................................................................................................................................................

風に吹かれて(H26.7月号 : 世界は不安定の時代へ)

 

 

 

 安曇野は6月5日(木)に梅雨入りし、降り込められる日も増えてきました。

 

常念山脈も墨絵のような風景の彼方に想像するばかりですが、雨の合間を縫い「烏川緑地」に行けば、溢れんばかりの緑と轟音を立てる流れが楽しめます。

 

日本アルプスの開山者「ウエストン」のレリ-フは上高地のものが有名ですが、常念岳が登山の始まりのようで、烏川緑地の畔にも小さな碑が建っています。

 

自宅の庭では、ツツジ、シャクナゲ、ボタン、ショウブ、春バラが終わり、アジサイとヤマユリがスタンバイ状態で、また、3本の柿の木には、たくさんの花が咲いて、今年は表年ともいわれていますが、実りの方はどうでしょうか。

 

 

 

 

 

さて、このところ、国際情勢の不安定さを表わす報道が増えています。当面、幅広く情報を収集し分析するとともに、他国からの侵略は断固阻止するという毅然とした姿勢を続けることが、国を挙げて絶対的に必要でしょう。(H26.6.20)

 

 

 

「民族自決権」 の風潮

 

‘14.5.20のエコノミストで佐藤優が、いま、世界的に「民族自決権行使」の風潮が出てきていると指摘している。

 

ウクライナ・クリミア・ロシアの緊張関係がその典型であるが、この他にも9月:スコットランド独立に関する住民投票予定で、この結果次第では、EEZがスコットランドに属する北海油田を巡って、スコットランドとイングランドの緊張が高まる恐れがある。さらに、ベルギ-北部オランダ語圏のハランデレン地域やスペインのカタルニャ地方は、民族自立の動きがいっそう大きくなる。

 

 これらは、やがて、ごく一部に存在する「沖縄独立」、そして、連鎖反応は、ウイグル、チベットに広がる可能性なしとしないというのである。

 

 

 

 

 

 世界は、不安定の局面へと急速に進み始めているのではないか。おりしも、5月23日の朝刊各紙には、①タイ陸軍のク-デタ-、②北朝鮮が韓国領海へ大砲を発射、韓国も応酬、③中国ウイグル地区でテロ、と3件同時掲載された。

 

 中欧、中東、東アジアで、「世界の警察官」米国の後退の影響が出始めている。

 

 

 

 

 

中国に法治はなく、党治も薄れて

 

 中国では、共産党が軍に指令を出す上部機関といわれているが、最近の状況は、この「党治システム」もタガが緩んできたようだ。尖閣諸島の問題以外にも、最近の事例として、潜水艦の領海侵犯(潜水状態での領海内航行)、艦船によるミサイルの「レ-ダ-照射」のセット、戦闘機が自衛隊の偵察機に異常接近と数多く起きていて、共産党の地方統治、軍統治の弱体化が感じられる。

 

 そもそも中国(人、軍、政府)には、(国際法を含む)法の支配の観念はない。

 

坂本龍馬が「これからは万国公法の時代」とした当時のレベルにも達してない。教育も受けておらず、この異常接近も現場の個人プレ-のような気もするが…。

 

 

 

 

 

ちなみに、あの戦闘機は<SU-XX>であるが、これはロシアからの輸入品で、軍事専門家によると輸出の際2段階ほど能力を落としてあるらしい。ロシアが中国と戦うことになった場合に備えてロシアの優位性が確保してある。戦争力とはそういうものであろう。

 

なお、自衛隊の偵察、索敵能力は、世界的にもハイレベルで、対潜水艦戦と防空能力では世界最高で、P-3Cの100機はアメリカに次いで2位、AWACSを4機、空中給油機を4機、常時360度を捕捉のイ-ジス艦は日米だけの保有だ。

 

 

 

 

 

聞き違い? いい違い? (ある日 あるとき)

 

「ちょっとお尋ねしますが、アルカイ-ダのビルはどこでしょうか?」「えっ」市ヶ谷駅前でのことであった。正しくは、「アルカデイア市ヶ谷」、私たち夫婦もときどき食事に使う私学共済連合会の宿泊兼宴会施設である。

 

そして、つぎは、「もしもし、この辺りにキョ-・ギュ-(狂牛?)ソウというお店があるそうですが…」。こちらも、正しくは、「巨牛荘」 (Big  horn) なる焼肉料理店で、BSEと間違えられては大迷惑である。半蔵門付近でのことだ。

 

 人間の口、人間の耳の組合せ次第でまことに不思議なことが起こる。

 

 

 

 

 

ウオーターメロン

 

5月23日の日経朝刊にタイ軍部のク-デタ-報道に、面白いコメントを見つけた。

 

一般に、軍部とタクシン派は対立的であるとされているが、一部は、タクシン派(赤シャツ隊)にシンパシ-を感じる者もいて「迷彩服(緑色)に身を包みながら、実は赤シャツ隊支持の<スイカ兵士>」と表現していた。

 

 さて、話題は変わるが、アンチ捕鯨のグリン・ピ-スを指して、米国のあるマスメデイアが、つぎのように表していた。翻訳は、お任せする。

 

<Green-Peace is like  a water melon, outside  green, inside red>

 

 

 

 

 

「RINGO」の輸出

 

 最後は、ウオ-タ・メロンに因んでリンゴの話題で、これも「エコノミスト」からである。農業ジャ-ナリスト青山浩子によれば、青森県の片山リンゴ園は、‘99の英国向けを皮切りに、2008年からは、スイスにもリンゴを輸出している。

 

スイスのデパ-トでは、手間暇かけて育てられた大きな青森県産のリンゴが、「apple」でなく「RINGO」という名で通用しているそうである。

 

 これまでの常識である①大玉=中国(贈答品)、②中玉=国内消費、③小玉=ヨ-ロッパという固定観念を一新する快挙ではないか。

 

 「リンゴ」には、ビ-トルズにリンゴ・スタ-(Ringo Starr)がおり、映画「駅馬車」ではジョン・ウエインが演じた主人公が、リンゴ:キッド(Ringo Kid)。後者のモデルは、John Peters Ringo(1850~1882)で、西部開拓史時代の無法者ガンマンで、荒野の決闘、OK牧場の決闘の主人公ワイヤット・ア-プと親交があったと伝えられる。欧米では発音しやすく、なじみやすい名称だと思う。

 

 

 

さて、寿司も、いまや世界中、<SU=SHI>で呼ばれる。日本酒も同じように<SAKE>で行こうと、小泉純一郎さんに「最後のEにアクサンテギュを振って外国人に正しく発音してもらいましょ」とお願いしたことがある。いまは和食ブ-ム、<Japanese SA-KE>で通用する。日本の文化力も捨てたものではない。

Copyright © NPO法人 子どもの食育推進協会 All Rights Reserved.